# 第26回日本病院総合診療医学会学術総会

2023年2月18、19日、第26回日本病院総合診療医学会学術総会にwebで参加した。

 

これまで病院総合診療医学会に参加したことはないし、会員でもない。これには訳があって、私が総合診療医学会、家庭医療学会の理事の時に、プライマリ・ケア学会との関係三学会が会議を重ねた結果、現在の日本プラリマリ・ケア連合学会に統一される運びとなった。その発表を行う学会の壇上でその時の学会長が突然、統合に反対をしてその他の理事全員が困惑することになった。主旨を同じくする三学会がやっと統一されたのに、その反対した理事が新たに日本病院総合診療医学会を立ち上げたのである。そんな経緯もあってこれまで距離を置いていた。今回、日本プラリマリ・ケア連合学会からメールが来て、2023年2月18、19日に第26回日本病院総合診療医学会学術総会が宇都宮で行われることを知った。テーマが「#diagnostic excellence」ということであり、かつオンデマンド配信ありということなので、15,000円を払って参加してみた。

1カ月の期間視聴できるということでのんびり構えていたら残り4日間となっていたため、慌てて興味あるタイトルを1.5倍速で視聴した。(ちなみに日本プラリマリ・ケア連合学会はオンデマンド配信となっていたが、私のやり方が悪いのか終にアクセスできなかった)。

 

視聴したタイトル

「大会長講演:diagnostic excellence」

診断エラーを克服するための考え。diagnostic excellenceを数式で表現し、それに当てはまる項目をレクチャー・シンポジウムに割り当てたそうだ。

 

「diagnostic excellence」

diagnostic excellenceというキーワードを持つ最新論文を50ほど取り上げて解説していた。diagnostic excellenceができないと誤診に繋がるということである。恥ずかしながら今回はじめてこの言葉を知った。総合診療医として、今後注目すべきキーワードとなるだろう。

 

「医療、医学教育×アート」

人文学や医療人類学が医学生教育に重要であるという発表。アートを医学教育に取り入れている先進的な取り組みを発表。米国ではマンガを教育に医学教育に取り入れている。その本「グラフィック・メデスン・マニフェスト」を紹介していたので購入することにした。

 

「病歴と診断」

清田雅智氏と生坂正臣氏のレクチャーと対談。生坂氏:common diseasesのillnessを言語化することが重要である。千葉大総合診療科の場合、心理社会的な原因が30%なので、最初に心理社会的なものを考え、そこから器質疾患に鑑別診断を移してゆく。これはcommon diseasesのillness scriptをたくさん知っていなければ実践できない。清田氏は、中島敦の弓の「名人」を引用し、そこに出て来る名人が診断名人は似ている、と。弓の「名人」は、最終的に弓を捨てて、弓なしで鳥を落とす。診断名人は、最後は医療機器がなくても病歴だけで診断できるようになる。中島敦の「名人」をもう一度読んでみたくなった。また、高齢者の発熱、悪寒戦慄を検査できない状況で、肺炎球菌肺炎と診断した話を披露。会場に木村眞司先生に似た方は映っていたが・・・

視聴直後に、73歳男性が私の外来を受診。2日前、喘息として対応されていた。この日、AM1時に呼吸困難を自覚。就寝後2時間に出現ということでsemantic qualifierは起坐呼吸となると考え、心不全を疑って検査したところ、XPで心拡大、心電図でST変化、Q派同定、NT pro BNP:1800,トロポニンT陽性であり、急性心筋梗塞と判断し、函館へドクターヘリ搬送とした。同じ日の午後、5日前からの回転性のめまいを訴える70歳代女性。糖尿病、高脂血症、高血圧で加療中。頻回に転倒するため、抗凝固薬が半年前から中断されていた。前医で高めまい薬、メイロン静脈注射で不変。座っていてもめまいがあるとうことで、小脳梗塞を疑い、CT撮影をしたところ、陳旧性脳梗塞+小脳梗塞であった。病歴の大切さを実感した。

 

「症例から学ぶ診断推論戦略 by JUGLER」

抗ADA5抗体陽性皮膚筋炎症例と腹痛・LDH高値で腹部診察を嫌がる症例(悪性リンパ腫による腸閉塞)を提示。2例ともほぼ推論できた。「症例から学ぶ診断推論戦略 by JUGLER」が2023年4月に発売されるということで購入予約をした。

 

「診断の不確実性に対するロジカルアプローチ 経営学理論で切り拓く新しい診療戦略」

経済学者の戦略と診断戦略の類似点を探すという面白い企画であった。

 

「名人に挑戦!ケースカンファランス!帰ってきた#ドクターG」

NHKの伝説の番組を再現。講師は鈴木富雄氏と上田剛士氏。4名の研修医が参加。1例目は転倒後、上肢があがらず、赤沈亢進、CRP陽性の高齢男性。その後、頸椎MRI;椎体腫瘤影、血培で黄色ブドウ球菌を検出、頸椎化膿性椎体炎と診断し、外科手術。ここで上田氏から頸椎神経支配と異常腱反射の解説。

2例目は鈴木氏が担当。殴られてから意識がおかしくなった20代男性。発熱、頻脈、眼球運動異常、箸をうまく使えない、四肢の筋トーヌスの亢進、項部硬直。ここで亜急性の意識変容の鑑別。脳MRI,髄液検査、脳波:異常なし。ステロイドパルス、アシクロビルで治療するが反応なし。その後、閉眼して痙攣、過呼吸が出現。ここで関連エピソードを再確認すると妄想であった。最終診断は統合失調症による悪性カタトニア。

 

「フィジカルの原点が診断に生きる!身体所見に名を残すレジェンドたちの技とその起源」

清田雅智氏の蘊蓄を聴く。トルソーによるコイン・テストの解説。この気胸に対する診断法はSapiraが「The Art and Science of Bedside Diagnosis」に書いて日本に広まったそうだ。小さな気胸の発見法で日本では500円硬貨二枚を用いるとよい。聴診器の発明とライアネックの話。William Osler が書いた本「principle and practice of medicine」について解説。初版からすべて購入しており、その記述内容の変遷を語ってくれた。エビデンスに留まらずそのエビデンスが確立するまでの変遷を語らせると清田氏の右に出るものはいないだろう。徳田安春氏がWilliam Osler(かつ日野原重明氏)について敬愛の情を込めて語った。

 

「medically unexplained symptoms」

加藤光樹氏。疼痛が最頻度。紹介が繰り返される。Disease-oriented careの機能不全を起こしているから。Wellbeingを意識した診療が必要。 illness→ suffering→ healingに向かうように心がける。帰納的推論がよい。Person-centerednessが大切。診断はゴールではない。Reflective listening。Narrative approachで対応するが、面接の時間の長さに拘らない。

藤沼康樹氏。実存的懸念。Creative capacityを支援する。健康生成論。診療の場以外の場が重要。Healingと回復は医療現場以外で起きている。偶然と予想外のナラティブとの遭遇。医師のあり方を問われている。病院総合医ではなく、家庭医を経験しての発想であろう。

 

「医療診断における認知バイアスを考える」

心理学者が様々なバイアスの解説をした。教育について印象に残ったことは、「複雑な問題を言語化すると全体が見えなくなる(医療問題について言語化しすぎたレポートを学生に求めると、全体が把握できなくなる)」「スモール・ステップ方式はよくない(部分をすべて習得しても、全体を完成できない)」「伝統芸能の教え方は、模倣→繰り返し→習熟である。お手本だけを見て、自分で問題を見つける。部分に分けて稽古はしない(診断の仕方にも通じるのではないか)」。まさに“合成の誤謬”ではないか。

 

「診断困難な状況」

診断の仕方について、系統的にレクチャーがなされた。

 

「不明熱の診断」

感染症医、膠原病医、腫瘍専門医の3名からのレクチャー。サットンの法則の逸話を披露。本当に所見がないのか拘って証拠を探す、ということが本来の意味らしい。腸管のT細胞リンパ腫のしくじり症例を提示。鑑別を考えながらROSをすることが重要。前医の所見を確認する。後医は名医。発熱の程度よりも不明熱期間が重要である(青木眞氏)。

 

「日常診療で遭遇する関節炎の鑑別診断」岸本暢将氏

視診が大事。PMRはウルトラマン病(ウルトラマンの赤いところの筋肉が侵される)。現在はReiter病と言わず(ナチスに協力したから)、反応性関節炎という。

最後、二人一組になって関節の診察実習。

 

「総合病院のリウマチ科は院内の診療科からどんな相談を受けるか」

総合診療科とリウマチ科との関係やどのようにコンサルテーションがされているかわかる大変に参考になる発表であった。

 

「二学会の合同セッション」

地域医療学会というものができたそうだ。愁訴を問わず対応するという同じ志を持つ学会がまた三つになるのか。歴史は繰り返す。内科学会や外科学会等に対抗できるように統一できないものか。(診療所内科学会、病院内科学会、僻地内科学会などというような内科の支持母体はない)。

 

個人的には内科疾患は各地区の内科地方会にweb参加して知識をアップデートしている。診断の仕方については、今回の病院総合診療医学会のレクチャーが大変参考になった(わだかまりが消えてきた)。日本プライマリ・ケア連合学会には、コロナ禍で暫く参加していないし、webでも視聴していない(できない?)ため、距離が遠くなりつつある。日本プライマリ・ケア連合学会の存在意義は私の中で薄れている。日本プライマリ・ケア連合学会には内科学会でも病院総合医学会でも視聴できないようなレクチャー・企画を期待したい。