Book Review 9-14 医療 # 維新京都医学事始

 

『維新京都医学事始』(山崎悠人著)を読んでみた。京都府医大卒の医師。本作が初の小説だそうだ。

 

本書導入は1888年森鴎外との会食場面から始まる。ポンペ、ベルツ等の医学史で学んだ医師名が出てくる。

時を遡って、1872年。東京遷都で京都が衰退していた。ヨンケルというドイツから来た医師が京都療病院に赴任。医学生から絶大な支持が寄せられていた。ここで読みながら疑問が出てくる。京都療病院は府立医大の前身なのか、京大の前身なのか。著者が府立大学出身なので、府立医大とは思ったが一応調べてみた。

日本政府に西洋医学の教員病院を設立したいという京都府の願いは叶わず、お寺、花街や町衆からも寄附を集め、病院設立にこぎ着けた。お寺の境内(青蓮院という京都東山にある名刹の一つ)に病院を建て、そこにドイツ人を講師に呼んできて、教育施設ができ、その研修の場として附属病院が作られた。1903年に医学専門学校となった後、1921年京都府立医科大学へと昇格した。参考までに京都大学の医学部は、京都帝国大学が創設された2年後、1899年の医科大学開校とともに始まっている。私が京大在籍当時、100周年記念の寄付を求められた。返礼品は校舎の絵が付いたネクタイピン一本で私が所有する一番高価なそれとなった(1本10万円、締め付けが悪く、よく落ちるので何度か失くしそうになった)。

本書の話を要約すると、東京への遷都により活気を失った京都で、公家出身の青年・万条房輔が、初代御雇い医学教師ヨンケルに師事し、西洋医術を学ぶ。その間、彼と医学校との不穏な関係を描き、明治維新の日本の医療の転換期を描いている。

 

エピソード。賀川流で困難な妊婦の分娩をヨンケルが無事成し遂げ、皆からの支持を確固とした。この頃のドイツ人医師は内科・外科・産婦人科・眼科等なんでもできたようだ(30数年前に自治医大が目指して到達できなかった「総合医)ではないか)。ヨンケルは黒板を使った授業を行い、これまでの教え方との違いに受講生は驚いた。最初はヒポクラテス、ガレノス、ヴェサリウス、『ファブリカ』等の活躍した医学の歴史をを教えたようだ。

 

以下に10年間の維新の動き(医学も)を追ってみよう。

1873年太陽暦の採用(旧暦明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日になった)。人体解剖が行われた。試験はドイツ語であった。

1874年に京都で流行性脳脊髄炎が流行り、それで亡くなった患者の病理解剖が行われた。岩倉具視襲撃事件、佐賀の乱が起こっている。東京では第一大学区医学校が東京医学校になる。

1875年 東京では内科にシュルツ、外科にウェルニッヒが着任。北里柴三郎が熊本から上京し医学部に進学。新島襄同志社英学校設立。

1876年 日本人上層部の利害関係の果てにヨンケルが解任され、オランダ人のマンスフェルトを招聘。ドイツ語で講義ができずオランダ語で授業をして混乱を招く。診療態度が不誠実。秋月の乱萩の乱が起こる。

1877年 西南戦争西郷隆盛が自刃。東京開成学校と東京医学校が合併し東京大学になる。京都ではマンスフィールドが1年で解任される。代わってドイツ人ショイベを招聘。

1878年 大久保利通暗殺。

1888年 ヨンケルが帰国後ドイツで出版した本を、万条房輔が森鴎外から譲り受ける(ここで冒頭に戻る)。

 

本書は10年間の東京と京都の医療を中心に記載しているが、1988年の冒頭場面に戻って唐突に終わっている。どう斟酌しても小説としてはあまりうまいとは思えない。明治維新の歴史の流れの中でどのように医学の礎が築かれていったのかを知る参考にはなるだろうが・・・。