Book Review 35-2 仕事 #舟を編む

 

『#舟を編む』(三浦しをん著)を読んでみた(再読)。

 

著者は、父親が上代文学・伝承文学研究者の三浦佑之。直木賞を受賞。本書は本屋大賞に選ばれる。

本書は辞書の編集に携わる人たちの話。一見すると小説になりそうにない地味な内容に思えるが、意外と読んでみると面白い。過去に一度読んでいるが、その時はあまり印象に残らなかった。この度、NHKで放映されている連続ドラマ(全10話)を見て再読した。連続ドラマは本書の後半から始まる感じで、前半部分はドラマの展開の中で明らかにされるので、先にドラマを見てから本書を読むと、二度おいしい感じがする。ということで、ドラマの感想を書く。6話まで視聴したところでこれを書いている。

本書の主人公は生真面目な馬締(まじめ)上司であるが、新入り社員・岸辺みどりの視点でドラマは進む(本書では後半から登場)。人気ファッション誌の編集誌の廃刊が決まり、辞書(「大渡海」)編集部に突如異動になる。池田エライザ(岸辺みどり役)さんが素敵である。以前NHKのCOVERSのMCをしていたときには、奇抜な服を着た女性としか捉えていなかった。

辞書を作るためにどれほど労力がかかっているか知ることができる。単に言葉が敷き詰められたように見える辞書の裏に、関係者の情熱と心血が注がれているのだと認識できる。言葉にこだわる辞書作りの魅力を通し、”言葉は誰かを傷つけるためではなく、誰かを守り、誰かとつながるためにある”という未来への希望を伝えたいのだ。一冊の辞書を作るために十数年間に及ぶ時間と手間をかける。五稿までチャックする。根気と熱意に触発され、次第に自らも言葉の魅力を発見、辞書編さんの仕事にのめり込んでいく主人公。紙の手触りや匂いにも拘っていることに驚きを覚える。

和英辞書、英和辞書、広辞苑をはじめとする国語辞書、類語辞書、生活実用辞書等、様々な辞書を包含したCASIOの電子辞書を日頃使っているが、たまには紙の辞書を使って手触りを確かめながら言葉を調べるのもいいのかもしれない。

Book Review 14-3 数学 #素数の音楽

 

『#素数の音楽』(マーカス・デュ・ソートイ著)を読んでみた。著者はオクスフォード大学数学研究所教授。多数の専門書執筆のほか、新聞・雑誌に寄稿、BBCで数学番組を監修。本書は世界的ベストセラー。その他の著書に『知の果てへの旅』『レンブラントの身震い』など。2010年、科学への貢献に対し大英帝国勲章が授与される。

 

素数とは、その数自身との外には約数がない正の整数のことである。この素数に多くの数学者が捕らわれてきた。素数の出現はランダムのように見えるが、なにか法則がないかを探す。素数は謎に満ちた存在であるという発想自体がすごい。本書は「リーマン予想」を中心に語られる。最も重要な未解決問題だそうだ。リーマン予想とは素数の分布についての予測である。ゼータ関数も重要だ。

 

本書は1859年に提起された史上最高の難問「リーマン予想」に挑み、素数の出現する法則を得ようとして奮闘した天才たち(ヒルベルト、ハーディーとリトルウッド、コンヌ等)の姿を描くノンフィクションである。読んでみて、何となく、素数研究の流れはわかったが、今一つすっきりしない。

そこで本書を読み終わった後、偶々録画しておいた2009年11月にNHKハイビジョン特集素数の魔力に囚われた人々」として放映されたものを再視聴してみた。リーマン予想についてビジュアル(視覚)を用いてわかりやすく説明している。またこの難問と格闘した人物たちを登場させている。リーマン予想に没入するあまり精神に異常をきたしたジョン・ナッシュ(映画『ビューティフル・マインド』の主人公)やドイツの暗号「エニグマ」を解読したアラン・チューリング(同性愛の罪でホルモン療法を受け、その後自殺)等。数学者ヒュー・モンゴメリと物理学者フリーマン・ダイソンの偶然の出会いからリーマン予想と原子の動きが同じ数式に還元できること発見したエピソード等を紹介している。本書の著者マーカス・デュ・ソートイも出演している。

 

本書を読んでの感想は、リーマンはなぜ素数の出現法則をゼータ関数に置き換えたのだろうか。ゼータとは素数のまとまりのことだそうだ。そもそもはレオンハルト・オイラーによる関数の特殊値に関する重要な発見を、リーマンが応用したらしい。その理由がわからない(天才としての閃きなのか?)。ゼータ関数の数式については、難しすぎるので割愛した。

インド人数学者ラマヌジャンの章も印象深い。彼は純粋数学の正式な教育をほとんど受けていないが、極めて直感的かつ天才的な閃きにより、数学的解析、整数論、無限級数、連分数などのほか、当時解決不可能とされていた数学的問題の解決にも貢献した。死ぬ間際の逸話が印象的だ。見舞客が、話題が尽きて、さえないナンバーのタクシーで療養所に駆け付けたことを語ったところ、ラマヌジャンは一瞬でとんでもないと否定した。その数字は1729であった。それは「2つの立方数の和で表す方法が2通りある数」であり、「1729」は「タクシー数(taxicab number)」と言われる。1729=123(12×12×12)+13(1×1×1)=103(10×10×10)+93(9×9×9)。1から1728までの数字は、このような形で表すことはできないので、1729は最小のタクシー数なのである(この逸話からそう呼ばれるようになったのだろう)。数学界では有名な逸話らしい。

素数がインターネットセキュリティ・暗号資産の管理に重要な役割を果たしているのは知っていた(開発者の頭文字をとってRSAと呼ぶ)が、最近では楕円曲線を使った暗号作成が行われるようになっているそうだ。

 

本書を読んだことで、高校以来、あまり接していなかった数学にまた興味が湧いてきた。

Book Review 24-8歴史 #ナチスは良いこともしたのか?

 

『#ナチスは良いこともしたのか?』(小野寺拓也・田野大輔著)を読んでみた。小野寺拓也氏は東京外国語大学准教授。専門はドイツ現代史。田野大輔氏は甲南大学文学部教授。専門は歴史社会学、ドイツ現代史。

 

岩波書店の刊行でこの書名だから結論(反ナチ)は分かりきっている。全否定なのか、部分否定なのか。バイアスをかけて読むことになる。この本が売れているということなので日本の読者も馬鹿にしたものではない。そもそも本書は、SNS等で根拠もなく聞きかじりで、事実無根や嘘をまき散らし、研究者を罵倒する巷の風潮に、怒って出版に至ったようだ。

 

はじめにことわりが書かれている。ナチスは複数型で、正しくはナチだそうだ。著者たちは、歴史的事実に対して、「事実」、「解釈」、「意見」の三層に分けて検討することを勧めている。そうすると自分にとって都合のよいところだけを照らし出し、それ以外が見えなくなる状態なのかが判断できる。この狭小化された見方は、意見の層に入り「トンネル視線」と呼ばれる。陰謀論や現在のトランプ元米国大統領がもてはやされるのはこれに当たるのだろう。

 

本書ではナチス・ドイツへの肯定的な解釈や意見に対して明確に反論を述べている。アウトバーンを建設し、失業率を低下させた、進んだ福祉政策や家族支援政策を導入した等に対して、ナチズム研究の蓄積をもとに事実性や文脈、結果を検証し、立派なことはしてないと反証している。

 

具体的に見てゆくと、ヒトラーの権力掌握には、ドイツの経済状況やヒットラーの広報力や他の政党の不甲斐なさなど、偶然の要素もかなり影響したようだ。ドイツ人はナチ体制を支持したが、熱狂したわけではないということを示している。経済回復はしたが、ナチスのおかげというより前政権の置き土産的要素が大きいようだ。ナチスは労働者の味方ではなかった。手厚い家族支援はしたが、公平性に欠け、一定の条件を満たさない者は除外された(抹殺された)。先進的な環境保護政策も実はしていない。健康帝国ナチスとは、軍国主義を向かうための方便に過ぎない。

 

SNSを席巻する暴論に惑わされないためには、その事実を「事実」、「解釈」、「意見」の三層に分けて検討する能力を養うことが重要と痛感した。

Book Review 9-27 医療 #感染症歴史学

 

『#感染症歴史学』(飯島渉著)を読んでみた。著者は青山学院大学文学部教授で、専攻は医療社会史、感染症歴史学が専門。

本書の目的は、新型コロナのパンデミックを歴史化する試みとある。本書で扱うのは4つの感染症で、新型コロナ、天然痘、ペスト、マラリア。はじめに21世紀になってから流行したSARS (2002-2003年)、新型インフルエンザ(2009年)、MERS(2012年)を振り返る。

新型コロナを含めてこれらの感染症は、開発によって生態系への介入が進んだことによって引き起こされた「開発原病」であるとしている。この視点で描かれているものとしては映画『コンテイジョン』(スティーブン・ソダバーグ監督、2011年)で、私のお勧め作品である。感染発症第2日から映画は始まり、最後に戻って第一日が提示される。未開の原野の開発が進み、中国と思われる国で野生の動物を食べた観光客が倒れてゆく。(実習に来た研修医・医学生にはこのDVDを貸し出している)。

武漢での新型コロナでロックアウトに遭遇した方方氏の日記から、強い国とは、「弱者へのまなざしを大切する」という言葉を引用している。「隔離されるのはウイルスだけではなくて、ヒトもその対象とされる。」も。2019年の中国での新型コロナ患者発生から、2023年5月(感染症法上の分類が5類に移行)までの日本のことがまとめられている。

 

天然痘について。撲滅に成功した唯一の重大感染症として、太古から撲滅までの世界と日本の歴史が書かれている。種痘についても詳細に書かれている。

 

ペストについて。ペスト感染は現在でも起こっている。私は新型コロナの流行最盛期に本屋に平積みになった『ペスト』(アルベール・カミュ著、1969年)を再読してみた。(ペストが発生し、外部と遮断された孤立状態のなかで、逃げ出さす、そこに残って闘う主人公リウー)。ついでに富士山麓で肺ペストが発症したという想定で描かれた『リウーを待ちながら』(朱戸アオ著、2017年)を読んだ。(菅義偉首相に日本学術会議の新会員任命を拒否された歴史学者加藤陽子氏が推薦)。このマンガは、地域医療実習に来ている研修医・学生に毎回貸し出しているが大好評である

 

マラリアについて。マラリアは歴史上重大な感染症である。以前のBook Reviewで『#蚊が歴史をつくった』(ティモシー・ワインガード著)を紹介した。戦争や政治、移動、交易、人間による土地の利用方法等への蚊の影響に言及している。一時、減少したが新型コロナの流行で、復活しているようだ。

 

新型コロナ感染の猛威も収まりつつあるが、この4年間は何だったのかという記録や考察を残すことは大切や仕事となろう。

Book Review 22-4環境 # 匂いが命を決める

 

『# 匂いが命を決める』(ビル・S・ハンソン著)を読んでみた。著者はスウェーデン生まれの神経行動学者。2006年よりドイツ最大の科学研究機関マックス・プランク化学生態学研究所の所長を務める。神経行動学的研究で知られ、とくに昆虫の嗅覚の研究で名高い。

 

私たちヒトはあまり嗅覚を頼らない。とは言え、最近ではCOVID-19罹患後に嗅覚が低下することが問題になっている。匂いは強く記憶と結びつき、過去の経験を呼び起こす。私の場合、消毒液の匂いを嗅ぐと幼年期に通院した診療所を思い出す。

嗅覚は、昆虫、動物、魚、草木、花など多様な生物の「生命維持」と「種族繁栄」に大きな役割を果たしていることが数々の研究の結果からわかってきた。近年、地球上の昆虫数が激減しているそうだ。その原因として、農薬・オゾン・気候変動等が嗅覚を妨害しているのではないかと推察されている。また、プラスチックがDMS (dimethyl sulfide)を発生させ、鳥たちに食物と勘違いさせて、害を及ぼしている。DMSとは、常温で液体、水に難溶の有機硫黄化合物。ジメチルエーテルの酸素を硫黄で置き換えた構造。 キャベツが腐った臭いとも表現される悪臭成分で、ミズゴケやプランクトンなどが作る物質でもある。

 

 本書では、様々な生物の嗅覚について書かれている。犬は人間の1万倍の嗅覚能力を持ち、散歩で個々の出来事を匂いで知る。鳩、アホウドリが進路を知る際には嗅覚が大きな役割を果たしている。鮭は故郷の川に産卵のために遡上して帰る時、その川固有の匂いの情報を思い出し、行くべき航路を見つける。ネズミにとって重要なのは匂いだ。匂いを嗅ぐための4つの器官がある。蛾の嗅覚閾値は低い。植物は互いの匂いを感知できる。植物は攻撃されると、被害を訴える一種の合図としてVOC’s(揮発性有機化合物)を放出する。ある二種類の作物をペアにして栽培すると害虫からの被害を最小化できるそうだ。ある種の蘭は昆虫の雌そっくりの匂いを持つように進化している。

 このような事実から私たちヒトは安易に環境を変える方策をとってはいけないのではないか、と思えてくる。害虫駆除のために農薬で環境を変えるよりも、二種類の作物をペアにして栽培するなどの本来植物に備わっている能力に期待した方がよいのではないか。ヒトは科学的発明を享受することによって、益々、五感の能力が劣化しているのではないだろうか。SDG(Sustainable Development Goals)には嗅覚に配慮することが欠かせない。

Book Review 9-26 医療 #おろそかにされた死因究明

 

『#おろそかにされた死因究明』(出河雅彦著)を読んでみた。著者は元朝日新聞青森総局長。著書に『ルポ 医療事故』(朝日新書科学ジャーナリスト賞2009受賞)。

 

介護施設で食事中に突然意識がなくなった入所者が救急対応の甲斐なく亡くなったとき、どのような死因を付けるのだろうか。その点について裁判で係争されて社会問題になった事例を深堀した報告である。

 

著者は医療事故についてたくさんのレポートを書いている。今回扱った「あずみの里」業務上過失致死事件とは、2013年12月に長野県にある特別養護老人ホームにおいて、入所者の女性が、おやつの時間中に突然意識を失い、回復しないまま一カ月後に死亡した事例である。検察は死因がおやつに提供されたドーナツによる窒息だとして、おやつを配膳した准看護師を業務上過失致死罪で起訴した。そして、一審の地裁は、「おやつの形態変更確認の義務違反」で有罪とした。

これでは世の施設介護者はいつ何時罪に問われてしまいかねないと恐れを抱いた。これが認められると、食べさせる努力が激減し、胃婁や中心静脈栄養の採用が増えてしまい兼ねない。しかし、東京高裁は判決(2020年7月)で、「(被告は)自ら被害者に提供すべき間食の形態を確認した上で、これに応じた形態の間食を配膳し、ドーナツによる被害者の窒息事故を未然に防止する注意義務があったということはできない」(判決文とは何とわかりにくいことか!)とし、「過失の成立を認めた一審判決の結論は是認することは出来ない」と逆転無罪を言い渡した。

裁判では、誤嚥によるものか、それとも脳梗塞によるものかという死因について意見が分かれた。問題発生時の事例者には、通常窒息に伴う苦悶の表情や動作が全く認められなかった。ドーナツを喉に詰まらせた結果の窒息死、という認定自体が正しかったか。他の可能性のある死因として、脳梗塞心室細動などの可能性が浮上した。しかし、判決では窒息説がそのまま採用された。従来繰り返し指摘されてきたことだが、検視と、死因究明のための解剖との間には、法律上も、実際上も非常に大きな距離がある。幾つか法改正は行われてきたが、現場を考えれば、それも無理ないことかもしれない。逆転無罪判決となった二審でも、この死因についての詮議は素通りされていると著者は嘆く。

最終章で、医学的見地から事件の問題点と教訓が語られている。嚥下リハビリテーションを専門とする福村医師によると、全世界の「食物による窒息死」の33%が日本で起きていることになっている(日本の人口は全世界の2%なのに)。これは医師も関係者全員が安易に究明手段をとることなく、死因を「食物による窒息死」を採用しているからであると警告している。「食物による窒息死」の診断基準がないそうだ。責任は施設にあると見做され糾弾される。「窒息の可能性がある」ことと、「窒息である」ことは大きく異なる。簡単に「窒息」と診断しない勇気と努力を期待したいと本書を締めくくっている。

Book Review 9-25 医療 #父がしたこと

 

『#父がしたこと』(青山文平著)を読んでみた。著者は、松本清張賞を受賞しデビュー。大藪春彦賞直木賞中央公論文芸賞柴田錬三郎賞をW受賞。『半席』『本売る日々』など時代小説を執筆。

 

目付の主人公は、小納戸頭取である父親でから御藩主が痔瘻で苦しんでいることを告げられる。在村医のM(フィクション)に麻沸湯による全身麻酔を使った華岡流外科手術を秘密裡に行う計画を立てる。花岡青洲といえば、乳がん手術がすぐに結びつくが、乳児の鎖肛の手術もしたらしい。主人公の息子が鎖肛であり、手術に至るまでの周囲の者たちの苦悩が紡ぎ出される。現代のようにレントゲン検査ができなかったので、病変部位の情報を得ることが難しく、手術のしかたも大変であったようだ(その後のケアも)。ここでMは主人公(息子)の恩人となる。

 

この話の中で、江戸後期の医療事情についても語られる。たくさんの医家の名前が出て来るが、文末にこれはフィクションであると断わりが書かれているので、どこまでがフィクションで、どれが史実なのかわかりにくい。

 

前半に描かれる父親の藩や全体のことを考えての出世を望まない態度には共感でできるのであるが、ラストの数ページの「父親のしたこと」(藩主に尽くす主従関係)は、現代の私からすると納得できない。

 

古事記日本書紀には、イザナギイザナミのあいだに手足の萎えたヒルコが生まれ、海へ打ち棄てられたことが書かれていることに言及している。最近読んだ多和田葉子氏の『地球にちりばめられて』には日本人主人公としてHirukoが出て来る。障害を持って生まれた子供を抱える家族の苦悩や喜びが数々描写されている。

 

本書を読むと、江戸後期から医学がどのような経緯で現代医学に到達したのかを窺い知ることができよう。