Book Review 9-19医療 #病を治す希望の力

 

希望の話の前に、その対語である絶望について記す。最近、NHKの「#ラジオ深夜便」で人気の内容が書籍化された。その名が『#絶望名人1、2』の2冊。潰瘍性大腸炎で十数年床に臥せた著者(頭木弘樹氏)が著した書。病気や事故、災害、失恋、挫折、などで人生に絶望したときには、希望よりも絶望を見つめ、絶望の中で書き留められた珠玉の言葉がよいというのだ。カフカドストエフスキーゲーテ太宰治芥川龍之介シェークスピアの言葉が並べられている。絶望の経験のない私には、ちょっと追従できなかった。そんな訳で、机の脇に長らく積んであった『#病を治す希望の力』を紐解いて、絶望の反対の希望についての学ぶことにした。

 

『#病を治す希望の力』の著者はジェローム・グループマン氏である。NEJMの元エディター。腫瘍学、血液学、AIDS 治療の第一人者。ハーバード大学医学部教授。

 病気の克服に必要なことは、精神の力と言われることがある(精神主義)。不治の病でありながら最期まで希望を持って立ち向かったが、多くの者は甲斐なく亡くなる。その一方で、医学的には絶望と思われた状況から奇跡的な治癒を果たす人たちも少なからずいる。その違いは何であるかを、関わってきた事例と自らの体験とを重ね合わせて、そこから見えてきた「希望」と「治癒」との関係を、科学データを駆使して詳細に検証している。

 

本書の仮説は、「希望は病気の進行を実際に遅らせ、患者が病を克服するのを助けることができるのだろうか」である。著者は希望を信じている。著者は脊髄手術に失敗し、痛みを抱えて19年間を過ごしたが、あるリハビリ医に出会い、「希望が著者の回復を可能にした」という体験をしている。そのようなことから、患者の人生の背景や物語を丹念に調べることで「希望や絶望がどのように治癒の要因として働くか」を調べて出版に至ったようだ。

 

 本書は、はじめに希望のない例が提示される。患者の生死を分けた「希望の力」の理屈で捉えきれない実例を考察する。まず、乳がん患者で「私の癌は、神の罰なのです」と病気をとらえ、「化学療法は受けないわ」と決断し、34歳の若さで亡くなった女性。拡大乳房切除以外に治療法のない時代であった。京都大学総合診療科入院患者第一例は乳がん患者で私が担当した。巨大な乳がんを放置して、それが自壊して貧血で苦しむ老年女性であった。著者は「人が希望を持てるのは、真の選択があることを知ったときだけである。」と結んでいる。治療により症状の改善が見込めるという情報がないと希望は醸成されないのだ。

次は、結腸がんで肝臓と脾臓に転移し、腹水もある患者。胃がんがライフワークの医師が未分化胃がんになるが、再発しなかった。予後不良なのに平均寿命以上生存している。その理由はここでは提示されていない。

不治の病であった急性骨髄性白血病がレチノイドを使用し、抗ウイルス薬「カクテル」の開発された時期でもあり、完治した患者。

非ホジキンリンパ腫モノクローナル抗体で治療して完治した患者。

時代が進み、乳がんで「単純」な乳房切除術を受ける(脊髄、骨盤、肋骨に転移しているが)患者。乳がん細胞の表面にHER-2タンパクがあったため、ハーセプチンが有効であり、コントロールされている。
 このような事例から、著者は治療法の進歩と相まって、「医師の役割は希望を育てるのを助けることである」と結論している。

 

中盤に著者の慢性疼痛を克服した道のりが語られる。「痛みを無視すること」「筋肉に負荷をかけ、その負荷をだんだん強くすることで、過去の痛みの記憶を手放すようにする「再教育」をすること」で乗り越えたそうだ。

 

以上の患者の体験や自らの体験からプラシーボ効果に著者は着目する。「プラシーボは効き目がないとする仮説」に疑問を持ち、プラシーボは顕著な生物学的効果を持っている実験例をいくつも提示する。

薬は痛みを遮断する力を持っている。脳内の物質「エンドルフィン」「エンケファリン」もそれを脳内に放出させて痛みを遮断することができる。ところが生理食塩水でもモルヒネの代わりになる。この変化を引き起こす二つの主な要因は「信念」と「期待」である。これらがあれば偽手術でも痛みは軽減するそうだ。

逆に、肉体の衰弱によって痛みを感じて、絶望感強くなればなるほど、エンドルフィンやエンケファリンの放出は少なくなりコレシストキニン(痛み物質)の放出が多くなる(悪循環)。それゆえ悪循環を断ち切ることが重要である。

プラシーボの実験は、信念と期待が自律神経に強い影響を与えうることをほのめかしている。喘息発作の実験でも同様のことが起きるそうだ。

本物の薬がもらえると信じ、期待しているパーキンソン病患者にプラシーボを与えると、同じように強烈な変化がPET上で起こる。プラシーボは実薬と同様のドーパミンを脳から放出させた。

 

希望は認識と情動、二つの部分から成る感情である。希望とは、心の中に明るい未来を思い浮かべる時に経験するエネルギーに満ちた高揚した感情である。治癒に向かわせるためには、現在の込み入った状態とは違った感情の状態を脳が生み出す必要がある。

扁桃体が恐怖を仲介する回路の重要な部分である。本物の希望は現実に存在する脅威を考慮し、それらを避ける最良の道を探すことである。

どのようにしたらネガティブな感情を消し去ることができるか。偏桃体の部位を抑制する回路が存在するので、そこに働きかける必要がある。

希望は、現在の状況から生じる情報と感情を統合する。「回復力」とは、著しい逆境に立たされても高いレベルのポジティブは感情と健康な状態を維持することと定義する。

精神論とは異なり、何らかの方法で(医療の進歩の力も借りて)症状を少しでも和らげることができれば、患者の希望の感覚に多大な影響を及ぼすことができる。患者方がほんの少し変わっただけで、医師の励ましを受け止めることができるようになるのだ。


著者が導き出した結論 

希望を持ち続けることができる人とできない人(自分の置かれた状況を制御できないと信じ込んでいる)がいる。医師が患者に真の希望を与えるためには、医師自身がそれを心から信じなければならない。著者は希望を癒しの核心とみなしている。

決して安易な精神論には走らず、科学的データを参照しつつ人間の自己治癒力に秘められた驚くべき可能性をあることを本書は示している。

 

今私たちにできることは、絶え間なく進歩する医学情報にアクセスしてそれを患者に伝え、患者に寄り添いながら患者の希望を育てるのを助けることであろう。

Book Review 30-1マンガ #オーウェル1984』を漫画で読む

『#オーウェル1984』を漫画で読む』(ジョージ・オーウェル/文・フィド・ネスティ/絵)を読んでみた。オーウェルは『#動物農場』で既に高い評価を得ていた。『1984』は翻訳本で何回か読んでいるが、大部分忘れている。「原文を忠実に引用しながら作られた初の漫画化作品」と謳っているので購入してみた。

ここで描かれているディストピアはどのようなものか。本書のイラストの印象的なところを追ってみよう。3部に分かれている。Part 1。テレスコープから声が流れる(スイッチを切ることはできない)。監視装置でもある。住宅の階段に「BIG BROTHER is watching you.」というポスターが貼られている。BIG BROTHER(モデルはヨシフ・スターリン)といえば、大学二年生のとき、一英語教師がBIG BROTHERシステムという上級生が下級生の面倒を見るという寮の制度を唱えた。これを聞いたとき驚愕した。英語教師がディストピア小説を読んでいないのかと。読んでいて使ったのなら最悪である。「戦争は平和なり 自由は隷属なり 無知は力なり」というスローガンが壁に彫られている。この国には4つの省がある。言葉とは裏腹に、真実省は虚実を垂れ流し、平和省は人々を戦争に駆り立て、愛情省は虐待を(建物に窓がない)、豊穣省は飢餓をもたらす。ある日、Wは日記を書く決意をする(1984年4月4日)。見つかると死刑。反セックス青年同盟、2分間ヘイト、「ブラザー連合」(体制の転覆を図る)。例の本。思想警察。思想犯罪。蒸発(夜に捕らえられて消されること)。「過去を支配する者は未来をも支配する。今を支配する者は過去をも支配する」が標語。修正作業で過去が改変されてゆく。「二重思考」(相反することを同時に考えて受け入れる)。不満を顔に出すと「表情罪」が適用されて捉えられるる。結婚とは「赤ちゃんづくり」と「党への義務」である。

Part 2。監視されていると思っていた娘から紙片を手渡される。「愛している」と書かれていた。「ディスカッション・グループ」という相互批判の集会がある。娘と野原や30年前に原爆が落ちた教会で逢引きを繰り返す。日常生活の中で「僕たちは死人だ」と気分が落ち込む。「ヘイト・ウィーク」には「ヘイト・ソング」が喧騒に鳴り響く。「ブラザー連合」と連絡を取って抵抗を誓う。

Part 3。密告されて、愛情省に捕らわれ、「暗闇のないところ」に収容される。7歳の娘(英雄児童)から思想警察に告発された男もいる。様々な拷問によって思想改造されてゆく。

これだけではわかりにくいので、粗筋を追ってみよう。1984年現在の世界である。1950年代に勃発した第三次世界大戦の核戦争(核を使うと2022年からのロシア・ウクライナ戦争か)を経て、世界はオセアニア(英国・米国)、ユーラシア(ロシア・東欧)、イースタシア(中国・日本)の三つの超大国によって分割統治されている。中国の三国志のように力が均衡するためには3つがよいということなのだろう。間にある紛争地域(アフリカ赤道部)をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。オセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に双方向性TVや街中に仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、すべての行動が当局によって監視されている。

オセアニアの最大都市ロンドンに住む主人公Wは、真理省の下級役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。過去の記憶は絶えず改竄されるため、その事実が存在したかどうかすら定かではない。Wは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める(見つかると死刑)。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。

「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性Jから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。古い物を売るCという老人の店(ノートを買った古道具屋)を見つけ、隠れ家としてJと共に過ごす。さらに、Wが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人Oと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白したエマニエル・ゴールドスタイン(モデルはれふ・トロツキー)が書いたとされる禁書をOより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。ところが、こうした行為が思想警察であったCの密告から明るみに出て、Jと一緒にWは思想警察に捕らえられ、「愛情省」で尋問と拷問を受けることになる。最終的に彼は、愛情省の「101号室」(当事者の一番嫌なもので攻め立てる。Wの場合は鼠が苦手)で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑される日を想って心から党を愛すようになる。

なお、マンガ本編の後にも『ニュースピーク(新語法)の諸原理』と題された作者不詳の解説文が付いており、これが標準的英語の過去形で記されていることが、主人公Sの時代より遠い未来においてこの支配体制が破られることを暗示しているらしい。ニュースピークは、思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法である。語彙の量を少なくし、政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法も考える方法も存在しなくなる。

本書は、オセアニアではなく、イースタシア(中国)に起こったディストピアを予言している。2017年以降、推定180万人のウイグル人等のイスラム少数民族の人々が「思想ウイルス」や「テロリスト思考」をもっていると中国政府から糾弾され、地域全体にある何百もの強制収容所に連行されている。ウイグル人の10人に一人が収容され、再教育センターという名のもとに洗脳教育を受けている。漢民族以外に対して、「コミュニティ型警察活動」を展開し、一つの民族のアイデンティティ、文化、歴史を消し去り、何百万人もの人々を完全に同化させることを中国共産党は目指した。これもニュースピーク(新語法)の諸原理に当てはまる。監視システムはオーウェンの想像を超えて、2020年台では警察官たちが身分証明書をチェックし、スマートフォンで顔をスキャンして身元を確認し、強制的なメディカルチェックを行い、綿棒で口内をぬぐってDNAを採取し、採血して政府のデータベースと照合する。音声認識ソフトウェアで該当者を特定できる。外国人を嫌悪するヘイトスピーチに相当するものもある。

本書は、全体主義国家による近未来世界の到来を予告している。反全体主義、反共産主義、反集産主義のバイブルとなったのも頷ける。政府による監視、検閲、毛に主義を批判する西欧諸国の反体制派が好んで本作を引用している。本書を読んで、監視社会の恐怖を再認識した次第である。

Book Review 15-4 時代小説 # 平家物語

 

『#茜唄(上)(下)』(今村翔吾著)、『#猛き朝日』(天野純希著)を読んでみた。前者は2022年『塞王の楯』で直木賞受賞。後者は2013年、『破天の剣』で中山義秀文学賞を、2019年、『雑賀のいくさ姫』で日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。

 

両書とも平家没落を描いている。有名なのは『平家物語』である。(「平治物語」「保元物語」と呼ばれることも多いそうだ)。鎌倉時代に成立したとされる軍記ものである。「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しでも広く知られている。

祇園精舎の鐘の声、所行無常の響きあり。沙羅双樹の華の色、盛者必衰のことわりをあらわす。奢れる者は久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。・・・」

両書に共通するのは、敗者から見た歴史である。「勝者の歴史」でない歴史。

平家物語といえば、『双調平家物語』(橋本治著)が頭に浮かぶ。『双調 平家物語』は全12巻。なんと第一巻は中国の安禄山やら楊貴妃のお話である。なんで平家物語が、中国王朝の話から始まるのか、と思いながら読み始める。なかなか、平家の時代に行かない。そうこうしているうちに時間が経ってしまい、2度も挫折している。機会があれば、是非読破してみたい(橋本治本に外れなし)。

さて、『茜唄』の粗筋は、平安時代末期の1180年、権力の中枢を支配し「平家にあらずんば人にあらず(平時忠の発言として有名)」とまで言われた平家の全盛時代にも陰りが見え始め、各地で反乱が起きていた。翌年に平清盛が死去し、源頼朝義経ら、源氏の反転攻勢が激しくなる。「源平の戦い」の主要な舞台となった一ノ谷の戦い(1184年)、屋島の戦い壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、滅亡するまでを、軍司として活躍した清盛の四男・知盛(それと知盛を「兄者」と慕う平教経)の視点で描いている。

なぜ清盛が捕らえた若き頼朝を殺さなかったのかという謎にも迫っている。著者が推測する理由は国家間の勢力均衡。『茜唄』では、知盛が木曽義仲を訪ねて和議を申し入れる場面があるが、『猛き朝日』でも、和議の話が出て来る。このころは、鎌倉(頼朝)、平泉(秀衡)、木曽(義仲)、法王(後白河)の四者の思惑が交錯しながら歴史が動いてゆくのがわかる。

 

次に、『#猛き朝日』の主人公は木曾義仲(朝日将軍)。本書を読む前までは、京都から平家を追い出したが、粗暴で京都人に嫌われ、義経に滅ぼされたと記憶していた。しかし、本書では、私欲や野心のない、申し分のない統領となっている。巴御前に葵御前、民や配下の者たちに愛されている。彼が戦に向かう理由は、「すべての者が等しく生きられる世の中をつくるため」。本書を読んでいると後白河法皇や頼朝らの策略に巻き込まれてゆく義仲に、ついつい肩入れして感情移入してしまう。

 よくある勝者の視点で書かれた物語よりも敗者のそれの方が面白い。久しぶりにななめ読みをしなかった2冊である。

Book Review 9-18医療 #グラフィック・メディス

 

『#グラフィック・メディスン・マニフェスト マンガで医療が変わる』(MK・サーウィック、他著)を読んでみた。病院総合診療学会で紹介していたので購入してみた。

 

「グラフィック・メディスン」という言葉を調べてみると、2007年に英国のコミック・アーティストのイアン・ウィリアムズらを中心に提唱された概念である。「マンガの表現を通して医療を広く扱う試み」として、医療従事者だけでなく、他の分野の研究者や表現者が繋がる活動の場としても国際的に広がっている。我が国でも2018年に日本グラフィック・メディスン協会が設立され、2019年に本書が翻訳されるなど、マンガ文化を誇る我が国の特性を活かして、グラフィック・メディスンの活動が動き出している。2023年には『日本の医療マンガ50年史 マンガの力で日本の医療をわかりやすくする』が刊行されたそうだ。

この領域に詳しい者によると、「グラフィック・メディスン」とはマンガのジャンルではなく「概念」であるそうな。英語圏で「グラフィック・メディスン」を提唱したグループには医学教育に携わっている者が多く、医療従事者が患者に対し、医療情報を伝達するコミュニケーションのツールとして、また、将来の医療従事者に対する教育ツールとしての側面から発展してきた概念である。ワークショップやロールプレイにおいて、マンガをいかに活用するかという観点からも研究が進んできている。医療従事者と患者、それぞれの立場から心象風景を絵で表現し、それを共有する取り組みなども展開されている。医療や健康、病気にまつわる、言葉では表現しきれない領域があることを認識し、絵という表現を通しての癒し効果についても注目されている。

本書から引用。「グラフィック・メディスンは、健康と病気をマンガで表現するたくさんの方法を探求することで、「客観的症例報告」を阻止する。マンガは、病いが本当はどんな感じなのか教える素晴らしい方法である。」「『グラフィック・メディスン』は、医学、病い、障がい、ケア(提供する側および提供される側)をめぐる包括的な概念であり、数量化による捉え方(一般化)が進む中でこぼれ落ちてしまいかねない「個」のあり方に目を向け、臨床の現場からグラフィック・アートまでを繋ぐ交流の場を作り上げようとする取り組み。」「第1回グラフィック・メディスン・カンフェランスが2010年にロンドンで開催された。BMJに論文が掲載され、表紙を飾っている。」「その一環として、マンガをコミュニケーションのツールとして積極的に取り上げたり、マンガの制作を通して気持ちや問題を共有したりする活動が行われている。」

 

一言で言うと、難しい文章で伝えることよりもグラフィックの方がズーと伝達に優れているということである。この本を手に取って一番納得できたことは、グラフィック・メディスンについて分担執筆している著者たちの長くてわかりにくい文章を全く読まなかったことである(読む気が起こらないから)。代わりにグラフィックだけを読んでいた。もっとグラフィックを増やしてよ!

 

ネットでは、グラフィック・メディスンとして手塚治虫のマンガや『#コウノドリ』(産科医の未受診妊婦や切迫流産、淋病等を取り上げている)、『#アンサングシンデレラ』(総合病院に勤める2年目薬剤師の院内を駆け回る活動)、『#リウーを待ちながら』(以前にBook Review 3で取り上げた。富士山麓にある病院で働く女性内科医が吐血し昏倒した駐屯自衛隊員を診察し、同じ症状の患者が相次いで死亡したため市は封鎖される。一歩間違えると新興感染症が蔓延する日本の近未来になりかねない)が挙がっている。

 

私も活字ばかり追っていないで、優れたマンガにもっと触れた方がよいではないか思うようになった。

Movie Review 3 #こうして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修医たちの10年~

2022年12月23日、NHKBSで放送された『#こうして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修医たちの10年~』の再放送を2023年5月19日に観た。現在、地域研修で当院に来ている沖縄出身の研修医が是非見たいというのが契機となった。

2012年に沖縄県立中部病院初期研修医たちのドキュメンタリー「こうして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修日記」を放送。2022年、10年後の指導医クラスとして活躍する彼らに再度カメラが向かう。

番組に登場する医師たちの原点となっているのが米国式の研修医制度(沖縄での医師不足解消のために導入)。徹底した実践主義で技術を体に沁み込ませ「何でも診られる医師」を育成することを目的とした。そんな臨床重視の研修で腕を磨こうと、全国各地の医学部を卒業した若者たちが今も集まって来る。多分、体力、知力、人間性の優れた若者が応募しているのであろう。今回の映像は、当時研修医だった4人の医師たちに光を当てている。

 

まず、国立広島大学病院の救急集中治療科のN医師。研修終了後、脳外科医となったが、米国に渡り救急医療の道へ。現在、エクモ(体外式膜型人工肺)のエキスパートとして家族と離れて単身赴任で昼夜治療にあたる。

そして感染症内科医になったY医師は中部病院に残って懸命にパンデミックと闘っている。(高山医師の指導を受けながら)病院に限定せず介護施設の連携強化に奔走する。

一方で、N医師は在宅医となって、患者との対話に重きを置き一人一人の生活状態に合った治療を探る。10年前、2年間一人で33%を高齢者が占める離島の医療を支えた。(救急病院初期教育と離島医療研修がセットになっているのだろうか)。地域の人々と密接に関わり信頼関係を築くことで、医療の質をより向上させられることを学び在宅医療の道へ進んだ。患者さんの抱える問題解決のために様々な人的リソースを集めて診療している(慢性疼痛で大学病院では解決できない患者に、鍼灸師や薬剤師の力を借りる等)。

また一方、国立がん研究センターのY医師は、研修医時代から人の死とどう向き合うべきか悩み続け、赴任先の離島であるがん患者と出会ったこと等を契機にがんの専門医を目指した。頭頚部腫瘍内科医として治療と研究に明け暮れる。研究が進まない焦りや葛藤を抱えながらも患者と寄り添い、共にがんと闘う。

専門分野によってアプローチはそれぞれ違っても、各医師が患者の命を扱うという同じゴールに向かって活動している。

私の身近に同じような経歴の医師として、手稲家庭医療センター長・病院総合診療・家庭医療科部長の小嶋一(はじめ)氏がいる。沖縄県立中部病院で研修をして、沖縄の離島伊平屋診療所で診療。その後、ピッツバーグ大学病院で研修。私の在職中から現在まで、札幌医大の総合診療入門の授業で、これまでの経験や医師としての生き方を学生に情熱的に伝えている。

この番組を観ると、医師としての仕事のすばらしさを再認識できる。そして、研修初期の総合的な研修と離島などの地域医療の現場での単独での実践が国民に求められる医師を培っているのではないかと思わずにはいられない。懸念もある。厳しい研修で燃え尽きて脱落した者はいなかったのだろうか。

この番組を医師に限らず、すべての国民が観てくれることを切に願う。

Book Review 28-2 SF #犬の心

 

『#犬の心』(ミハイル・ブルガーコフ著)を読んでみた。

 

作者は20世紀ロシア文学を代表する小説家・劇作家。レーニンの死から一年後に執筆。 1987年のペレストロイカまでソ連国内で62年間発禁。 現在はロシアの高校生の必読作品となったという。当時のソ連への痛烈な批判と皮肉を込めて書かれた小説で、シャリコフ(下垂体を移植されて人間になった犬)を粗暴な人間として描くことによってスターリンを批判しているようだ。

 

舞台は1920年代のソ連。野良犬(犬コロ)が医師に拾われる。この医師は、実はホルモン研究とアンチエイジングの世界的権威であった。そしてある日突然手術を施されて犬は人間に改造されてしまう。さらに犬は住宅委員会の幹部に洗脳されて俄か共産主義者に成長する。人間の睾丸と脳下垂体を移植され共産主義者として蘇ったシャリク(犬コロ)が、執刀医と繰り広げるバトル。

本書の肝は、「研究者が自然の摂理に従って手探りで研究を進める代わりに、力ずくで問題をこじ開けてしまった」という粗筋を読みかえて、「ソビエト政権は共産党が自然の摂理を歪めて力ずくで作り上げた社会制度である」となると本書あとがきで述べている。

このような歴史的な事項を扱うSFについては、最低限の歴史的事件の背景(ロシア革命)や人物(レーニンスターリン等)についての知識が必要であることを痛感した。

 

ソ連批判と言えば、『#ドクトル・ジバゴ』(ボリス・パステルナーク著)を思い出す(最後に辿り着くまでに居眠りをしながら何度も戻りながらビデオを観た)。ロシア革命の混乱に翻弄される医師と恋人の運命を描いた大河作品である。本書はロシア革命を批判する作品であると指弾されたためソ連国内では発表・出版はできず、イタリアで刊行されたという。ノーベル文学賞の授与を、ソ連共産党ソ連の作家同盟から著者を除名・追放すると脅迫して受賞の辞退を迫った。やむなく受賞を辞退したが、ノーベル委員会はこの辞退を認めず、一方的に賞を贈ったそうだ。このため公式に受賞者として扱われている。ソ連国内での発行禁止が解けるのは、『犬の心』と同様にペレストロイカの時代1988年である。

 

話のついでにソ連映画ベスト100を検索してみた。以下は私が観た作品。

ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー監督)。

宇宙ステーション「ソラリス」にやってきた心理学者はそこで不可解なことが起きていることを知る。ソラリスで活動する研究者たちは皆、精神疾患に苦しんでいた。そしてやがてそこに死んだはずの妻が現れるようになる。このSF映画は今でも多くの監督や芸術家にインスピレーションを与えている。

 

戦艦ポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシテイン監督)。

映画史の教科書。エイゼンシテインが、1905年に起こった第1次ロシア革命をテーマに製作した作品で、映画では傷んだ肉を食べさせられるのを拒んだ水平たちが反乱を起こした事件が描かれている。最も有名なシーンはオデッサの階段での虐殺シーン。乳児を乗せた乳母車が階段を駆け下ってゆく。恐怖の顔のモンタージュ

 

戦争と平和』(セルゲイ・ボンダルチューク監督)。

1812年ナポレオン戦争を背景にいくつかの家庭の物語を描いた(アカデミー賞を受賞)。

 

『犬の心臓』(ウラジーミル・ボルトコ監督)。本書も1988年に映画化されている(未鑑賞。以前は「犬の心臓」という題名であったが、本書の訳者が「犬の心」と改名した)。10位にランクされている。

 

『ストーカー』(アンドレイ・タルコフスキー監督)。

ストーカーと呼ばれる主人公は、厳重な警備の目をかい潜って、命がけで、隕石が落ちて出来た立ち入り禁止ゾーンへ人を案内している。あるとき、教授と作家と名乗る2人の男性が願いの叶う「部屋」に入りたいと頼んでくる。寓話的なS F小説「路傍のピクニック」を下敷きにしたもの。学生時代に新宿の映画館で鑑賞したが、全く理解できなかった。ほとんど眠っていた。タルコフスキーは眠りを誘う。

 

Book Review 12-3 スポーツ ボクシング

 

『#春に散る(上)(下)』(沢木幸太郎著)を読んでみた。朝日新聞に連載され、映画化もされている。元ボクサーが失意後の渡米から40年ぶりに帰国し、青春を一緒に過ごした仲間4人と才能がありながらボクシングをあきらめかけた若者と世界チャンピョンを目指して生きてゆく物語である。

 

著者はルポライターとして『テロルの決算』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『深夜特急』、『檀』、『凍』、『キャパの十字架』など数々のノンフィクションを発表。

ボクシングと言えば、強打を謳われた元東洋ミドル級王者カシアス内藤の四年ぶりに再起をかけた人生のノンフィクション『#一瞬の夏』(新田次郎文学賞)を思い起こす。その作品を下敷きにして綴った老トレーナーの老後に生き様を描いている。

 

元ボクサーのHは、若い頃は有望なボクサーで世界チャンピオンを嘱望されていたが、大事な一戦の敗北後、心の傷を負ったままアメリカに渡る。夢が叶わず、落ちぶれた生活に身をやつしたあと、ホテルで働き始める。その後成功して大金を手にするが、心臓発作に襲われるも手術を先延ばしして日本へ戻ることにした。後楽園ホールでのボクシングの試合観戦後、かつて世話になっていたボクシングジム経営者の娘に偶然出会う。その娘Rはその後を継いで若いボクサーを育てている。Hが在籍時にはジムは全盛期で将来有望な四天王がいたが、なぜか一人もチャンピオンになれなかった。Hはかつての仲間の消息を尋ね回る。それぞれに苦難の人生があった。紆余曲折はあったが4人で暮らせるシェアハウスを借りて共同生活を始める。そんな時街中でチンピラたちに絡まれる。Hが叩きのめした青年は引退を考えていた現役ボクサーKであった。Kはそれをきっかけに四人の指導を仰ぐことになる。順調にトレーニングをつんだKは、やがて世界タイトルに挑戦するまでに成長するが、ある日ボクサーにとっては致命的な網膜裂孔が発覚する。

Kは間近に迫った世界戦にどのように挑むのか。世界戦は日延べできないのか。レーザー治療をいつするのか。失明覚悟でそのまま臨むのか。・・・当日、試合は一進一退。さあ、Kは世界チャンピオンになれたのか。

その後、Kは眼の手術を受ける。Hは試合の結果を知り、病室のKを見舞い、Hは帰途につきながら、ふと桜が見たくなって運河の土手に向う。・・・そこで、『春に散る』。

分野は異なれども、年老いた内科医が優れた医師を目指す若き研修医に地域医療の現場でどうように知識や技能を伝えることができるのか。そんなことを考えながら本書を読み続けた。