Book Review 24-20歴史 #虚史のリズム

 

『#虚史のリズム』(奥泉光著、2024年)を読んでみた。1100頁をさすがに2週間では読了できず、図書館に返却し、kindleで挑むことにした。著者は『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞を受賞。『石の来歴』で芥川賞を受賞。本作で毎日文学賞を受賞。近畿大学教授(2024年3月定年退職)。他、受賞多数。

 

本作は、敗戦直後の1947年の東京・山形を舞台に、私立探偵・石目鋭二が軍人一家の殺人事件と国家機密「K文書」を追う、記憶と記録が錯綜する超規格外ミステリー。dadadadadadaという不思議なリズムとともに、現実と幻想が混ざり合う物語である。 

 

1947年、東京。探偵を志す石目鋭二は、レイテ島の収容所で知り合った神島健作の依頼で、山形の軍人一家・棟巍(とうぎ)家で起きた元中将夫妻の殺害事件を調査し始める。この事件では、長男夫妻や三男も行方不明となっていた。

石目は、東京裁判の行方をも左右しかねない海軍の機密「K文書」の行方を探る依頼を渋谷の愚連隊から受ける。

事件調査の過程で、戦争の記憶、皇道派、超右派宗教、dadadadadadaという不思議なリズムが作中に挿入され、物理的な現実と精神的な領域が混ざり合う。推理小説の枠を超えた歴史・SF的要素を含む意欲作。

 

読了途中で「これはいったい何を書いているのか」と立ち止まる。本作は、まさにそういう読者体験を意図的に仕掛けてくる作品らしい。

パラレルワールドなのか?

“歴史のもう一つの可能性”を扱っているという意味では、確かにパラレルワールド的。しかし、SF的な「別世界の設定」を楽しむというよりは、

・歴史の語り方そのものがいかに恣意的か

・史実と虚構の境界がどれほど揺らぎやすいか

・語り手のリズムや文体が「歴史」を作り出してしまう

といった、歴史観そのものへの問いが中心にある。

 “歴史とは何か”を揺さぶるためにパラレルな構造を使っている小説のようだ。

■ 犯人探しでも神話でもない、では何なのか?

「ミステリーの形式」を借りるが、犯人探しの快楽を目的にしていない。

本作も、事件や謎は“構造”として存在するけれど、それを解決することが目的ではない。むしろ、語りのズレ、文体の反復、歴史の断片の継ぎ合わせ、語り手の意識の揺らぎといった“リズム”そのものが主役。

この作品は、物語の筋やキャラクターの魅力で読むタイプではなく、「語りの運動」そのものを読む小説。

① 文体とリズムの快楽

意味よりも、語りの“揺れ”や“反復”が読者を引っ張る。

② 歴史の虚構性への批評

史実と虚構の境界が崩れ、読者は「歴史とは何か」を考えざるを得ない。

③ 読者の認識を揺さぶる構造

読み進めるほど、何が“本当”なのか分からなくなる。その不安定さこそが作品のテーマ。

奥泉光らしい「知的遊戯」

文学・歴史・哲学・音楽などが混ざり合い、一種の“思考のジャズ”のような読書体験になる。むしろ本作は、“どう読めばいいのか分からない”という状態を読者に経験させるための小説。

 

評価:★★★★☆

Movie Review 88  #ハリーの災難

 

『#ハリーの災難(The Trouble with Harry)』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1955年)をNHK BSで視聴した。ヒッチコック関連の本をいくつか読んでいたところ、NHKで偶々放映されたので観てみた。

 

本作はヒッチコック作品の中でも異色中の異色。「緊迫感もなく、コメディとしても面白みがない」。この作品はヒッチコックが「サスペンスの構造」をコメディに転用した実験作だという点にあるそうだ。

 

あらすじは、英国の田舎町を舞台に、一人の死体をめぐって起こる騒動をスラップスティック調に描いたコミカルなスリラー。ハリーという男の死体が発見された。妻は自分が殴ったために死んだと思い、死体を隠そうとする。だが、彼を殺したと主張する人物は他にも存在していた。彼らは真犯人を知らぬまま、ハリーの死体を担いで犯罪を隠蔽しようとするが・・・。

 

  1. 「死体があるのに緊迫しない」という倒錯した世界観

普通なら死体が出た瞬間に物語は緊迫する。でもこの映画では、死体が“日常の雑事”のように扱われる。

  • 埋めたり掘り返したりを淡々と繰り返す
  • 村人たちは死体よりも自分の恋愛や生活の方が大事
  • 誰も罪悪感を持たない

この“倫理のズレ”が、ブラックユーモアとなっているということだ。

  1. サスペンスの“構造”だけを残したコメディ

ヒッチコックはサスペンスの巨匠であるが、彼のサスペンスは観客だけが知っている情報を使って緊張を生む構造が特徴である。

この映画ではその構造を逆手に取って(実験)、

・観客は「死体がある」ことを知っている

・しかし登場人物はのんき

・そのギャップがじわじわと可笑しい(そんなに可笑しくないが・・・)

  1. 英国の風景映画としての価値

風景の美しさが評価されている。

・鮮やかな紅葉、のどかな田舎の空気、死体があるのに牧歌的という対比

“死体を中心にした静かな絵画”のような作品。

  1. 登場人物の“ズレた会話劇”

この映画の笑いは、いわゆる「ギャグ」ではなく、会話のテンポと価値観のズレにあるそうだ。

・死体よりも恋愛の方が大事

・罪悪感がない

・どこか哲学的で、どこかとぼけている

 

この映画は、万人向けではない。むしろ「面白くない」と感じる人の方が多いくらいである。

 

評価:★★★☆☆

Book Review 29-5 映画 #ヒッチコックをさがせ!

『#ヒッチコックをさがせ!超近接的映画鑑賞のすすめ』(D・A・ミラー著)を読んでみた。著者はカリフォルニア大学バークレー校名誉教授。専門は映画および19世紀文学。コロンビア大学ハーバード大学で教鞭をとり、東京大学客員教授も歴任。

こんなに面白い本は久しぶりである(斜め読みをせずに一日で読了した)。“サスペンスの帝王”アルフレッド・ヒッチコックの古典的名作たちをコマ単位で徹底分析するという超近接的映画鑑賞で作品の粗探し(?)をする本である。それが大変面白いのだ。実際どのように行うのか。それはDVD視聴によって、スクリーンで観ていたら見逃すしかない数々の細部を発見することで、全く新しい作品像を浮かび上がらせるのだ。倍速視聴ではなく、倍”遅”視聴なのだ。本書を読了後、『ヒッチコックの映画術』という映画をamazon prime videoで見つけて視聴したが、内容が凡庸で全く退屈で面白みがなかった。 

ヒッチコックは自分の作った映画に「カメオ出演」することで有名であるが、一作品に一度見つけたといって安心してはいけない。何回も出演している作品もあるという。『見知らぬ乗客』(原作はパトリシア・ハイスミス)では、主人公が列車の中で読んでいる本をチラッと映った影から、本の題名を探り当てる。終にはその本を注文して、宝物としてビニール袋に入れて厳重に保管しているという(その本はヒッチコックが書いた本らしい)。

『ロープ』は長回し撮影で有名であるが。フィルムの関係で11か所繋ぎ箇所があるという。その繋ぎ箇所を同定し、問題点を探すのだ。何と話が矛盾するような繋ぎ間違いが数か所もあるのだそうだ。

『間違えられた男』でも粗探しをしている。それが大変面白い。例えば、主人公が護送される車が三度映る。その車のナンバーが映写の前後で異なっているというのだ。こんなことはこれまでの評論家は指摘していないようだ。著者は本作を劇場で観る機会をとらえ勇んで視聴したところ、全く面白くなくてがっかりしたという。倍”遅”視聴でなければ、面白くないのだ。常軌を逸している。2時間の映画を2週間もかけて観るのだから。日本語版のみに追加された章『ダイヤルMを廻せ!』でも粗探しをしている。

本書はヒッチコックを蔑んでいるのではなく、あの天才でも間違いを犯すのだと指摘し、ヒッチコック作成の数々の作品へ視聴者を駆り立てることだろう。

 

ヒッチコックの映画の魅力は、単に「サスペンスの巨匠」という一言では到底収まらない。むしろ、観客の身体感覚・倫理観・想像力を直接揺さぶる“映画という装置”そのものの発明者と言っていい。

  1. 観客を“共犯者”にする仕掛け

ヒッチコックは、観客をただの傍観者にさせない。

・『裏窓』では、観客はジェフと同じく“覗き見”の快楽と罪悪感を共有する

・『サイコ』では、観客はマリオンの逃走に肩入れした直後に、彼女を失う衝撃を味わう

・『見知らぬ乗客』では、観客は主人公の無実を知りながらも、状況が悪化していく焦燥を体験する

ヒッチコックは、観客の心理を映画の素材として扱った最初の監督と言える。

  1. “物語”より“映画的体験”を重視する構造

ヒッチコック映画は、筋書きだけ追うと意外とシンプル。しかし、カメラの動き、編集、音、視線誘導が組み合わさることで、物語以上の体験が生まれる。

・カメラが主観と客観を自在に行き来する

・重要な情報を“見せない”ことで観客の想像力を刺激する

・音楽や沈黙を使って緊張を増幅させる

 “超近接的映画鑑賞”は、まさにヒッチコックの本質に触れる方法だ。

  1. 日常の中に潜む不安を可視化する

ヒッチコックの恐怖は、怪物や超常現象ではなく、日常のひずみから生まれる。

・隣人(『裏窓』)

・母親(『サイコ』)

・鳥(『鳥』)

・会社の上司(『疑惑の影』)

「ありふれた世界が、ある瞬間から異様に見え始める」

  1. 形式とテーマの二重構造

ヒッチコックは娯楽映画の巨匠でありながら、作品の奥には常に倫理・欲望・権力・視線といった深いテーマが潜んでいる。

・観る/観られるの関係

・罪と無垢

・家族の闇

・性と抑圧

・国家権力と個人(『北北西に進路を取れ』など)

  1. 俳優の身体とカメラの関係性

ヒッチコックは俳優を“動く彫刻”のように扱い、身体の配置・動き・視線を通して物語を語る。

特にグレース・ケリーイングリッド・バーグマンジェームズ・スチュワートケイリー・グラントなどは、“ヒッチコック的身体”の象徴と言える。

  1. 何度観ても新しい

ヒッチコック映画は、初見では「スリル」、再見では「構造」、さらに観ると「倫理」「視線」「社会性」が見えてくる。まさに観るたびに別の映画になる。

例えば:

・倫理の揺らぎを味わうなら → 『疑惑の影』

・視線と欲望の構造なら → 『裏窓』

・国家と個人の関係なら → 『北北西に進路を取れ

・女性の主体性と抑圧なら → 『めまい』

・日常の破綻なら → 『鳥』

 

効率を追求して、早送りでたくさんの作品を観るのではなく、じっくりと鑑賞することの重要性を教えてくれる本である。

 

評価:★★★★★

Book Review 15-36 時代小説 #奥州狼狩奉行始末

 

『#奥州狼狩奉行始末』(東圭一著、2023年)を読んでみた。著者は九州さが大衆文学賞大賞(笹沢左保賞)受賞。本作で角川春樹小説賞を受賞し、日本歴史時代作家協会賞新人賞も受賞。

2026年2月2日、札幌は今週も大雪で、路線バスは運休し、駅まで歩く。雪の多い新年である。

 

江戸時代、馬産が盛んな地域にとって、狼害は由々しき問題だった。そのため、奥州には狼を狩る役・狼狩奉行が存在した。その成り手のいない狼狩奉行に就くよう藩から命じられたR。父親が三年前に非業の死を遂げ、家督を継いだ兄も病で臥せっている。家のため、命を受けたRだったが、狼の群れは賢くて大きな狼の「黒絞り」という頭目に率いられ、かつてないほど凶悪になっているという。だがその「黒絞り」を追う内に、父の死の真相、藩の不正が見えて来る。野馬別当らによる野馬の密売を疑う証拠が散見されるようになる。狼の退治だけでは終わらない。そこには人の欲望が見え隠れする。むしろ狼より人の邪心を退治することが眼目に思えた。しかも彼の父親の非業の死とも関連している可能性が出てきた。「黒絞り」追いながら、同時に不正を暴こうとするR。黒絞りのラストの姿に清々しさを感じる読者もいることだろう。

開発のために山に餌が少なくなり止む無く馬を襲い出した狼の群れは、現在の熊(羆)出没問題にも通じる。

 

本書は、史実に残らない“民衆の恐怖”“行政の矛盾”“地方社会の力学”を、狼という存在を軸に描き出す構造になっている。江戸時代の行政制度のリアリティと、創作の自由が絶妙に混ざり合っている。

狼という存在が単なる動物ではなく、人間社会の闇や矛盾を映す鏡として描かれている(畏怖の対象、山の神の使い、農村を脅かす害獣、権力の象徴に利用される存在)。

狼狩りという具体的な行為を通じて、江戸社会の構造が立体的に浮かび上がる。狼を巡る恐怖、噂、利害、信仰、そして個々の人生の選択があり、“事件”よりも“人間”が主役で、そこに作品の深みがある。

 

狼狩奉行という正式な役職は史料上確認されていない。ただし、作品の背景となる江戸後期には“狼に関わる行政・狩猟の実務”は確かに存在した。

史実として存在したもの

・狼害対策としての村単位の「狼狩」

・幕府・藩による獣害対策の役職

たとえば「山奉行」、「山方役」「御林守」など。

狼の保護政策(江戸前期)

・狼は“猪や鹿を減らす益獣”として保護された時期もあり、捕獲に許可が必要な地域もあった。

つまり、「狼狩りを統括する役人」は実在したが、「狼狩奉行」という名称は作者の創作となる。

 

評価:★★★★☆

Book Review 9-35 医療 #アルツ村

 

『#アルツ村』(南杏子著、2022年)を読んでみた。著者は、大学卒業後、出版社勤務を経て、東海大学医学部に学士編入。卒業後、慶應義塾大学病院老年内科などで勤務したのち、スイスへ転居。スイス医療福祉互助会顧問医などを務める。帰国後、都内の高齢者病院に内科医として勤務し、執筆活動もしている。本書は現役医師作家の北海道を舞台としたメディカル・サスペンスである。

夫のDVに耐えかねて札幌の自宅を飛び出した主人公Aは、道北の見知らぬ村にたどり着いた。7歳になる娘のRと一緒に。村で匿ってくれたのは高齢夫妻(男性と床に臥す妻)だった。彼らは認知症なのか、Aのことを孫娘と勘違いして孫娘の名前を呼ぶ。近隣の住民からも温かく迎えられたA親子であったが、この村は何かおかしい雰囲気が漂っている。住民は皆高齢で、しかもほぼ全員が認知症を患っているように思われるし、そもそも自立した生活が成り立っていないようなのだ。村まるごとが高齢者用施設ということなのか。しばらく滞在すると、認知症の人を「ケアされる存在」ではなく、主体的に生きる住民として捉える視点が芽生えて来る。主題は、老老介護、ヤングケアラー、介護破綻等の日本における「認知症のいま」を問う話の流れかと思っていたのが・・・。

最後にどんでん返しが待っている。そう来るか、と。小説としても楽しめる。

 

日本の認知症の現状(2024–2026年時点)

  1. 患者数と将来予測

認知症の人:約450万人(日本認知症学会)

・MCI(軽度認知障害):約550万人(同上)

認知症+MCI 合計:1,000万人超(政府推計)

・2040年の予測:認知症584万人(65歳以上の約7人に1人)

・MCIは2040年に612万人へ増加見込み

  1. 国の政策動向:共生社会への転換

認知症基本法」(2024年施行)

認知症の人が尊厳を保ち、希望を持って暮らせる社会を目指す法律。

・偏見の解消、地域支援、家族支援、研究推進などを包括的に規定。

・社会全体で支える「共生」の視点が強調される。

認知症施策推進基本計画」(2024年12月閣議決定

認知症・MCIの増加(2040年に1,200万人規模)を前提に策定。

・早期診断、地域包括ケア、就労支援、社会参加の促進などを柱とする。

  1. 早期診断の課題と現状

神戸大学の調査では、早期診断には以下の課題が指摘されている:

・受診の遅れ:本人・家族が「年齢のせい」と考え、受診が遅れる傾向。

・地域差:専門医・検査体制が地域で不均等。

・家族の負担感:診断後の生活設計や介護負担への不安が大きい。

  1. 研究と医療体制の動向

・日本認知症学会は、臨床・基礎研究の推進、診断基準の整備、専門医育成を進めている。

・画像診断やバイオマーカー研究が進展し、早期診断の精度向上が期待されている。

・一方で、地域医療ではかかりつけ医の役割が重要視され、認知症初期集中支援チームの整備が進む。

  1. 地域社会の課題と取り組み

認知症の人が地域で暮らし続けるための「認知症カフェ」、「見守りネットワーク」などが全国で拡大。

・しかし、地域差が大きいこと、家族介護の負担増が依然として課題。

・北海道では広域性ゆえに、医療アクセスや移動支援が重要テーマになっている。

日本社会の課題

・「共生社会」への政策転換は始まったが、現場ではまだ「支援する側/される側」の構図が根強い。

・地域の文化・風土に合わせたケアの多様性が不足している。

・本人の意思決定支援が制度的に十分ではない。

・家族の負担軽減策が追いついていない。

評価:★★★★☆

Movie Review 87  #Love Letter

 

『#Love Letter』(岩井俊二監督、1995年)をAmazon Prime Videoで視聴した。NHKのアナザー・ストリーズで紹介。日本文化導入の禁を解き、1999年日本映画として本作が上映されると爆発的な観客を呼び込み(140万人)、今でもその人気は衰えないという。海賊版を500回見た人がいるそうだ。監督の劇場用長編映画監督第1作である。日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞。韓国では劇中に登場する「お元気ですか?」という台詞が流行語となった。舞台となった小樽には韓国人観光客が大勢訪れた(「ラブレター効果」)。

 

神戸に住む渡辺博子は、山岳事故で亡くなった婚約者であった藤井樹の三回忌に参列したあと、彼の母から彼の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。博子はそのアルバムに載っていた、彼が昔住んでいたという小樽の住所へ「お元気ですか」とあてのない手紙を出す。

博子の手紙は、小樽の図書館職員で同姓同名の女性・藤井樹のもとに届く。樹は不審に思いながら返事を出すと、博子からも返事がくる。奇妙な文通を続けていたが、博子の友人Aの問い合わせで事情が判明する。博子は樹に謝罪し、婚約者だった藤井のことをもっと知りたいと手紙を出す。

樹は藤井とクラスメイトだった中学時代の思い出を手紙に綴る。同姓同名の二人の藤井樹はクラスで囃し立てられ、図書委員にされてしまう。女子の樹は誰も借りない本ばかり借りるなどの風変わりな男子の藤井に戸惑う。樹は久しぶりに母校を訪ね、図書委員の女子生徒たちから、図書カードに残る「藤井樹探しゲーム」が流行っていると聞かされる。

Aは博子を連れて、藤井樹が死んだ山のふもとの山小屋に泊まる。小樽の樹は風邪をこじらせて倒れる。樹の父親は救急車が間に合わず亡くなっていた。祖父は吹雪の中、樹を背負って病院に運ぶ。樹は祖父とともに入院する。

翌朝、Aは藤井が死んだ山に向かって「博子ちゃんは俺がもろたで」と叫ぶ。博子は「お元気ですか。私は元気です」と繰り返し呼びかけて号泣、ようやく藤井への思いを断ち切る。小樽の樹も病床からうわごとで「お元気ですか」とつぶやく。

小樽の樹は中学3年の正月に父親を亡くしたが、なぜか藤井が訪ねてきて図書室で借りた本を樹に預けて引っ越していった。博子は退院した樹に今までもらった手紙を「あなたの思い出だから」と送り返し、藤井は図書カードに(女性の)樹の名前を書いていたのではないかと問う手紙を添える。樹の家に図書委員の女子生徒たちが訪ねてくる。藤井が樹に預けた本の図書カードの裏には、樹の似顔絵が描かれていた。

本作の魅力

  1. 「切なさ」を極限まで研ぎ澄ませた物語性

・死者に宛てた手紙に“返事が来る”という設定が、喪失と再生を静かに往復させる構造になっている。

・韓国ではこの映画を通じて「切ない」という日本語を知ったという声が多く、感情のニュアンスが新鮮だったと語られている。

  1. 北海道の冬景色が象徴する“純度の高い感情”

・雪原の白さ、静けさ、冷たさが、登場人物の内面と呼応する。

・韓国の観客は「北海道の銀世界に見とれた」と語り、映像美そのものが強烈な印象を残した。

  1. 中山美穂の存在感と、岩井俊二のデビュー作としての鮮烈さ

中山美穂の透明感ある演技が“初恋の記憶”を普遍化した。

岩井俊二の長編デビュー作であり、光と影の扱い、手紙という媒体の使い方など、後の作風の原点が詰まっている。

◆ 韓国で爆発的ヒットになった理由

  1. 日本大衆文化の解禁直後という歴史的背景

・韓国では1998年まで日本の大衆文化が禁止されていた。

・解禁後、北野武HANA-BI』に続く“2作目”として上映されたのが本作。

・長年の文化的渇望が一気に噴き出し、観客が殺到した。

  1. “密かに楽しんでいた”人々の存在

・解禁前から日本映画やアイドルをこっそり楽しんでいた層が、堂々と映画館に行けるようになった。

  1. 韓国社会の空気と作品の感情が共鳴した

・1990年代後半の韓国は経済危機(IMF危機)で不安が広がっていた時期。

・“静かで、優しく、痛みを抱えた物語”が、観客の心に深く刺さった。

・再上映が何度も行われ、2017年・2013年・2016年・2025年にも人気が再燃している。

◆ 当時の韓国映画事情(1990年代後半)

  1. 日本文化禁止政策の終焉(1998年)

・それまで日本映画・音楽・漫画は原則禁止。

・1998年の金大中政権で段階的に解禁され、外国文化の多様化が一気に進む。

  1. 韓国映画産業の転換期

・1990年代半ばまではハリウッド映画が圧倒的に強く、韓国映画は低迷。

・しかし1997年以降、韓国映画は“ルネサンス期”に入る。

『シュリ』(1999)、『JSA』(2000)、『友へ チング』(2001)

こうした大作が登場する直前の“空白期”に、本作の静かな世界観が強烈に受け止められた。

  1. 観客の“新しい感情”への渇望

韓国映画は当時、暴力・社会派・メロドラマが中心で、岩井作品のような“透明な感情表現”は珍しかった。

・そのため本作は“新しい感性の映画”として受け入れられた。

 

評価:★★★★★

Movie Review 87  #夜の大捜査線

 

『#夜の大捜査線(In the Heat of the Night)』(ノーマン・ジェイソン監督、1967年)をNHK BSで視聴した。ジョン・ボールの小説『夜の熱気の中で』を原作としている。本作が好評だったため、続編が製作され、1988年からTVシリーズも放送された。主題歌は映画の題名と同じタイトル"IN THE HEAT OF THE NIGHT"であり、レイ・チャールズのヒット・ナンバーとなった(早速amazon music からdown loadした)。

 

人種差別が厳しい南部州にある小さな町で起きた殺人事件と偶然捜査に参加するようになった腕利きの黒人刑事、そしてことごとく対立する白人の警察署長と、その捜査の様子を苦々しい目で見ている地元有力者、よそ者の黒人をリンチしようとする人種差別的な住民たちの緊迫した対立の関係には当時の公民権運動の緊迫感をも感じ取ることができる。

 

富豪の実業家Cは、南部州の町に工場を建てるために引っ越してきていた。ある夜遅く、SW巡査は、パトロール中に通りに横たわるCの他殺体を発見する。SW巡査は、駅の待合室でVTを見つけ、黒人の彼が財布に大金を持っていたため、犯人に違いないと判断して逮捕するが、警察署長Bは彼が東部から来た殺人課の刑事であることを知る。VTは帰省旅行の途中であり、次の列車で町を出ようとするが、電話に出た上司はVTに町に留まって殺人事件の捜査を手伝えと言う。B署長は町の多くの白人と同様に黒人を嫌っていたが、VTと一緒に捜査をすることにしぶしぶ同意する。

B署長らは、被害者の財布を持って逃走したHを殺人容疑で逮捕するが、彼は無実を訴える。VTは死体を検分して犯人が右利きであると判断し、Hが左利きであることから彼が容疑者ではないことを見抜く。被害者の妻C未亡人はVTの有能さを感じ、彼が捜査を指揮しなければ工場の建設を中止すると主張する。

綿花農園主がCの工場建設に反対していたと知り、VTは彼を訪ねる。被害者Cの車に残っていたシダの根が農園主の温室にもあったことから、この農園主への疑いが深まるが、話をしているうちに彼に平手打ちされたVTは思わず彼に平手打ちを返してしまい、その後は町の若い白人たちに狙われるようになってしまう。

それでもVTは捜査を進め、SW巡査に事件当夜と同じ時刻に同じコースでパトロールを再現するよう求める。そこにB署長も同行するが、彼が同じコースを通らなかったことをVTが気づくと、B署長はSW巡査に疑いを抱き、彼が事件の翌日に銀行に大金を預けていたことを突き止めると彼を逮捕する。しかし、彼が巡回コースを変えたのは、外から丸見えの自宅の部屋で、毎晩裸で過ごしている若い女性Dの姿を毎晩パトロール時に眺めていたからだと推理したVTは、またもやB署長の誤認逮捕を指摘する。

そのDは兄を伴って警察署を訪れ、SW巡査と以前一夜を共にしたことで妊娠したと訴え出るが、その話に疑いを持ったVTは、町民が堕胎したいときに訪れる黒人雑貨屋の女性を訪ね、誰がDの実際の相手だったのかを聞き出そうとする。そこに丁度Dと男が堕胎に来る。男は町でダイナーを営んでいる男であった。さらにそこに白人の若者たちがVTに危害を加えようと集まってきたため、VTは男がDの相手であることを明らかにし、男たちの一人が迫ろうとしたところで逆に射殺されてしまい、男は逮捕される。一連の事件は解決し、VTは列車に乗り込むため駅にやって来る。見送りに来たB署長はVTの鞄を運んでやり、多少きまり悪い様子を見せつつも、彼と温かい別離の挨拶を交わすのだった。

 

本作の魅力は、単なる「人種差別を背景にしたサスペンス」では収まらない、複層的な緊張と人間ドラマの融合にある。

  1. 南部の空気そのものが“もう一人の登場人物”になっている

物語の舞台となる南部の小さな町は、単なる背景ではなく、
偏見・閉鎖性・恐怖・プライドが渦巻く“社会の縮図”として機能する。

・町の人々の視線や沈黙が、暴力よりも強い圧力として描かれる

・その空気の中に、北部から来た黒人刑事ティブスが放り込まれることで、緊張が常に張りつめる

  1. VTとB署長の“敵対から相互理解”のドラマ

この作品の白眉は、事件そのものよりもVTとB署長の関係性の変化である。

・最初は露骨な敵意と偏見

・しかし、互いの能力・弱さ・孤独を知るにつれ、ぎこちない尊重が芽生える

・最後に交わされるわずかな温度の変化が、派手な和解よりも深い余韻を残す

  1. ミステリーとしての構造が“偏見”を暴く仕掛けになっている

事件の真相は意外にシンプルだが、町の人々の偏見が捜査を混乱させるという構造が秀逸である。

・「黒人だから怪しい」、「よそ者だから怪しい」という思い込みが、真実から目をそらさせる

・偏見が“犯人探しの妨害要因”として機能する

「社会のバイアスが事件を歪める」というテーマそのもの。

  1. シドニー・ポワチエの存在感が“歴史的”

VTが放つ“They call me Mister Tibbs!” という台詞は、米国映画史に残る象徴的瞬間である。

・黒人が白人に対して「敬意を要求する」こと自体が当時は革命的

・その一言に、抑圧された歴史と誇りが凝縮されている

ポワチエの静かな怒りと品格が、作品全体を引き締める

「強い信念を持つ人物」、「社会に抗う個の尊厳」がここにある。

  1. 1967年という“時代”を映し取った映画であること

公民権運動の真っ只中に作られた作品であり、映画そのものが社会的アクションであった。

・当時の南部では黒人俳優が白人に触れるだけで問題になるほど

・その中で、VTが白人の頬を平手打ちするシーンは歴史的事件

・映画が社会の変化を後押しした稀有な例


本作は偏見の闇の中で、わずかな理解と尊厳の光を見つける物語である。事件の解決よりも、VTとB署長が互いの“人間性”を見つける過程こそが、最大の魅力である。

 

評価:★★★★★