Book Review 9-28 医療 #「いのち」の現場でとまどう

 

『#「いのち」の現場でとまどう』(徳永進著)を読んでみた。著者は鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院で内科医。1982年、『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞受賞。終末期医療の現場として「野の花診療所」を運営している。

若いときに、『死の中の笑み』を読んで、こんなに患者さんに寄り添う医師がいるのだということに感動した。そんな徳永医師に近づきたいと思って若き日々を過ごした。

さて、本書は慶応義塾大学で行った医学概論の講義内容と著者と社会思想史の高草木光一教授(慶応義塾大学)の往復書簡からなる。

 

医学概論というと概念的な言葉が並びそうだが、豈図らんや、著者は難しい言葉を使わない。様々な終末期の患者事例がでてくるかここでは割愛する。

 

ガイドライン等、あらかじめ決められた指針に従う医療に違和感を示している。そのような状況を著者は「線の時代」と呼んでいる。何に対してもマニュアルが用意されており、それに従うに強いられてゆく。それを別の言葉で「臨床の定置網化」とも呼んでいる。医療の現場は「とまどう」ことの連続である。一人ひとり個体差があるから医療者の思う通りにならないのが医療であると著者は達観する。本書のタイトルにあるように、スパッと決めてしまうのではなく「とまどう」ことの大切さを説いている。私も同感である。

 

また、容易に答えの出ない事態に共感を持って患者と一緒に耐えうる能力である「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性を説いている。これについては精神科医であり小説家でもある帚木 蓬生氏が『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を出版しているので、一読されたい(妻の座右の書である)。

 

医学はケアを内包していなければならない。特に終末期医療においては、医師よりも看護師の方がズーと役に立つことを強調している(私も同感である)。

 

近年、医学用語は「インフォームド・コンセント」、QOL、ADLなど外国語が席巻しているが、和語を使って臨床を支えられないかと問題提起をしている。「たっとぶ」、「いつくしむ」、「さする」、「はぐくむ」、「ひらく」、「わらう」、「とまどう」、「そばにいる」、「よりそう」、「ある」、「いる」等。近代医療語ではなく、このような言葉を使って医学概論を論じたいと述べている。医学概論を平易な言葉で語るのもその一貫なのであろう。

 

著者はハンセン病に深くかかわって来た。その出会いと関わりについて詳しく書かれているので、ハンセン病についての歴史を知ることができる。

 

最後に、往復書簡の中で、著者が尊敬する鶴見俊輔氏の10の教えについて述べている。

  1. 正しさを押しつけない(私にとって正しい人は怖い人である)。
  2. 誰の内にも外にも悪はある(いつも正しくはいられない)。
  3. おもしろい(自分が知らなかった事態や思考に出会える)。
  4. 持続は力(浮き沈みとどう付き合うか)
  5. 不安定の思想(どっちであっても、不定形は悪いことではない)。
  6. 態度という思想(日常生活におけるその人の態度が大事である)。
  7. ディスコミュニケーションに対して何か努力をしたときコミュニケーションが生まれる。
  8. 家族は親しい他人(一定の規範を押し付けない)。
  9. 家族ではない「その他の関係」が大事(老人施設のスタッフや訪問看護師)。
  10. 郷土愛(思想対立を超える)。

 

肩肘を張らずに死と向き合っている一人の医師のあり方が紙面に溢れている。是非、多くの人たちに一読して頂きたい。

 

2024年4月2日、NHKBSドキュメンタリ『黄昏高原診療所2024』をたまたま観た。九州大学教授退官後、大分県飯田高原の小さな診療所に赴任した野瀬善明医師の姿を追う。過疎化が進む高原で、住民たちの診療にあたる一方で、新たに移住した世代と高齢者を引き合わせて地域に新たな交流をもたらすなど、人々が人生の黄昏を豊かに過ごす手助けをしている。医者との会話が、医師がやめないので1時間以上かかるとあきれて診察室を出て来る患者の姿に思わず微笑んでしまった。医師が楽しんで診療する姿を見せれば、過疎地に来る医師も増えるのではないかという言葉が印象的であった。