Book Review 9-19医療 #病を治す希望の力

 

希望の話の前に、その対語である絶望について記す。最近、NHKの「#ラジオ深夜便」で人気の内容が書籍化された。その名が『#絶望名人1、2』の2冊。潰瘍性大腸炎で十数年床に臥せた著者(頭木弘樹氏)が著した書。病気や事故、災害、失恋、挫折、などで人生に絶望したときには、希望よりも絶望を見つめ、絶望の中で書き留められた珠玉の言葉がよいというのだ。カフカドストエフスキーゲーテ太宰治芥川龍之介シェークスピアの言葉が並べられている。絶望の経験のない私には、ちょっと追従できなかった。そんな訳で、机の脇に長らく積んであった『#病を治す希望の力』を紐解いて、絶望の反対の希望についての学ぶことにした。

 

『#病を治す希望の力』の著者はジェローム・グループマン氏である。NEJMの元エディター。腫瘍学、血液学、AIDS 治療の第一人者。ハーバード大学医学部教授。

 病気の克服に必要なことは、精神の力と言われることがある(精神主義)。不治の病でありながら最期まで希望を持って立ち向かったが、多くの者は甲斐なく亡くなる。その一方で、医学的には絶望と思われた状況から奇跡的な治癒を果たす人たちも少なからずいる。その違いは何であるかを、関わってきた事例と自らの体験とを重ね合わせて、そこから見えてきた「希望」と「治癒」との関係を、科学データを駆使して詳細に検証している。

 

本書の仮説は、「希望は病気の進行を実際に遅らせ、患者が病を克服するのを助けることができるのだろうか」である。著者は希望を信じている。著者は脊髄手術に失敗し、痛みを抱えて19年間を過ごしたが、あるリハビリ医に出会い、「希望が著者の回復を可能にした」という体験をしている。そのようなことから、患者の人生の背景や物語を丹念に調べることで「希望や絶望がどのように治癒の要因として働くか」を調べて出版に至ったようだ。

 

 本書は、はじめに希望のない例が提示される。患者の生死を分けた「希望の力」の理屈で捉えきれない実例を考察する。まず、乳がん患者で「私の癌は、神の罰なのです」と病気をとらえ、「化学療法は受けないわ」と決断し、34歳の若さで亡くなった女性。拡大乳房切除以外に治療法のない時代であった。京都大学総合診療科入院患者第一例は乳がん患者で私が担当した。巨大な乳がんを放置して、それが自壊して貧血で苦しむ老年女性であった。著者は「人が希望を持てるのは、真の選択があることを知ったときだけである。」と結んでいる。治療により症状の改善が見込めるという情報がないと希望は醸成されないのだ。

次は、結腸がんで肝臓と脾臓に転移し、腹水もある患者。胃がんがライフワークの医師が未分化胃がんになるが、再発しなかった。予後不良なのに平均寿命以上生存している。その理由はここでは提示されていない。

不治の病であった急性骨髄性白血病がレチノイドを使用し、抗ウイルス薬「カクテル」の開発された時期でもあり、完治した患者。

非ホジキンリンパ腫モノクローナル抗体で治療して完治した患者。

時代が進み、乳がんで「単純」な乳房切除術を受ける(脊髄、骨盤、肋骨に転移しているが)患者。乳がん細胞の表面にHER-2タンパクがあったため、ハーセプチンが有効であり、コントロールされている。
 このような事例から、著者は治療法の進歩と相まって、「医師の役割は希望を育てるのを助けることである」と結論している。

 

中盤に著者の慢性疼痛を克服した道のりが語られる。「痛みを無視すること」「筋肉に負荷をかけ、その負荷をだんだん強くすることで、過去の痛みの記憶を手放すようにする「再教育」をすること」で乗り越えたそうだ。

 

以上の患者の体験や自らの体験からプラシーボ効果に著者は着目する。「プラシーボは効き目がないとする仮説」に疑問を持ち、プラシーボは顕著な生物学的効果を持っている実験例をいくつも提示する。

薬は痛みを遮断する力を持っている。脳内の物質「エンドルフィン」「エンケファリン」もそれを脳内に放出させて痛みを遮断することができる。ところが生理食塩水でもモルヒネの代わりになる。この変化を引き起こす二つの主な要因は「信念」と「期待」である。これらがあれば偽手術でも痛みは軽減するそうだ。

逆に、肉体の衰弱によって痛みを感じて、絶望感強くなればなるほど、エンドルフィンやエンケファリンの放出は少なくなりコレシストキニン(痛み物質)の放出が多くなる(悪循環)。それゆえ悪循環を断ち切ることが重要である。

プラシーボの実験は、信念と期待が自律神経に強い影響を与えうることをほのめかしている。喘息発作の実験でも同様のことが起きるそうだ。

本物の薬がもらえると信じ、期待しているパーキンソン病患者にプラシーボを与えると、同じように強烈な変化がPET上で起こる。プラシーボは実薬と同様のドーパミンを脳から放出させた。

 

希望は認識と情動、二つの部分から成る感情である。希望とは、心の中に明るい未来を思い浮かべる時に経験するエネルギーに満ちた高揚した感情である。治癒に向かわせるためには、現在の込み入った状態とは違った感情の状態を脳が生み出す必要がある。

扁桃体が恐怖を仲介する回路の重要な部分である。本物の希望は現実に存在する脅威を考慮し、それらを避ける最良の道を探すことである。

どのようにしたらネガティブな感情を消し去ることができるか。偏桃体の部位を抑制する回路が存在するので、そこに働きかける必要がある。

希望は、現在の状況から生じる情報と感情を統合する。「回復力」とは、著しい逆境に立たされても高いレベルのポジティブは感情と健康な状態を維持することと定義する。

精神論とは異なり、何らかの方法で(医療の進歩の力も借りて)症状を少しでも和らげることができれば、患者の希望の感覚に多大な影響を及ぼすことができる。患者方がほんの少し変わっただけで、医師の励ましを受け止めることができるようになるのだ。


著者が導き出した結論 

希望を持ち続けることができる人とできない人(自分の置かれた状況を制御できないと信じ込んでいる)がいる。医師が患者に真の希望を与えるためには、医師自身がそれを心から信じなければならない。著者は希望を癒しの核心とみなしている。

決して安易な精神論には走らず、科学的データを参照しつつ人間の自己治癒力に秘められた驚くべき可能性をあることを本書は示している。

 

今私たちにできることは、絶え間なく進歩する医学情報にアクセスしてそれを患者に伝え、患者に寄り添いながら患者の希望を育てるのを助けることであろう。