Book Review 16-10 人物 #吉本隆明

 

『#隆明だもの』(ハルノ宵子著)を読んでみた。著者は漫画家。父親は吉本隆明氏。妹は小説家の吉本ばなな氏。母の和子も俳人である。 365日、毎日夜中に欠かさず(父親が危篤であっても)近所の猫の生態観察をしていた。猫の本もたくさん出版している。

本書は戦後思想界の巨人と呼ばれる吉本隆明とその家族について綴ったものである。

吉本 隆明は、日本の詩人、評論家。音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。大学には籍を置かなかった。『共同幻想論』が学生運動の激化していた1968年に出版され、当時の青年たちに熱心に読まれ、教祖的存在となった。論争が好きで、話始めると止まらないらしい。共産党とのバトルがトラウマになっているようだ。

 

さて、『共同幻想』とは吉本が提唱した現代日本思想界に定着した概念である。(以下はウキペディアからのダイジェストである)。これまでのマルクス主義の見方では上部構造である国家 は土台である経済構造の反映でしかなかったと考える。国家は支配階級の利益を普遍的な利益として偽装する手段として位置づけられていた。それゆえ国家は暴力装置(軍隊や警察等)としての意味しかもっていなかった。

これに対して吉本は国家の幻想性に注目する。暴力とは国家の機能にほかならずその本質を説明するものではない。そこで上層構造を幻想領域として措定して,自己幻想 (文学,芸術) と対幻想 (性,家族) と共同幻想 (国家,道徳,宗教) の3つに分類した。吉本によれば国家の起源は「禁制」に求められる。村落共同体の外部に対する「恐怖の共同性」を幻想化することが禁制の効果である。家族の本質を構成する対幻想も血の禁制 (近親相姦の禁止) に支えられている。この血縁という対幻想が共同幻想化されるとき,国家が発生する。このように国家を暴力に還元するマルクス主義の国家論に対して,吉本の共同幻想論は日本的共同体の本質を理解するための糸口を与えたといわれている。(わかったような、わからないような?私にはイメージが湧かない)。

 

本書は、『吉本隆明全集』の月報での連載に加筆・修正のうえ単行本化したものである。父親と母親と過ごした日々を回想したエッセイが主である。妹である吉本ばなな氏との「姉妹対談」なども後半に収録されている。

著者は、吉本家の家族は全員がサイキックだと断言する。隆明氏は、サヴァン症候群(高次機能自閉症)と診断している。論理の中間を飛ばして結論だけを述べるので、オウムや原発についての発言も世間から誤解されたのだと。

両親の関係性についての解説もすごい。両者が「同等のエネルギー値を持って」反発し合っていた。料理が嫌いだった母親が完璧を期して作る料理が恐怖であったと姉妹で振り返る。家庭は修羅場であったようだ。思春期には二人とも家庭から逃避している。一方で多くの編集者や信奉者が途切れず吉本家に集まっている。
 隆明氏は最晩年、糖尿病で眼と脚をやられ、認知症を併発していた。1996年に毎年行っていた西伊豆(私の生まれ故郷)の土肥海岸で溺れた事故のことが何回も語られる。原因を著者は低血糖によるものではないかと推測している。この事故については、私の同級生である西伊豆病院の仲田和正氏が対応したことを聞き及んでいた。この事故を契機に認知症が進行したようで、吉本家では1996年以前と以後と分けて言及している。

 

大思想家の家庭の内情が垣間見ることができて、週刊誌の記事を読むような面白さであった。我が家の平凡さを喜ぶべきか?