Book Review 9-8

『医者は現場でどう考えるか』(Jerome Groopman著)を15年ぶりに再読した。

著者はN Engl Med Jの編集者を歴任している。私は札幌医大在籍中に原著(How Doctors Think, 2007年)で読んで、内容の一部を学生講義に用いていたが、最近、翻訳がでたことを知り購入してみた。

全体を通読して感じたことは、どのようにして誤診が引き起こされるかを分析・著述していることである。医師の思考のメカニズム、医師の感情、バイアス等について事例を挙げて検討している。

講義では著者の受診エピソードを紹介することにしている(本書第7章)。10年前よりタイプを打つと痛む。ドアに挟まれた既往がある。手の専門医Aを受診。XP、MRI再検査で「bone cysts」があるが診断はわからないと言われ、シーネ固定で経過観察となる。次に手の専門医Bを受診。「hyperreactive synovium」、嚢胞穿刺と骨移植を提案された。著名な手の専門医Cを受診。賞状だらけの部屋ではじめに研修医が診察し、「偽痛風」と診断された。最後に新進気鋭の手の専門医Dを受診。MRIではわからないが、「手関節内の靱帯部分断裂と診断。手術を推奨(過去に1例経験あり)。このように同じ手の専門家でもそれぞれに見立てがことなり、結局、医師は自分の見たいものしかみていない(You see what you want to see.)のではないかと結論している。今回、この英文と翻訳を探したが見からなった。私が考えたとは思えないのであるが・・・ ここは医学生に一番受けるところである。

ページを追ってゆこう。過食症を伴う神経性食欲不振症と診断され長年にわたり苦しみ続けた20代女性。幸運にもある医師に巡り合い、セリアック病の診断に辿り着き、症状が改善。

イリアム・オスラーの言葉を引用。患者の言葉をよく聞けば患者が診断そのものを教えてくれる。(実際にはそんな簡単ではないと思うが・・・)優れた臨床医になるためには、自分の間違いを認め、それを分析し、いつでもそれを思い出せるようにしなければならない。1995年の調査で、全診断の15%は不正確(誤診)だそうだ。最近、誤診に関する本をいくつか読んでいるが、時代を超えて(医療機器が発達しても)誤診率は15%で一致している。我々は日常で日々7人に1人は誤診していることになる。

医学教育について。医学部では診断の近道を教えてくれない。同時に近道思考(ヒョウーリスティック)の威力だけでなく落とし穴と危険性も教えられなければならない。千葉大学総合診療科の生坂正臣氏によると、まず1つだけ診断名を挙げる。その時、病歴・身体所見・検査所見にその病名で矛盾点がないかを複数名で検討する。病名が浮かばないときは(自分の蓄えたillness scriptにないとき)semantic qualifierを用いて、解剖学、病因論的(VINDECATE +P!!!)に分析的に検討して病名を考える。絶えず矛盾がないか振り返ることが診断名医への道であると述べている。

パット・クロスケリー医師(15年前に原著を読んだときには氏が誤診学の大家とは知らなかった)の事例。何を検査しても異常の出ない健康そうな男性の胸痛。異常なしで帰したが、翌日に急性心筋梗塞で搬入された。代表性(representative)エラー。

「73歳の元船員で長期のアルコール摂取と全身倦怠感とむくみ」と研修医が上級医に説明。アルコール性肝硬変と考えていたが、患者は大酒家ではなく、ウイルソン病であった。属性エラー。「感情によるエラー」

唐突であるが、患者の治療(cure)の秘訣は、患者への思いやり(care)である、という文章が出てくる。それには医師の誰もが反論できない。でも、難しい。

爆発と呼ぶ発作(体中がかゆく、皮膚がムズムズ、蟻が這っている感じ、頭が割れるような頭痛)を5人の医師を受診したが信じてもらえなかった更年期女性。のちに左副腎に褐色細胞腫が見つかった。患者は医師と一緒に感情の海を泳いでいる。

背中の真ん中が痛く、第十胸椎に楔上圧迫骨折を認める10歳前後の男児。その他は正常。小児科医に尋ねると「それは時々認めます」で経過観察という返事が返ってきた。専門医にそういわれると何も言えない。数か月後、痛みで救急外来へ。急性リンパ球性白血病と診断された。

60歳代女性。38度の発熱。頻呼吸。アシドーシス。胸部XPで肺炎像はなかったが、不顕性ウイルス性肺炎と診断したが、その後他の医師がアスピリン中毒と診断。過去に類似した事例に照らして判断する傾向を「有用性(abailability)エラーという。自分の予想通りの結果のために情報を受け入れたり無視したりする過ちを「確証バイアス」という。道端で転び、足首が痛いと言って高齢女性が受診。骨折を否定して帰宅させた。後に未診断の貧血で衰弱し、貧血の原因は大腸がんと判明。

右下腹部に刺すような痛みで受診し、過敏性腸症候群と診断された。痛みが悪化し受診して、診断は子宮外妊娠破裂となった。

医師の誤診を減らすのに有用な質問。著者は「私の病気は、最悪の場合は何ですか」、「症状が起きているこの患部の周りには他にどんな臓器があるのですか」を挙げている。医師が自問することも有用ではないか。

慌てて仕事をすると、最も初歩的な情報でさえ聞き逃す危険がある。「鼠径部がチクッとする」と帰りがけに言葉を漏らした患者。腫瘤を蝕知し、精査後リンパ腫であった。

エリック・J・カッセル医師(米国総合内科の名医。これまで英文でしか読んでいなかったので、翻訳された本を2冊購入した)。専門的レベルが高くなればなるほど、医学的問題の複雑さは減少する。医師として最も難しい領域は、プライマリケアではないか。深刻でないと思われるものが多い中で深刻なものを特定しなければならないからこそ、困難な度合いが大きい。プライマリケア医こそ、最も不確実性に悩まされる。

教育学者のドナルド・ショーン氏がこの点について『専門家の知恵』の中で次のように述べている。専門分化をしていくと、人は「技術的合理性」を求めてゆく。すなわち、複雑性、不確実性、不安定性、独自性、価値観の葛藤を避けがちであるという。どのような分野であれ、真のプロフェショナルには、即興的思考、状況的思考、多元的思考、文脈化された思考、枠組みの再構成が求められるという。専門医の集合している高度医療機関では、自分の専門分野の「技術的合理性」を追求する。研修医もこの範囲内で研修が許容されるので、指導医の「技術的合理性」が及ばないところは他科に紹介するように指導医は研修医に言い渡す。これで問題は回避されるが、医師が集まる高度医療機関で研修する限り、研修医の主治医機能は涵養されない。資源やマンパワーの乏しい弱小医療機関でこそ磨かれる能力ではなかろうか。

利益相反の話。医療の内容が、医療機器や製薬メーカーの利益のためにエビデンスのない診療行為(男性更年期への男性ホルモン治療や脊椎固定術、等)をして、歪められているのではないかと警告している。多くの医師が製薬業者のお抱えで学会出張している(2007年の米国)。現在、日本でもこの問題を深刻にとらえている。講演する際には、関連企業との関係を明示されなければならない。まだ日本にも危惧する風潮は残存していないか。医局説明会で、企業からの差し入れ弁当を食べさせて、利益相反に鈍感な医学生を作り続ける風潮はやめてもらいたいものだ。

医療ミスのほとんどは、認識エラーの連鎖から起こる。最初の迂回が生じる原因は、コミュニケーションの問題である。

以上を肝に銘じて、明日からの診療にあたりたい。