Lecture 2-2 科学性と人間性

日本以外の医師の診療についての考察を見てみよう。60歳代男性で右手関節痛が主訴である。10年前より、タイプを打つと痛む。右手をドアに挟まれた既往があり医師で著述業でもある。4人の専門医にかかっている。一人目は手の専門医Aで、XP、MRI再検査をして「bone cysts」があるが正確な診断はつかないので、シーネ固定で経過観察となった。二人目は手の専門医Bで、「hyperreactive synovium」と診断し、嚢胞穿刺と骨移植を提案してきた。3人目は著名な手の専門医Cで、賞状だらけの部屋ではじめに研修医に診察させて「偽痛風」と診断した。四人目は新進気鋭の手の専門医DでMRIではわからないが、「手関節内の靱帯部分断裂と診断し、手術を推奨(過去にたった1例経験)した。これはNew England Journal of Medicineの著名な編集者Jerome E. Groopmanの自件例である(“How doctors think” Houghton Mifflin,2007 Book Review9-〇で詳述)。この経験から“You see what you want to see.”と現代の医師の診療姿勢を痛烈に批判している。医師は見たいものしか診ない、見えない、ということである。現代の医師のしている診断・治療選択は、自分のもっている枠組みでしか患者に対応していないのだ。現代医学は、機械的世界観を信奉しており、人間はいかに複雑に見えようとも,結局はひとつの精密な機械である、と想定している。要素還元主義でもあり、一つ一つの要素を詳しく調べたのち,これらを再び統合すればよいと考える。時代が経つにつれ、益々病気は増えているように見えるのは私だけであろうか。

ではどう考えたらよいのだろうか。医療を複雑系適応型システムと考えるとよいようだ。エンジニアや建築家よりの農業者の思考がより役に立つとのことである。自分たちの限界を知り、その上に立って、「農業者はこれまでの経験から得た知識とエビデンスに基づいて最適の収穫を願うのである」。最終的に農業者は、よい収穫が得られるような条件を創り出すにすぎないので、結果は、自然というシステムの偶発的特性の産物であり、詳細に予測することはできない、と考える。モンスター患者も天災に会ったと考えればよいのだろう。 

医学以外の分野での科学的なアプローチについてRowan Jacobsenが著わした「Fruitless Fall(ハチはなぜ大量死したのか)」を見てみよう。農薬使用への警告書であるレイチェル・カーソンの書いた「Silent spring(沈黙の春)」からタイトルはとったようだ。なんと2007年春までに北半球から四分の一のハチ(アピス・メリフェラ)が消えたのだそうだ。巣箱という巣箱を開けても働き蜂がいなくなり、残されたのは女王蜂と幼虫とそして大量の蜂蜜だけである。何かがおかしい、蜂群崩壊症候群(Colony Collapse Disorder)か、と。養蜂家は当初、その害をダニのせいにした。しかし、それでは説明がつかないことがあまりに多いのだ。集団としての知性が失われているようだったので、ハチのエイズと考えたりした。犯人を追ううちにいろいろな案が出てきた。携帯電話説、遺伝子組み換え作物説、地球温暖化説、ウイルス説、ノゼマ病微胞子虫説、夢の農薬と言われたイミダクロプリド説、アーモンドのような単一栽培説、等々。新型コロナウイルスと同じように、経済効率を第一に繁栄戦略が引き金となって、ミツバチは巻き込まれたのかもしれない。結局単一の原因は特定されず、ダニ、真菌、ウイルス、農薬、抗菌薬、栄養不良、都市化、グローバル化地球温暖化等の複合した要因説が有力となった。この状況を避けるためには、土地の酷使をやめる、文化に養蜂と農業の場所を再び組み入れる、昆虫を仲間として迎えるチームとしての取り組みが必要だ、と結ばれている。

日本人の受療行動について述べよう。1961年にWhiteらが、2001年Greenらが「1ヶ月間における住民健康調査」を報告した。どちらも健康問題は75~80%の住民に発生し、大学病院に入院するのは0.1%であった(わが国では0.03%と福井次矢らは報告している)。このような報告が根拠となって、大学を中心に行われていた初期研修が変更された。哲学者の澤瀉久敬氏は英語のmedicineを「医学」と「医療」に分けて説明している。「医学」とは健康問題への科学的アプローチであり、大学・研究所で細胞レベル・動物レベル・臓器レベルで行われるものとした。「医療」は健康問題への科学的+哲学的アプローチであり、人間レベルまたは家族・地域社会レベルである一般診療ととらえた。このような考察も参考に長らく大学を中心に行われた哲学性を欠いて科学性だけを追求した我が国の研修制度も方向転換させられた。(つづく)