Essay 9 患者の論理・医師の論理

 

事例

44歳女性。「貧血」なので貯蔵鉄の検査をしてほしいとのことで来診。若い頃から赤血球の比重不足で献血ができなかった。5年前、月1回の頻度で3ヶ月間に38度台の発熱や手指の関節痛が出現したためAクリニックを受診し抗核抗体320倍を認めた。膠原病の専門医を紹介され受診したが特に心配ないと言われた。その時にヘモグロビン、血清鉄は正常であったがフェリチンが4ng/ml(基準値5-157)と低値であることを指摘され、鉄剤を半年に1回のペースでもらいに行くことになった。本年5月「脳貧血」で動けなくなりAクリニックを受診したところ、血液検査で貧血を認め鉄剤を8月まで内服した。もともと生理の出血は少し多いように思っていた。11月になり体が「こわい」ので再びAクリニックを受診した。血液検査ではヘモグロビンは正常だったが、フェリチンが低値であることが体が「こわい」ことの原因ではないかと思い主治医にフェリチンの検査と鉄剤の処方を依頼したところ、『貧血はありません。そんなに貧血が心配なら子宮をとってしまってはどうですか。鉄は飲み過ぎると脳軟化症になりますよ』と言われた。Aクリニックにはもう絶対に行くまいと決めB婦人科を受診し鉄剤の処方とフェリチンの検査を依頼したが、やはり検査をしてもらえなかった。体が「こわい」のはなぜだろうかと医師に問うと、それには答えてもらえず、「いろいろ考えるから神経症になるのです。体がこわいのは内科で診てもらいなさい。」と言われた。当院を受診した患者は、「私はフェリチンが減っているので体がこわいのです。」と声を震わせながら訴えた。

 

Disease, Illness,(疾患、病い)

 患者から「からだがこわい」との訴えがあったとき、我々はどのように反応するであろうか。患者の主訴を“倦怠感”に置き換え、その“倦怠感”の鑑別診断として、貧血、心不全、呼吸不全、甲状腺機能低下症などを挙げ診断プランを立て、血液検査、レントゲン検査などが実施されていくのが通常の診療であろう。ここでは「からだがこわい」という患者の生の訴えは“倦怠感”という医学用語に翻訳され、この時点で患者の個別性は捨象される。除外診断のために検査が行われるが、多くの場合、器質的疾患は否定され異常がないという“正しい診断”が下される。医療者は自分たちなりに最善を尽くしているのであるが、患者は満足しない“Doing Better and Feeling Worse”。

それではなぜこのようなことが起こるのであろうか。それには「患う(suffering)」ということの意味を再考する必要がある。患者はほとんどの場合患っているがために医療者の前に現れる。体が「こわい」という患いの経験はどこにもあるありふれたものであるが、その患いが何を意味しその経験をどのように生きその経験にどのように対処し扱うかは患者によりそれぞれ異なっている。生物学的な身体、精神の問題であるdiseaseによってそれは異なることはもちろんである。胃潰瘍による鉄欠乏性貧血、子宮筋腫のための過多月経による鉄欠乏性貧血、その他さまざまなdiseaseによりそれぞれ違った患いがもたらされるであろう。しかしdiseaseにもまして重要なのは患者の個人的苦悩体験であるillnessである。若い頃から貧血を指摘されてきた経緯、膠原病様の症状がでたときにフェリチンが低かった経緯、脳貧血を起こしたときにやはり貧血が見つかり鉄剤を内服した経緯、フェリチンが低いことを確認できなかった経緯、体がこわいことは神経症であると言われた経緯、すべてが患者のillnessの一部となっている。これらがこの患者の「こわい」という訴えを形作っているのである。これは病いのナラティブと言える。この病いのナラティブを抜きにしてこの患者の「こわい」に医療者は対応することはできないのである。

 

説明モデル(Explanatory model, EM

それでは患者の病いのナラティブを把握するにはどのようにしたらよいのであろうか。人々が病気や治療についてどのように考え解釈しているかを示すものとしてクラインマンは説明モデルを提唱した。このモデルの主要な構成要素は、①病因論、②症状のはじまりとその様態、③病態生理、④病気の経過(これには病気の重大さとともに病者役割のタイプ-急性、慢性、不治など-が含まれる)、⑤治療法である。これを詳しく訊き出すためには、表1のような質問をしてみるのがよいとされる。患者の病いのナラティブについてこのような説明モデルを訊き出しこれに沿った診療をすすめていくことで患者は全体として癒されたと感じるのである。ここで我々医療者にとって重要なことは、患者の説明モデル(EMp)とともに医療者自らの説明モデル(EMd)がいかなるものか常に自省することである。このことで自らの説明モデルの基礎にある関心、先入観、情動などを内省的に解釈する機会が与えられる。我々は長年にわたって西洋医学を基本とした生物医学に依って物事を考えるよう訓練され、多くの場合それで大きな成果を上げてきた。そのためEMdが優位なことで世界がうまく回るような錯覚を持ちがちである。果たしてEMdをEMpより優位としてよいのであろうか。「○○を患者が拒否しました。」「患者が○○の指示に従いません。」「患者にムンテラしておきました。」「患者に○○するように説得します。」どれもEMd優位の医療者の言葉である。これらを耳にするたびに非常に不愉快な気持ちになるのは著者らだけであろうか。

 

患者と医療者の溝

EMpとEMdの距離が大きいときには良好な医師患者関係が築けず患者は不満足に診療を終えることになるため、医療者は患者との出会いの中で素早くこの距離を認識し十分なコミュニケーションによってこの距離を埋めなければならない。しかし、患者は生物医学中心の医療者にとってにわかには理解しがたいEMpを持っている場合も多い。EMdを柔軟に変化させることが困難な生物医学中心の医療者は、しばしば自分のEMdを乱用し治療についてあまりにも技術面に偏り人間性を奪うような医療を展開してしまいがちである。このため両者のEMは距離を埋められないどころかむしろその距離をさらに増大させ、両者が物別れに終わってしまうことが多々見られる。EMd優位の世界で患者が満足する医療が展開される場合もないではないが、そのようなケースは非常に限られている。

近年、根拠に基づく医療(EBM)が急速に発展してきており、それによって統計学的な確率を用いたナラティブがEMpとEMdの距離を縮めることに役立つケースが増えてきている。それは、大規模臨床結果で得られたナラティブがEMpをEMdへ引き寄せ、良いアウトカムを得られる場合である。EBMは確かに時に患者の病いのナラティブを大きく転換させることができるかもしれないが、一方で著者らの検討ではEBMは診療のせいぜい25%にしか適用できないのである。実際大規模臨床試験により得られた中央値や95%信頼区間は目の前のこのひとりの患者については何も具体的な答えを与えてくれない。「あなたの5年後の生存率は50%です。」と聞かされた癌患者は、5年後には生存しているか死亡しているか2つにひとつしかない。どちらに入っても本人にとっては100%なのである。5年生存率50%というエビデンスがどれだけEMpとEMdの溝を埋めてくれるだろうか。EBMを乱用してはならないことを肝に銘ずるべきである。

 

医療者の権力の放棄

強固なEMdを抱きがちな我々医療者は、それではどのようにして患者に対応すればよいのであろうか。医学は絶えることのない道徳的問題を抱えていると言われる。ひとつは苦悩に対する医師の不感症、ひとつは医師による権力の乱用であるという。前述のごとく、極端に言えば医師が生物医学という権力を乱用しても患者の患いのせいぜい25%しか解決できないということなら、それではいっそのこと医療者の権力の大部分を放棄してみてはどうだろうか。これは医療的責任の放棄ということではない。生物医学の洗脳から逃れ、患者の病いの経験に共感して寄り添い、その病いにうまく対処して病いの概念を患者と共に創造するということを医療者の仕事とすることに転換してみてはどうかということである。生物医学で最良と考えられる方法を振りかざさなくても次善の医療は展開できる。また、生物医学で考えられるベストな方法が患者のQOLを最良にするわけではないはずである。

先に呈示した患者にもどろう。鉄欠乏性貧血はなくてもフェリチンがやや低いために体がこわいという患者の訴えを受け止めることは不合理であろうか。鉄剤を服用することで体調が回復するという患者のナラティブを医療者として支持することに何か問題があるだろうか。著者らはフェリチンの検査をし、結果が正常であることを伝えた。さらに、「現在までの医学の発展の限りにおいてはこのフェリチンの値と体のこわさの関連について私たちはきちんと説明できないが、今の医学で説明できないことがすべて否定されるわけではありません。もしかすると将来新たな研究の結果により何か解明される病態が見つかるのかもしれませんが、正直いって本当にそうなるのかどうかもよくわかりません。ただ、あなたが鉄剤を飲んで調子が回復しているという事実は間違いのないことです。御希望にそって鉄剤を処方して経過をみさせていただくことはなんら差し支えありません。鉄剤を内服して脳軟化症になるというような心配はありません。」と伝えた。患者はやっと安堵の表情をみせ、潤んだ目から涙がこぼれないよう表情を取り繕ったように見えた。

 

医療者の役割;ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM

「病いの概念を患者と共に創造すること」を医療者の仕事としてはどうかと提案した。近年、医療における患者の病いのナラティブを重要視するこのような方法をNBMと呼ぶようになってきている。NBMのための第一歩は、当然のことであるが病いのナラティブを患者や家族が語れるようにすることである。ここでひとつ注意すべきことは、ナラティブとして語られる内容は条件や状況とともに変化するということであり、また、ナラティブは一貫性を欠き、断片的で不確かなものであるかもしれないということである。つまり、たったひとつの真実のナラティブが客観的に存在しておりそれを引き出すという作業がNBMというのではないということを理解しておくことが重要である。ナラティブは、話し手と聞き手の関わりによって創造され、どのようにも発展可能である。ナラティブは常に変化し続け、新たな意味を持って患者の病いを新たなステージへ運んでいくことになる。医療者は患者の役に立つナラティブを創造することを手伝うことがその重要な仕事なのである。そのためには表2のごとくのNBMの主要要素を理解しておく必要があろう。

鉄剤を処方された患者は約1年後に再診した。鉄剤をほぼ毎日飲んでいるが秋口になって調子が悪くなっては困るので血液検査をして欲しいと希望された。やはり貧血はなくフェリチン値は正常であった。患者は、「最近は貧血のせいで調子が悪いのではないように思っています。生理の量も落ち着いており、ローヤルゼリーを一粒ずつのんでいるので調子がひどく悪くならないのかもしれません。でも今回も鉄剤を処方してください。」とにこやかに言った。1年前と比べて明らかに患者のQOLは良いように思われた。患者のフェリチンのナラティブは解消され、「こわい」ナラティブは語られることはなかった。

 

おわりに

患者は問題を抱えているからこそ医療者の前に現れるのであり、ほとんどいつも患者は問題をナラティブとして抱えそれを医療者に提示しようとする。ナラティブは決して単独では存在し得ず、友人や家族、縁故者、知人、同僚、地域との関係性の中で作り上げられている。これらの関係性を再構築することを手助けし、患者の論理(ナラティブ)を整理しさらにその論理を発展的に解消することが医療者の役目である。一般に、診断・治療に直結する生物医学のための医師主体の面接に全体の90%を、患者のナラティブに10%の時間を割くことで患者中心の医療面接はうまく展開できると言われている。忙しい診療の中でナラティブに焦点を当てることは困難と思われがちであるが、医師の思っているほど負担にならず患者の論理(ナラティブ)と医師の論理(ナラティブ)を調和させる方法はあるのである。医師の論理(ナラティブ)のうち患者の論理(ナラティブ)の発展的解消に役立つものを慎重に吟味して使用するという控えめな態度で患者に寄り添いたいと思う。

 

参考図書

  • アーサー・クラインマン:臨床人類学 -文化のなかの病者と治療者-.弘文堂、東京、
  • アーサー・クラインマン:病いの語り 慢性の病いをめぐる臨床人類学.誠信書房、東京、1996.
  • トリーシャ・グリンハール、他:ナラティブ・ベイスト・メディスン  臨床における物語りと対話.金剛出版、東京、2001.
  • Launer J: Narrative-based primary care a practical guide. Radcliffe medical press, Oxon, 2002.
  • モイラ・スチュアート、他:患者中心の医療.診断と治療社、東京、2002.
  • ロバート・C・スミス:患者中心の医療面接.診断と治療社、東京、2003.

 

 

 

表1.病者の説明モデルを知るために有用な質問(Let’s hearと覚えるとよい)

  • あなたがかかえている悩みを自分では何と呼んでいますか。それには何か決まった呼び方がありますか。(Label)
  • 悩みの原因は何だと思いますか。(Etiology)
  • なぜそのときに悩みが始まったのだと思いますか。(Timing)
  • 病気になって、何か変わったことがありますか。それはどんなふうにですか。(Severity)
  • 病気はどのくらい重いですか。すぐにも治まりそうですか。それとも長引きそうですか。(History)
  • 病気のことで、一番気がかりなのはどんなことですか。(Effect)
  • 病気になって困っているのはどんなことですか。(Affect)
  • どんな治療を受けたらよいと思いますか。その治療でどんな結果になるのを望んでいますか。(Rx; Prescription)

 

表2 ナラティブ実践のための主要な6つの概念

Conversation 会話

会話の過程そのものが治療である。「問題解決」といった考え方から、新たなナラティブを創り出すことを通じての「問題解消」といった考え方へ向かうものである。

Curiosity 好奇心(と中立性)

患者については「知らない」という無知の知の意図的な姿勢を保ち、患者から教わろうとすることが必要である。そしていつも異なった見方に対して寛容であるべきである。

Circularity 循環性

医療者と患者との間でナラティブを創っていくという共同作業は、直線的な一対一の対応ではなく、始まりも終わりもなく、相互作用による無限の広がりを示す。これは、会話において絶え間なく続くフィードバックによりもたらされる。

Contexts 背景

 患者にはさまざまな背景がある。また医療者にもさまざまな背景がある。両者がよりよいナラティブをつくるためには、使う言葉の重みや含蓄の理解について共有する必要があり、そのためにはそれぞれの背景の関係性について正確に理解しておく必要がある。

Co-creation 共創

 患者と医療者で元のナラティブから新たなナラティブを一緒に創り上げる過程である会話がナラティブ・アプローチである。ここで医療者は、ナラティブの製作者であると同時にナラティブの進展を見守っていく観察者という2つの役割を持っていることが重要である。

Caution  慎重

 患者を全人的に理解しようとしてあまりにも無遠慮に患者の領域に立ち入ってしまってはいけない。患者は立ち入られることを望んでいないかもしれない。