Lecture 1-2 社会と医療

 

 ここからは医療の話。「記名力低下、集中力低下で神経内科を受診した38歳の男性。会計士をしていたが、仕事の能率が悪くなり解雇された。6ヶ月前から記名力が低下してきたと妻や友人は証言した。不眠で、夜間足がピクツク。15歳時、成長遅延があり成長ホルモンの注射を2年間受けていた。病名は「Sporadic Creutzfeldt-Jakob disease」である。石油危機により背級の値段が高騰。羊の肉骨粉の加熱処理の経費を節減した。その結果、Creutzfeldt-Jakob diseaseが英国で多数発生し、肉の輸出制限に至った。

 

感染症を扱った「コンテイジョン」もお勧めである。2011年にスティーブン・ソンダーバーグ監督が制作。スリル映画という触れ込みである。映画は第2日目から始まり、原因不明の感染症への対応が描かれている。映画が終わったと思えるところで、第一日目が映し出される。最後のこの1分間が、社会派映画であることに唸らされる。大澤真幸氏が次のように述べている。「ウイルス自体は文明の外からやってきた脅威ですが、それがここまで広がったのは、『グローバル資本主義』という社会システムが抱える負の側面、リスクが顕在化したからだと考えています。」人類の経済成長の隠れたコスト。「未知の感染症は野生動物が主な宿主である。世界中の原生林が伐採され、都市化された結果、野生動物との接触機会が増え、病原体をうつされるリスクも高まった。英国の環境学者ケイト・ジョーンズは『野生動物から人間への病気の感染は、人類の経済成長の隠れたコストだ』と指摘している。」

 ここからは具体的な患者さんの話。70歳女性.主訴は頭痛。未破裂脳動脈瘤をドックで発見され,頭痛が始まる.手術後,悪化.手術した医師と折り合いが悪い.CT,MRIでは異常なし.手術したことを後悔している.多数の医療機関を渡り歩いているが,頭痛はおさまらない.CTを希望。エビデンスとして、慢性頭痛や片頭痛にCTは必要かない。慢性頭痛患者373名にCT(1994,Dumas MD)したところ、骨腫瘍:2, 良性神経腫:1, 脳動脈瘤:1

頭痛を持たない患者群と同じ頻度であった。慢性頭痛患者592名(1995,Akpek S)ではCTは不要。慢性頭痛患者89名(1992,Weingarten S)ではCTによる重要な情報は0名。

開頭術を受けた40名:頭痛だけの者0名。紹介患者で処置を要した63名中頭痛患者は6%。

この事例から推測されることは、患者側は専門医何人かに診てもらえば、いつか問題が解決すると思いこんでいる。検査が好き。医師側は、自分の専門分野にのみ自信をもっており、

たとえ自分の解決できない問題も、他の専門医に診てもらえば、その専門医が患者の問題を解決してくれると思いこんでいる。検査が好き。患者の話を聴くのは好きではない。

 

52歳女性.主訴は骨盤部の痛み。入浴中、左骨盤部に圧痛。次第に悪化し、地元の整形外科を受診。X線上異常ないと言われ、消炎鎮痛剤を処方された。痛みは腰から背中に広がる。階段を昇れず、車の運転もできなくなる。大学病院で入院精査をしたところ、食道癌で腰椎、腸骨、大動脈周囲のリンパ節、肝臓に転移した進行癌とわかった。その後、エビデンスに基づかない治療を希望。医師はどうすべきか。

 

近代医学は機械的世界観に基づいており、人間はいかに複雑に見えようとも,結局はひとつの精密な機械である、と想定している。また、要素還元主義でもあり、一つ一つの要素を詳しく調べたのち,これらを再び統合すればよい、とも考えている。本当にそうか?人間を構成する遺伝子が解明されたのに、病気を抱える患者は減っていない。

 

有名な報告がある。1ヶ月間における16歳以上の住民健康調査を1961年に White KLが行った。有症状者は80%であるが、大学病院に入院した患者は0.1%であった。そう考えると、大学病院だけで研修を修了することは大いに疑問であろう。

 

ウィリアム・オスラーは「医療とはただの手仕事ではなくアートである。商売ではなく天職である。すなわち、頭と心を等しく働かさねばならない天職である。諸君の本来の仕事のうちで最も重要なのは水薬・粉薬を与えることではなく、強者よりも弱者へ、正しい者よりも悪しき者へ、賢い者より愚かな者へ感化を及ぼすことにある。信頼のおける相談相手、・・・

また、「家庭医である諸君のもとへ 父親はその心配ごとを、母親はその秘めた悲しみを、

娘はその悩みを、息子はその愚行を携えてやってくるであろう。諸君の仕事にゆうに三分の一は、専門書以外の範疇に入るものである。」と。

 

 医療人類学では、患者・病人を3つに分ける。病気(sickness):その社会が認める異常、

疾患(disease):医師が認定する異常、病い(illness):患者が感じる異常、に。現在の医療は「疾患」に重点を置きすぎる。医学部では疾患についてしか教えない。

 

IR・マックウイニ-は、「医学は絶えることのない道徳問題を抱えている。現在、そのうちの二つが特に重篤である。一つは苦悩に対する不感症であり、もう一つは力の乱用である。抽象化によってつくられる患者と医者の間に横たわる距離は、医師を不感症に陥らせる。予後や治療について、医師に多大な力を委ねると、特に乱用に向かわせる。このように考えればわかるように、臨床技法を作り直すことは、深いレベルで道徳的目的をもっているのである。それは、思考と感情のバランスを回復させることであり、または、近代技術がもたらした多大な力を放棄あるいは少なくとも患者と共有することである。」

 

学生には、映画や本の紹介が好評であった。映画「ダーウィンの悪夢」から日本の地域医療の現状につなげた「合成の誤謬」についての考察に多くの賛同を得た。中村哲氏の言葉「大切なことは人間として心意気」、「必要とされていることをする」に現在の迷いを吹っ切った学生も多数見られた。先人が懸念したような情報管理社会、デェストピアには向かってほしくない。現在医療には、ウィリアム・オスラーの生きた時代以上に医学書に書かれていない難題が持ち込まれることに、慄く学生もいた。疾患と病いを区別して患者さんに応対すると良医に一歩近づけるのにそれも教えられている現状を嘆いている。現代の医学教育には、機械論に則った疾患についてしか教えられていないことを痛感した。

 

私の出番はまだまだ存在すると再認識した一日であった。