Book Review 9-5

『病いの会話』(中村友香著)を読んでみた。これは京都大学大学院のアジア・アフリカ地域研究科で作成した博士論文をもとに書籍化したものである。

 

医療人類学は日本では多くの医学部で教えられていない。私は、義務年後に自治医科大学大宮医療センターにかえってスーパー総合医になろうとしたときに、医師会の反対にあって2年間延期となり、その間本院の地域医療講座預かりの身分になっていた。当時自治医大の非常勤講師であった福井次矢氏の紹介で、医療人類学と臨床疫学を知ることになった。医療人類学の本を一冊読むとしたら『病いの語り』(アーサー・クラインマン著)となろう。医療人類学者が明らかにしたことは「患う(suffering)という経験の型はどこにでも見られるが、その患うことが何を意味し、その経験をどのように生き、その経験にどのように対処し扱うかは、実に様々である」ということである。クラインマンの本を読むと、病い(illness)と疾患(disease)、病気(sickness)を区別して患者に対応することが、すべての医師にとって不可欠であることがわかる。

「病いの語り」研究(クライインマンやフランク、グッド)は被抑圧者たる患者が譲り渡した語り(narrative surrender)を取り戻すことの意義を論じ、その知識の復権を求めたものであった。

さて本書はネパールのある老人の言葉から始まる。「病院がないときのほうが良かった。病院は良いには良い。いろいろな病気が治る。病気は辛い。でも病院がないときはみんな一緒に生きるときは生きて、死ぬときは死んだよ。今は死ぬ人と死なない人がいる。バラバラだよ。それがもっとつらい。違うかい?」本書はこの問いを2型糖尿病患者の事例を通じて考えている。

ネパールの医療史が綴られる。その後、患者・家族・医療従事者を取り巻く様々なすれ違い事例が示される。込み合う診察の前、待つために並んでいる列かどうかは患者たちには定かではなく、順番がなかなかやってこない。予約制度がない。ある医師が救急に呼ばれて診察を出てゆこうとしたが、患者に「逃げようとした」として問い詰められた。慢性的な人手不足。ネパールでは知り合いであることがすごく重要である。診察よりも検査結果を見る時間が長い(日本も同じか)。診察を受けずに薬を購入することが多い。(これまで飲んでいたタブレットを持参)。糖尿病薬を胃薬が区別できていない。薬を飲む意味がわかっていない。

次の章では、患者の語る断片化された話を繋ぎわせて、著者が物語化する。病いの経験を取り巻く他者の発言にも注目する。そこには病いの経験を共に作り上げるとき、共にある生き方が、「共に生きる」関係性の作り方を示している。

私の患者さんの中に、糖尿病は「水子(堕胎)の祟り」であると捉えている女性がいた。「ネパールの2型糖尿病患者たちの生き方は、不確かで溢れる世界において病むことと癒されることは何かを問い直すことにつながるだろう」と著者は締め括っている。