Lecture 1-1 社会と医療

 

毎年1回、某大学4学年生への講義を4コマ(75分×4)行っている。2020年度はコロナウイルス蔓延の影響で、リモート参加ありの変則で行われたため、教室で受講したものは20名程度であった。

内容は、「社会と医療」、「科学性と人間性」、「臨床判断」、「臨床推論」である。医療を社会との関わりから語り、一人の患者にどうように対応するかという流れで話をした。

 

「社会と医療」

映画「ダーウィンの悪夢」の紹介で話を始めた。一機の飛行機が湖の上を飛んでゆく場面で映画は始まる。飛行士は「空で来てナイルパーチを積んで帰る」とインタビュに応える。しかし、嘘であった。アフリカのヴィクトリア湖は、多種多様な生物が棲むことから“ダーウィンの箱庭”と呼ばれていた。そこに大型の肉食魚ナイルパーチが放たれて輸出産業は潤うが、同時に生態系の崩壊と経済格差も生まれてしまう。この映画は、半世紀前のバケツ一杯の肉食魚・ナイルパーチの放流が、生態系を急速に破壊し、ヴィクトリア湖周辺に住む貧しい人々を、さらに貧困化させる経済システムを生み出した経緯を赤裸々に描いている。様々な人々がいる。ビニールを燃やした有毒ガスを吸い、路上で寝崩れる小さな子どもたち。暴力や虐待の恐怖を忘れるためだ。残飯を取り合い、殴り合いをする子どもたち。片足がなく、松葉づえをつきながら働く子ども。年長者からの性的虐待におびえる女の子。
 嘘の真相は何か。飛行機は何を運んできていたのか? 武器である。関係者はこう皮肉っている。「クリスマスの日にアフリカはヨーロッパの子どもにブドウをプレゼントし、ヨーロッパはアフリカに武器をお返しにプレゼントしてくれる」と。


 それぞれが最善を目指した結果、個々にとってよいことの総和は、全体にとっては悲惨になる。構造主義生物学者である池田清彦氏が言うところのミクロ合理性の総和は、マクロ非合理性に帰結する、という『合成の誤謬』である。

 

この現象は日本各地での地域医療にも当てはまるのではないか? 何が医療過疎を招いているのか? 医師集団に良心はないのか。多分、どの医師も自分の目の前の問題に良心的に全力で取り組んでいるのであろう。その良心を注いだ結果は、現在の医療過疎問題ではないのか。小学校教員や警察官のいない離島はない。医師には職業選択の自由があり、誰もすすんで医療過疎地に行く義務はないそうだ。

 

 次に、「世界がもし100人の村だったらIf the world were a village of 100 people」を紹介した。村に住む100人のうち、20人が栄養失調で、1人は死にそうなほどで、15人は太り過ぎである。村に住む100人のうち75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがない。17人はきれいで安全な水を飲めない。いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに信仰や信条、良心に従って何かをし、ものが言えない48人がいる。空爆や襲撃や地雷による殺戮や武装集団のレイプや拉致に怯えている20人がいる。

 

社会学から医療をみると、病気の社会的側面、健康・疾病理論、疾病行動、医師・患者関係、等の切り口があるが、このような内容は現在の医学部では残念ながら教えられていない。

ここで、友人から譲り受けたカンボジアの子供たちの写真をみせた。3,4歳児が喫煙や飲酒に興じている。世界における死亡原因のTOP10は喫煙、過食、運動不足、飲酒、予防接種未施行、中毒、銃器、リスキーな性行為、自動車事故、違法薬物なのである。

 

悲惨な話ばかりしたが、「Factfulness」という本がハンス・ロスリングによって書かれ、注目を集めている。彼は、国境なき医師団の創設者で、正しい世界の見方について

書き上げて亡くなってしまった。その主張は、世界は少しずつだけど確実に良くなっている、というものである。「悪いと良くなっているは両立する」、「犯人ではなく原因を探す」。経済力も上がり、貧困層の割合は減っているそうだ。行動指針として、「限られた時間や労力で、やれるだけのことをする。それをできる人こそが、最も慈悲深い人」、「いまの時代、物事が変わらないと思い込み、新しい知識を取り入れることを拒めば、社会の劇的な変化が見えなくなってしまう」、「物事がうまくいったときは(中略)『社会基盤とテクノロジーという2種類のシステムのおかげだ』と思ったほうがいい」ということである。すべての人に必要なことは、平和、学校教育、基本的な保険医療、電気、清潔な水、トイレ、避妊具、マイクロクレジットであると述べている。

 

次に、井戸を掘る医者、中村哲氏が2007年5月16日に北海道大学で行った講演内容を紹介した。2019年12月4日、彼はアフガニスタンで銃撃に倒れた。蝶々を求めていった地で、外科医としての無力を悟り、メスを捨てて、シャベルカーに乗って、井戸を掘り水路を造りペシャワールの砂漠を緑で覆われた小麦畑に変えた。中村哲氏が語った言葉、「人生思うようにはならない」、大切なことは「人間として心意気」、「必要とされていることをする」、「何かの巡り合わせ」でする。日本人が誇るべき中村哲氏のことを後輩に語り継ぐことは現役医師の我々の務めと思いっている。

 

次に、学生に読んでほしい本、観てほしい映画を紹介した。ジョージ・オーウェルの書いた歴史的名著、ディストピア小説、「1984年」である。ウイグル問題の高まりや香港騒動、北朝鮮の核問題、安倍長期政権下での官僚の文書廃棄問題などなど、監視社会や権力の暴走。

冒頭の閉塞感、中盤の幸福感、終盤の絶望感。『動物農場』、『カタロニア賛歌』もお勧めである。最近読んで衝撃的であったのは「セレモニー」(王力雄著)である。作者は妻と共に中国当局に行動の自由を制限されている。テクノロジー(IoT)によって人民の監視を進める独裁政治を描く半端ないディストピア小説である。大いなる多様性を束ねるには、テクノロジーの進化を通じた政治権力の集中化とデータ処理。「IoS(靴のインターネット/Internet of Shoes)」、「性交時靴間距離」。コロナ禍の現在、人々の行動をスマホ管理した結果が毎日テレビで流されている。ジョージ・オーウェル王力雄が描いた空想の世界がそこまで来てしまった。映画は「パラサイト 半地下の家族」を紹介した。2019年・第72回カンヌ国際映画祭韓国映画初となるパルムドールを受賞した作品である。 監督ポン・ジュノと主演ソン・ガンホが4度目のタッグ。キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を受けに行くことに。そして妹も、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく……。

(つづく)