Essay 6  どうして今、患者中心でなければならないのか

総合診療科で診療に当たっていると様々な患者に出会う。例えば、70歳の女性の場合はこんなふうであった。それまで何の症状もなく元気で山歩きをしていたが、たまたま健康診断を受けたところ、未破裂脳動脈瘤が発見された。発見直後から頭痛が始まり、手術によってますます症状は悪化していった。医師に問いかけても「手術は成功した、高度医療機器検査による異常はない」という言葉が返ってくるばかりである。そして、7つの医療機関で7回検査が繰り返され、8回目の全身精査を希望して総合診療科を受診したのである。ここには、患者の背景を知ろうとせず、病気を探し続ける医師と満足を求めて彷徨い続ける患者という現在の医療問題が凝縮されている。

このような事態を招いた原因は3つ考えられる。第1に、現代医療は、あまりに医療従事者中心でありすぎる。「科学性」を追求し、病歴や兆候、身体所見の一般化を目指すあまり、患者の苦悩への共感が忘れ去られているからである。第2に、患者・住民の声が届かない体制に医師が安住していたことがあげられる。第3に、真の職業人を育てる教育システムを医療界が持たなかったことが考えられる。医師養成の最高学府であるはずの大学は、ほとんど世の中に貢献することのない学位取得の場に成り下がり、それを餌に医師を供給するだけの場となっているからである。もともと教官としての自覚のない者が、自分が教えやすい知識・技術を伝達しているにすぎないのが医学教育現場である。「医師中心の医療」を実践する医師から、「患者中心の医療」のための知識・技能・態度は伝達されるべくもない。

本書は、家庭医療をもう少し原理的なところまで深く学習してみようと思っていた矢先に、たまたま「患者中心の医療」というタイトルに惹かれて購入したものである。しばらく、図表を中心に学生や研修医の講義に利用していたが、暇を見つけて本文を読み進むとたくさんの哲学的・文学的内容が盛り込まれていることがわかった。「患者中心の医療」を提言するには、学際的な教養が必要であることを痛感した。今まで「医師中心の医療」しか学べなかった医療関係者に少しでも読みやすい形でこの本を紹介できれば幸いである。

本書には患者を中心にした医療のしかたのみならず、学習者を中心とした教育のしかたが述べられている。第1部を読み始めた者は、これまでの診療スタイルの変更を迫られるであろう。第2部まで読み進んだ者は、医学生や研修医への対応を反省することであろう。ここまで患者や学習者を中心にした技法のあり方を、歴史的にかつ哲学的に振り返り、具体的に書き起こした本は数少ないと思われる。ひとりでも多くの医療関係者が本書を紐解き、これらの知識・技法を修得されることを望みたい。

最後に、翻訳に当たっては診療の合間を縫い難しい英語に格闘した教室員各位に、また本当に丁寧な仕事で助けてくれた編集者の寺島恵さんにこの場を借りて感謝したい。(患者中心の医療:監訳者のことば)