Book Review 9-12 医療 When we do harm

 

『医療エラーはなぜ起きるのか(When We Do Harm)』(Danielle Ofri著)を読んでみた。著者は内科医。ニューヨーク大学医学部臨床教授。

 

本書は、2例の誤診例を時系列に提示し、その途中に章を挟んでに誤診についての研究結果を紹介してゆく形式をとっている。

 

一例目。39歳の男性が陰部の痛みで受診し、急性骨髄性白血病と診断され治療を受けた。田舎のナースである妻が、治療中に夫が急変したことを訴えたのに、主治医・ナースはその声を無視し続けて結局夫は敗血症で死亡した。担当ナースが誤って落とした留置カテーテルをそのまま使い、MRSA感染を引き起こした。医師はそのカテーテルを直ぐに抜去しなかった。症状が悪化(発熱の継続、腹痛、尿量の減少、幻覚、四肢の浮腫)してもICUへ移動させなかった(妻はICU勤務のナースでもあったが、担当ナースたちは田舎者と嘲笑していた)。結局、主治医・ナースは患者を見ていなかった。

二例目。熱傷で入院した患者を地域病院の医師が熱傷センターに転送せず(周囲のスタッフは治療に自信がなく、転送を勧めたのに)、間違った治療を続けて、患者を死亡させた。熱傷の治療原則は1)気道確保、2)水分補給、3)感染予防、4)疼痛管理である。これら全てが誤っていた。

複数のエラーが次々に重なり雪だるま式に膨れ上がって悪い結果となった。チェックリスト化できる具体的な事柄(カテーテルを抜くタイミングや移送のタイミング)と目に見えにくい特性(臨床推論、謙虚さ、有効なコミュニケーション、主体性を持つ)が組み合わさった結果である。

一例目では和解の糸口を模索して患者の妻も病院管理者も行動したが、病院関係者に反省を促すための反省会の場には、その病院の見知らず人たちばかりで、肝心のこの患者に関わった主治医・ナースたちはその場に一人も現れなかった。二例とも和解はならず裁判になっているが、勝訴しても患者家族は満足感を得ていない。

 

本書冒頭、BMJの記事紹介から始まっている。医療エラーは米国で死因の第三位。死者は年間25万人を上回る。医療被害の大規模な研究は、1980年代に入ってから行われている。「ハーバード・メディカル・プラクティス・スタディ」が有名である。1984年の1年間、ニューヨーク州の51大学の入院患者で調査したところ、3.7%に傷害、そのうち14%が死亡していた。年間で約10万例に傷害(毎日ジャンボジェット機が1.5機墜落と同じ)。入院患者に限定しているので、外来患者には当てはまらないかもしれない。結論は、医療システムの欠陥が主な原因(ナースの受け持ち数が多い、頻繁のアラーム音で思考停止、類似名の薬剤、病棟により薬剤の置き場の違い、環境が悪く薬剤名が読めない)と結論付けられた。

 

医療被害を減らすため、チェックリストを導入したところ、中心静脈カテーテルによる感染症が激減した。ところが、それを真似てチェックリストを導入した研究では、改善が認められなかった。この違いはなにか。主体となる医師が周囲の意見を無視していたからである。医師を中心としたヒエラルキー(ナースが医師に意見を言えない文化)を変えなければ、チェックリストも意味がなかったのである。

 

古い例が提示されている。1846年、一人の医師の行動(医師がさらし粉で手を洗う)によって、産褥熱を激減させた。このやり方に既存の医師たちは反発した。この医師も声を荒らげて抵抗した。両者は反目し合い、この医師は組織から迫害され、最後は敗血症で死亡したそうだ。(教訓:非難だけでは何も変わらない)。

 

診察から2週間以内に入院する結果となった患者群(誤診の可能性が高いため)では、21%に診断エラーを認めた。見落としの多かった診断は、肺炎、心不全、腎不全、がん、尿路感染症であった。それに寄与しているのは、病歴聴取、身体診察、診断検査オーダーによる認知エラーであり、鑑別診断が少なすぎるという指摘がされている。

 

電子カルテの問題点も指摘されている。コンピュータが診察の中心に置かれる。コピー・アンド・ペイストが多用されている。テクノロジーは多数のエラーを引き起こす可能性がある(防止の可能性も秘めている)。

 

過労の問題も大きい。研修医の過労から、薬剤量の指示間違えが多発している。週末や祝祭日に入院した患者の死亡率は高い。その結果、労働時間の制限が設けられた。

 

では誤診に遭遇しないために、患者はどうすればよいのか。

医師が「あなたは○○だと思います」と言ったら、「どうしてそう思うのですか」と尋ねる。「他になにか可能性はありませんか」、「見逃してはいけないものはありますか」と聞き返す。しかしながら、尊大で自信に溢れた医師に遭遇したら、それも効果はあるのだろうか。そもそもそんな質問ができる雰囲気ではなかろう。

 

「病についていえば、二つの言葉を習慣にするように。助けること、少なくとも害を与えないこと」、この言葉を超えるものはない、で本書は終わっている。