Essay 7 患者中心の医療

 社会のおびただしい変化が患者・医師関係に影響を与えている。医療の世界でも消費者主義が台頭し、病院でのキュアから地域でのケアへの移行、患者の自律性やインフォームド・コンセントの重視、医療職の社会的地位の低下、等々がみられる。現在、多くの患者は医者にもっと平等な関係を要求しており、自分のヘルスケアの決定に、より積極的に参加しようと思っている。すなわち、医師の役割とは何かが問い直されており,抜本的な変化を要求されているのである。

 一方、患者のみならず心ある医師も現状の医療に満足していない。これまで患者背景や病気の意味付けなど生物医学モデルのアプローチでは近づけない領域について医師のトレーニングが適切に用意されてこなかった。医学教育の段階で、あまりに疾患(disease)に注目しすぎて病い(illness)を持った人間というものを無視してきた。そのように教育されてきた医師は、患者からの思いもよらぬ期待に応えられず、どのように周辺の人材を活用してよいかもわからず、ただただ負わされた責任に圧倒されてしまうばかりとなる。そこで生物医学に偏り過ぎたバランスを取り戻し患者の期待に応えるために、これまでの生物医学アプローチを含み、かつ人間としての患者という考え方も内包する医療モデルが提唱された。これは“患者中心モデル”と呼ばれている。専門職が責任を負い患者が受身一方のまま繰り広げられる古い上下関係的な考えはここでは展開されない。患者中心になるためには、医師・患者関係の中で力を分かち合わねばならない。

 では実際どのようにすれば患者中心になるのだろうか。モイラ・スチュアートらは、この患者中心の医療を展開するために重要な要素として以下の6つを挙げている。最初の要素は不健康についての2つの概念の評価である。すなわち、疾患と病いである。病歴と身体診察で疾患の評価をすることに加えて、医師は患者の固有の病い体験を理解するために患者の世界に入って積極的に探索する。特に、医師は病いについての患者の考え、すなわち、病んでいることをどう感じているか、医師に期待することは何か、病いが患者の機能にどう影響を及ぼすのか、を探索する。生物医学モデルでは症状や機能低下があるのに検査では異常がみつからないとなかなか医療者にその苦悩がわかってもらえない。その苦悩を理解するためにはまずは患者のillnessをうまく引き出すことが始まりになる。疾患がなくても病いがあることを医療者も患者も理解することが重要である。近代医学の枠組みで定義される疾患のみに焦点を当てて患者に臨んだのでは、患者の問題を解決することはできない。病いを考えるときにもうひとつ重要なのは、「なぜ今日受診したのか」を理解することである。「今日受診した」のは疾患の状態が変化したからではなく、それよりも患者を取り巻く背景や社会的状況が変化したためであるかもしれないからである。

これはいわゆる患者の説明モデル(explanatory model)を訊くということである。発病の原因、病態、経過、必要と思う治療についての患者自身の考え方や期待感について聞き出す。これに沿って治療をすすめると、医療者と患者との間での認識の食い違いから問題が起きるということは少なくなる。それだけではなくて、患者は自分の苦悩を解かってもらえることで満足感が増し、ひいてはお互いの関係が良好になってゆく。

2番目の要素は、疾患と病いの概念と、人間全体を理解することを、統合することである。これは、ライフサイクルにおける患者の位置と患者が生きている文脈についての気づきを含む。ひとりの人間としての患者は、過去・現在・未来をもった親、配偶者、子なのである。そして、各自が成長していくなかで、いろいろな発達過程での課題や問題を切り抜けていくうちに、人格を形成していくための愛情や理想、期待、動機などが培われてくる。患者が現在どの発達段階にあり、どういった人格が形成されているのかを探ることは非常に大切なことであり、患者だけでなくその家族にも大きな影響が及ぶ。実際に患者を前にしたときに、その病気が家族にどんな影響を与えるかを考えることが重要である。また、患者の背景と属するシステムを知ることも重要である。背景とは、疾患、病いを持った患者その人物そのもの、その周りの環境のことであり、システムとは、家族、民族、同胞、社会関係、職場、学校、宗教集団などである。人間は皆それぞれにさまざまなシステムの一部分である。疾病により、それぞれのシステムとの関係やシステム内での役割が変化し、また逆に、システムの性質により患者の疾病に対する反応が変化する。患者その人がどんな文化の中で生きているかで、病気の捉え方や対処法が異なる。このような点を把握して対応する必要がでてくる。

医者と患者の間の共通理解を見つける相互作業は、この技法の3番目の要素であり、3つの鍵になる事柄に焦点を当てている。まずは、患者の問題は何か、ということをはっきりさせておくことである。患者は病気と思っているのに医師は病気でないと診断することもある。いわゆる疾患と病いの認識にもつながる問題である。問題点を一致させたら、次に患者の希望に沿って治療を開始することである。専門職としての医師の考えと患者の考えにギャップがあるときには交渉してお互いに歩み寄ることになる。なかなか患者に歩み寄れない医師がいるが、患者を自分の信念に従わせようとすると患者は医師の指示を守らない、いわゆるノン・コンプライアンスになる。治療のゴールについて一致が得られたら、医師は援助者に徹して、患者に気づきを促し、自立して自分で病気に対処してコントロールしてもらうことである。パターナリズムで医師が主導してなんでも治療し患者も治っていくのなら簡単なことだが、患者が自分自身で疾病をコントロールしていくのを助けるという場合に、今まで受けてきた医学教育のやり方では対応が難しい。そのためには、行動科学などをしっかり勉強していく必要がある。

4番目の要素は、互いの出会いを予防と健康増進のための機会として用いることの重要性に焦点を当てている。21世紀は、病気に合った薬を飲めば病気が簡単に治り患者が幸せになるといった時代ではない。生活習慣病の時代を迎え、病気が簡単に治癒することはなく、長い期間に亘ってその病気と付き合いながら自分で健康管理をしていかなければならなくなっている。また、そういった病気にならないよう予防していくこともなおいっそう必要とされる時代なのである。これは、健康増進と疾病予防が医師の仕事として病気を治療するのと同じ、あるいはそれ以上に重要な問題であることを認識すべきことを示している。

5番目の要素は、患者それぞれとの接触は共感、信頼、ケア、治癒を含む患者・医師関係のもとでなされるべきであることを強調している。患者医師関係の基礎をなすものとして重要なのは、互いの力関係とコントロール関係を分配し合うことである。患者自身にに備わった内なる力のことを「エンパワーメント」といい、この内なる力を発揮して自分の力で解決していくような環境を作り出すことが重要となる。ケアの領域では、「すべての患者はそれぞれ異なるということを認識し、ひとりひとりの患者を理解し相対するために積極的に、正しく患者に巻き込まれていきなさい」と提唱されている。「転移」、「逆転移」という概念も患者との関係強化のために大事な要素である。転移は、自己の気づきと似ているが、患者が無意識のうちに自分の現在の考えや行動、感情を他人に投影するプロセスで、愛情、憎しみ、両価性、依存などがある。それらは医師自身が患者を治療し、ケアし、癒すための手段でもある。薬や治療技術だけに頼るのではなく、むしろ医師自身がその役割を果たすべきだともいえる。

6番目の要素は、以上の5つのプロセスを通じて、臨床医が時間や資源の利用の仕方、必要な情緒的身体的エネルギーについて現実的になることである。現実的であるかどうか、実行可能であるかどうか、これは、これまで学んできた技法を使って実際に患者に適用していくための指針のようなものである。いくら立派な計画も実行できなければ意味がない。医師にも時間とエネルギーに限界がある。それを上手に使わないと患者のために活かされない。そのために、何が重要かの判断能力、医療資源の上手な利用能力、チームワーク形成能力が大切になる。

以上まとめると、「患者中心の医療」とは、患者を病む人間全体としてとらえ、患者と共通の基盤を持って、治療だけでなく、予防や健康増進も取り入れるということである。そして、患者との関係のなかでかわされるさまざまのやり取りから関係を強化して医療を展開していくことでもある。

 

参考文献

1)M.Stewart, J.B.Brown, et al. Patient-Centered Medicine. Transforming the Clinical method. California: SAGE, 1995