Interview 1 北の大地で勝負を挑む」

 

北海道立札幌医科大学に1999年「地域医療総合医学講座」ができた。

―― 設置の目的は、「地域医療への貢献」をより積極的に果たすため、1)系統的・総合的な卒前及び卒後教育を通じて地域医療のできる医師または研究者を育成する、2)地域医療、総合医療、包括医療等に関する研究を推進する、の2点である。さらに「地域医療への貢献」を具現化するために、医師派遣およびマルチメディア通信ネットワークによる遠隔医療支援等の可能な「地域医療支援室」の設置が将来構想として含まれている。――(札幌医科大学50年記念誌より)

12月初旬既に雪の舞う札幌に、山本和利教授(1978年自治医科大学卒業)を訪ねた。講座入り口のドアには実際に使われ効果のあった南極探検隊募集を「パロディ化した」という張り紙が貼られている(写真1、参考:『エンデュランス号漂流』、アルフレッド・ランシング著、山本光伸訳、新潮社、1998年)。教授室に通されると、壁の天井まである本棚には本がびっしりと詰まっていた。一目して分野は幅広い。その横には奥様が描かれた木の根の絵がある(写真2)。これは著書「医療における人間学の探求」(ゆみる出版)の表紙にも使われた。

 

さて講座名であるが、なかなか正しく覚えられないらしい。

山本:学生もレポートで講座名を間違って記載することがあります。知事が選挙公約で地域医療を担う「講座をつくる」といったので、それを引きずって20何年ぶりかにできたのがこの講座です。「地域医療」と名前を付けたのは、地域医療とか総合診療を本当にやっていない人には遠慮していただきたいという意向があったからです。教授選の評価も研究業績の指標となるインパクトファクターだけではなく、むしろ地域医療関係の業績に重点が置かれていました。

浅井:それは道の意向ですか?

山本:どうなのでしょう(笑)。そうだと思いますよ。だからこそ、学長以下三役は本気でやらなければいけないと思っていたと思います。

浅井:講座名は先生が決められたのですか?

山本:日本語名は赴任の時には決まっていました。仮称で始まって仮称が取れてそのままになりました。英語の名前は大学の委員会がCommunity and General Medicineとしました。

 

総合診療科外来開始

山本:私はクリスマスイブに縁があるのです。義理の母が脳卒中で倒れたのが12月24日の当直のときで、教授選の選挙結果が決まったのも98年の12月24日だったのです。どちらも私や我が家にとって、その後の生活を左右する大きな出来事でした。99年4月の知事選挙までに何らかの形で診療をしていなければという道の事情があったのでしょう。2月1日から開始すると既に決まっていました。そうは言っても前任地での仕事の整理がありますからすぐには来られず、赴任の日は雪祭り最中の土曜日でした。宿が取れなくて、病院のベッドでもいいから寝かして下さいと頼んだら、道の関係で何とか取ってもらえました。

浅井:どうにかなるものですね。(笑)

山本:スタッフも私以外に3人連れてきてくれと言われたけど、タイミングが悪いですよね。2月では皆もう身の振り方が決まってしまっていますからね。赴任したばかりで無理とか、教授に許可がもらえないとか、家族が反対しているとか、依頼した人の断りの理由は様々でした。私自身の家族にも、義母の介護や子供の学校の関係で来てもらえなかったのです。仕方なく、3月24日に1人で外来を始めました。

浅井:診療科の名前は?

山本:総合診療科です。週2日で始めました。患者数は1日10人くらいで、新患の人が多くて5人ですね。ちょうど最初の日の外来状況をNHKがお昼の番組で放映したのでそれを見て受診する人もいました。

浅井:患者さんは、どういう経路で受診していますか?

山本:3系列あって、直接受診を希望して来る人、紹介状を持って来る人、あとは内科を受診して予診後に回ってくる人ですね。

 

スタッフと研修医

浅井:スタッフはいつ増えたのですか?

山本:2000年の4月にようやく1人(川畑英伸助手、1989年産業医科大学卒業、京都府舞鶴市民病院より)、6月に1人(宮田靖志助手、1988年自治医科大学卒業、愛媛県三島診療所より)、そして最後に10月に1人(木村眞司助手、1989年札幌医科大学卒業、神奈川県茅ヶ崎徳洲会病院より)と増えました。

浅井:レジデントは?

山本:研修医は1年目に北大から1人、札幌医大から4人の計5人入局し、そのうち2人は1年目から直接外で研修しています。

浅井:外はどこで研修しているのですか。

山本:茅ヶ崎徳洲会病院で、木村先生がいた所です。当大学で研修しないものは入局と認めないなどと言っていると総合医志向の人はなかなか入ってもらえない傾向があります。これまでの大学の研修自体が、総合医志向者にとってあまりよろしくない部分もあるように受け取っている者が多いようです。教授の出身大学で行っている専門医教育にどうしても偏ってしまうため、総合医志向の人は余計敬遠してしまうのかもしれません。これまで札幌医大ではスーパーローテーションの研修が全然ありませんでしたが、うちの3人だけがスーパーローテーションで研修しています。

浅井:そのなのですか。

山本:スーパーローテーションのような研修をしたい人は、札幌医大内でわざわざ実験的に第1回目をやるよりは大学外の評判のいい医療機関で研修医採用試験を受けてしまい、結局大学には残らないようです。札幌医大に残る人は専門医志向の人ですね。総合医志向の人は全然残りません。そういう環境で人を集めなければならないのが辛いところでした。私は2月に来たから、6年生の授業が全くないため接点が1回もないので、その年の卒業生の入局を期待するのは無理でした。そこで、新6年生を対象に月に1回の「EBM入門」を企画しました。前年に北大であった家庭医療研究会で、EBMのワークショップの時に札幌医大の学生が2人来ていました。その2人と始めたら、しばらくして11人が来てくれるようになりました。講義内容は本にする予定で出版するばかりになりながら断念したものが200ページ分ありました。当初月1回だったのが、そのペースでは1年間かけても内容を伝えてもらえないかもしれないと学生の方が懸念して、2週間に1回、それが毎週となって、結局30数回都合のつく限り毎週やりました。その11人のうち5人がこの春入局してくれました。

 

診療体制

山本:外来は週に2回でしたが、スタッフが増えてから毎日になり、現在は2診体制となっています。病棟は2000年5月から総合診療科の固定ベッドとして5床を運用しています。将来はもっと増えて12床くらいになります。

浅井:入院患者さんに特徴がありますか。

山本:不思議なもので、今、クッシング症候群の患者さんが3人も入っていることです。あとは家庭に問題があったり、心理・社会的な問題があったり、慢性疼痛を訴える患者が多くなっています。つい先日、半年も一緒にやってきた看護婦さんに「先生達、心療内科じゃないのですか!?」と驚かれてしまいました(笑)。いやうちは違うという意味で病棟の看護婦さんへのPR用講義を企画しています。

 

サイエンスの限界

浅井:教室のミッションは?

山本:基本的に、良い臨床医をつくるということははっきりしています。医療にはscienceとartの両方の部分を兼ね備えることが大事ですよね。最近、scienceの部分はせいぜい25パーセントで、残りの75パーセント以上はartではないかと思うようになりました。artを実践するためには医療人類学、社会学、文学、などの素養が要求されます。短時間に、様々な文化や価値観を知るためには、映画や文学に接することが有効であろうと思うわけです。

浅井:それで沢山の本を読んだり、映画を観たりしているわけですね。

山本:趣味と実益を兼ねていますね。私は昔から他人と反対のことをするのが好きなのです。最近の医師はみんなミクロの分野の研究にいくでしょう。どんどん遺伝子までいって論文書いているけど、それならば限りなく反対にいこうと考えたわけです。宇宙までは行きませんけどね(笑)。結局、数学とか哲学、文学の方にいきます。エビデンスとか統計とかの科学的な話をしていると、数学的な素養が要求されます。数学をずっとやっていくと、数学的に割り切れないところがでてくるわけです。そうすると、考えることになっていつのまにか哲学の本を読むということになるわけです。

浅井:数学から哲学ですか?

山本:私自身、世の中の動きや事象を論理的に説明したいと思うのですね。なかには数だけで説明できるのかと思う人がいます。でも、裏付けのために数学を勉強してみようと思った時に、行き詰まるのじゃないかと思いますよ(とお勧めの本のタイトルをいくつか挙げられた)。

 

地域医療の支援

 設立の目的にもあるように、地域医療への貢献が期待されている。

山本:これまで札幌医大全体として地域医療をしているシステムは十分に機能していませんでした。阿寒町と奥利尻島に何年間か半年単位の持ち回りで、外科から内科、小児科など大学全体で対応していました。けれども、結局、小さな病院に外科の先生に来てもらっても十分に活動してもらえないということになって、内科だけにしてくれという要望になってきました。内科だけで請け負うことになると、内科系の医局は今までよりルーチンの業務が増えることになるので、一つしか請け負えないというのが最終結論になりました。残りの一つを当教室でと期待されているのですが、今は地域医療の現場に派遣する人がいないので困っているところです。

浅井:地域医療をサポートするには定員枠が必要でしょう。

山本:財政難だし、大学内の何科に付けるかなどいろいろあって難しいのですが、そもそも後3人分の枠があるので、将来は学生教育や研究をしてもらうことにはなるのですが、2001年4月から2年間だけでも地域医療に従事する医師が必要になってきたわけです。それで本号○○ページにあるような募集広告を掲載させていただきました。

 

学生教育

山本:学生教育ではますます色々な役割を担うようになってきています。毎年、富士の裾野でやっている医学教育の研究会で学習した内容を実践する役割です。

浅井:医学教育学会が主催でしたか。

山本:1998年まで札幌医大からは誰も参加した教官はいなかったようです。私が赴任してはじめて一人参加経験者ができたと聞き及んでいます。医学概論4というのがあって、一年目は地域に行ってレポート、2年目は看護実習、3年目は外に出て地域医療を体験、4年生になった時に医療面接を教えるようになっています。私が来る前には医療面接を、実習ではなく講義していたようです。それではあまりにも時代の趨勢に遅れていると思い、「医者をどこからか動員して100人を4人づつ25班に分けて一斉にドーンとやりましょう」、という身体診察の実習も併呑した企画案を医学部長に提出したところ、「じゃあ君がやってください」、ということに突然なってしまい、北大に頼んだり他の科に頼んだりして実習形式で行うことができました。

浅井:医師を25人集めてきたわけですか?

山本:集められないから、80人に身体診察ビデオを見せている間に、残りの20人を4人ずつの班に分け、教官を1名づつつけて実習をするというのをやりました。

浅井:ところで、模擬患者さんはどうやって集められたのですか?

山本:北大の総合診療部で指導を受けた方に来てもらいました。それが縁で、その後も引き続いて週に1回総合診療科の5年生の実習に来てもらっています。それが今では当科実習の最大の売りになっています。

浅井:学生教育の問題点は他にもありますか。

山本:あとは医学部全体としての臨床医入門コースみたいなものがありません。総合診断学もカリキュラム委員の先生方と練り直すことになっています。5年生の実習が各科に任せられていますが、各科が一体何をやっているのかが他の科のものには全然わからない。それをコーディネートして、6年生にはOSCEを卒業試験に入れることを前提にカリキュラムの見直しを要望しています。

浅井:これまで行ってきた課外授業はどうなるのですか。

山本:課外授業にも、力を入れないといけないのです。6年生に今年は当科としてのdutyが全然ないのです。今は教室員全員でその任に当たっています。たまたま別の時に当教室員が6年生に講義をやったところ、4年生と同様の実習を受けたいという希望者が40人程でました。そこで、時間外で保健学部の部屋を借りて、ずっと夜の時間帯に2週間OSCEのための身体診察実習をしました。

浅井:診断学の時間帯ではあまり学生に教えられていないですか?

山本:系統的に教えるということがない様です。学生によって様々ですね。なかには、6年生でも聴診器のベル型と膜型の切り替えができることを我々が教えるまで知らない学生もおりました。

浅井:益々忙しくなりましたね。

 

教育のための枠組み

山本:教育については、教官側が「自分の医療姿勢を見てもらえばわかるだろう」で終わっていましたが、実際に教えよう伝えようとした時に、ある程度枠組みがないと伝えられない。

浅井:そのように考えている医師を自治医大卒業生の中によく見かけますよね。

山本:はい、私は自治医大に戻って実感しました。地域医療をやっている人は「よい医者なのだ」ということを証明したくて私自身自治医科大学に戻ったわけです。自治医大卒業生でない教官は専門医教育にしか興味がないようですし、卒業生はと言えば、よい医師にしたければ地域にたたき込めばよいと考えているものが多く、どちらにしろ教育には全く期待をしていないし、教えるための枠組みを持っていないわけです。どの大学であれ専門各科の教授は「うちだってよい医者作っています」というわけですよね。「よい医者って何だ?」というときに、枠組みがないとわからないのではないでしょうか。

浅井:「よい医者」という単語の使われ方が違いますね。

山本:違いますね。私もおふくろに「よい医者になりなさいよ」といわれ「しっかりやってるよ」と言っていますけど、今度は学生に「よい医者になりなさいよ」という時に「先生、何が求められているのですか?」と聞かれた際、そういう枠組みがないと伝えられない部分があるのです。例えば病気という用語ひとつとっても、医療人類学ではillness, disease, sicknessの3つがあるとか、患者の受療行動によって対応を変えなければいけないとか、患者からみたときに「よい医者」と呼ばれるために必要ないくつかの枠組みがあるはずなのです。「よい医者」になってもらうために不可欠な、最低限伝えなければいけないものがあるはずです。そのような知識・技能・態度としての枠組みを整備して、後輩に伝えることが私の役目ではないかと思っています。うちの教室で伝える項目がはっきりしていれば、「あ、そうだ。これ言わないと」となるので、教育内容に一貫性が保たれると思います。

浅井:伝えるために枠組みが大事ということですね。

山本:患者さんに「先生ってよい医者なのね」と言われる医師を育てようと思うと、「よい医者」の枠組みが必要だっていうことなのです。

 

これからの勝負

浅井:今後したいことは?

山本:札幌医大においてはピンチをチャンスに変えたいですね。どういうことかというと、財政難で毎年60億という赤字があります。材料費を節約したりしても、精々10億円赤字を減らすだけです。将来、人件費を減らすことになる可能性があります。現在、専門医と総合医の比率は300:4なのです。医師数が減るとして、これまでの比率から100:100の比率にしたいというのが私の目論見です。

浅井:話が大きくなってきましたね。他のことではいかがですか。

山本:学生教育については、やはりよい医者を育てるということです。OSCEの責任者になることが予定されていますので、臨床実習を系統的に改革すること、あとproblem-based learningにも関わって教育カリキュラムを作ることなどをしたいですね。レジデントに関しては、スーパーローテーション研修を制度化するための先駆けの役目が果たせそうかなということですね。

浅井:他にありますか。

山本:大学以外の仕事では、翻訳も入れて7冊ほど本の執筆を抱えています。総合診療に関することだけではなく、今不満に思っていることに対してはもの申すという形で少し勝負したいですね。お気づきかもしれませんが、「お前は勝負勝負と言いすぎる」と年配の先生にいさめられます。

 

札幌での生活

浅井:好きなことはありますか?

山本:映画に行くことと本を読むことです。私は年間、本を200冊読もうと思っています。今188冊目を読んでいるところです。私自身の目標としては、文科系の教授とか、たとえば立花隆氏などと突然会ってもちゃんと話ができる人間になりたいと思っています。今の医学関係者って自分の範囲を離れたら全く何もできないでしょう。そのような医師にはなりたくないですね。

浅井:映画というのはビデオも含めてですか?

山本:いいえ。今年はビデオを80数本、映画を90数本見ました。ビデオと映画は別物と思っています。娘と同居してからはビデオはほとんど見なくなりました。

浅井:メジャーなものを見ているのですか?

山本:メジャーはほとんど観ていません。イラン映画とか中国、台湾、韓国。今は韓国映画がいいです。この前の札幌映画祭でも数本、観にゆきました。どうしても観たい映画が一日しか上映されないため、年休をとって行ってきました。

浅井:映画の環境はいいですか?

山本:札幌には映画館が京都の3倍はあります。ハリウッドじゃない、私向きの小さな映画館が数館あります。それも1週間、下手すると3日で上映作品が変わるような場合には、慌てて観に行きますからどうしても鑑賞本数が増えてしまいます。

浅井:札幌の生活はどうですか?

山本:快適ですよ。最近、一戸建ての築30年の公宅が空いたので引越しをしたばかりなのです。通勤は2キロを歩いて28分かかります。雪が積もっているときは、30分から33分。図書館が近くなって歩いて10分で行くことができます。小説の新刊本を買わなくても予約できるので重宝しています。ただ、予約本の順番がきたらすぐに取りにいかないと他の人に回されてしまうシステムになっています。いつも20冊ほど予約しているので、しかも先に借りた本を読んで返却しないと借りられないので、場合によっては1週間に4冊読まなければならないこともあります。妻には活字中毒と言われ、あきれかえられています。

浅井:札幌の暖房はしっかりしていますよね。

山本:最近立てられたマンションはそうでしょうね。私の今度の所は築30年で隙間風が凄いです(追加:新年に10日間家を留守にして帰宅したら、水道管が破裂して、湯沸し器も壊れて、現在、水なし状態で生活しています)。

 

地域医療・総合医療をめざす人へ

浅井:地域医療や総合医療に興味を持っている人に一言お願いします。

山本:私たちが目指しているものは、総合医療の人だけでやることではないと思っています。総合医療と銘打った科は本来はいらないのではないかという思いがあります。自分らが医者になりたいと思ったときの原点はなんだったか。患者さんを何とかしてあげたいと思う気持ちが医者側にあれば、必要なことは先にのべたような必要最低限の知識・技術なのです。それを医療者側が機械論に持っていって切り刻んでいってしまった。専門家が「科学的」にやっている中で切り捨ててしまったものを、もう一回私たちが一生懸命やり直しているだけであって、その人達も入学したときの原点に立てば同じ思いのはずなんです。そういう意味では、将来地域医療や総合医療をやるやらないは別にして一緒に努力してゆきたいと思っています。うちの教室なり、地域医療の教室なりこの医療センターなりに来てもらって、そのときに自分は専門をやろうと思ったけども、やっぱり一緒にやる中で少し影響を受けて、このまま総合診療医療やろうか地域医療やろうかとなってくれればありがたいと思っています。

 

取材後記

 録音した内容は幅広かったが、長かったため紙面の関係で半分程度を割愛した。地域医療への貢献が目的である講座の立ち上がりから現在に至る貴重な話を聞くことができた。取材後にはスタッフの方々とも話をしたが、皆さんそれぞれにプランがあり意気込みが感じられた。今後の発展が楽しみである。(インタビュアー月刊地域医学編集委員 浅井泰博)