Lecture 2-1 科学性と人間性

まず、医学雑誌について述べた。医学雑誌の症例報告は苦しんでいる人を必要とする。しかし、科学性を重視するあまり、患者さんの主観的な訴えは省略される。記載された人々の個別的な苦しみは認知されえない。神経内科医で有名なオリバー・サックスの著作『妻を帽子とまちがえた男』の中のレベッカさんについてみてみよう。診察室では「失行症、失認症、知能に欠陥を持つ子供みたいなレベッカ」と医師は認識するが、庭で偶然みた姿は「チェーホフ桜の園にでてくる乙女・詩人」とオリバー・サックスは記述している。そして「われわれはいわゆる『欠陥学』に関心をよせすぎていて、『物語学』のほうにはほとんど注意をはらわなかった。『物語学』こそ、これまで無視されてきたがこれこそ具体的な科学なのである。」と患者さんの有りの儘をとらえることを強調している。また、レベッカさんは「私は、生きている絨毯のようなものです。絨毯にあるような模様、デザインが必要なのです。デザインがなければバラバラで、それっきりです」と。今の医療は、絨毯を見たとき最初に目が行くのは絨毯につけられたタバコによる焦げ目であり、絨毯そのものの美しさには目が行かない。また、サックスは「人間存在としての私たちが負う最も困難な義務のひとつは、苦しむ人々の声を聴くことである」とも述べている。

健康生成論(サルトジェネシス)のいう考え方をご存じだろうか。これはイスラエル社会学者アーロン・アントノフスキー(Aaron Antonovsky)が提唱した理論である。健康に対する発想の転換である。アウシュビッツの生存者について研究し、「人はなぜストレス状況下においても、健康でいられるのか?」健康に有害な場合を考えるのではなく、有益な場合があるのではないかという仮説を立てた。この汎抵抗資源は、個人や人間関係・職場・医療、宗教・伝統・芸術に含まれることを突き止めた。コヒアレンス感(Sense of Coherence)が高いとポジチィブに考え、健康に繋がるということである(ある日本人は「首尾一貫感覚」と訳している)。これには3つの確信が含まれる。1)理解可能であるという確信「こんなことは人生にはよくあるさ」、2)対処可能であるという確信「なんとかなるさ」、3)自己を投げ打つに値するという確信「挑戦してやろうじゃないか!」。ここで脳卒中後、家に閉じこもる女性について話した。ある日、訪問した保健師が壁にかかったタペストリーを発見する。その美しさ・出来栄えの良さを誉めた。それを切っ掛けに麻痺は変わらないが、またタペストリーをコツコツと作るようになり、健康祭りに出品したところ、住民から作成の注文が来るようになり、家から出る生活になった。片麻痺は変わらないが、この女性にとってタペストリー作りが健康の素になったということである.

最近では医療における視点に変化が起こっている(ロジャー・ジョーンズ、他:Lancet 357:3,2001)。個人よりも地域に、疾病の治癒よりも健康の維持に、エピソードごとの医療よりも継続的で包括的な医療に、パターナリズムが主流の医療から交渉による意思決定に、入院医療から地域外来医療に、経験的な医療からエビデンスに基づいた医療に、中央化システムから地域立脚型プライマリケアに軸足が移ってきている。医学教育における視点も変化している。包括的知識から学び方の学習に、受動的学習から能動的学習に、背景なしの情報伝達から症例基盤型問題解決に、統一性のない講義群から基礎と臨床の統合講義に、基礎と臨床が分離した学習から初期臨床経験・科学教育に、教師中心の教育から学習者中心の教育に、キャリアの最初だけの教育から再審査・継続的学習になってきた。

能力には2つある。abilityとcapabilityである。私は abilityを即戦力とcapabilityを潜在能力と訳した。研修医や総合診療医に求められるのはcapabilityである。臓器専門医は目の前にいる患者さんに即答を求められるが、総合診療医は少し時間をもらって科学的根拠を持つエビデンスを探す。領域が広すぎて最新のエビデンスをすべては記憶できないからである。そこで必要になるのがEvidence-based Medicine(EBM)の学習法である。大陸を横断しようとする旅人に例えてみよう。鮭を数匹担いで行くのが臓器専門医である。時間がたつと鮭が腐って食べられなくなる。一方、釣り竿と餌を持って横断するのが総合専門医である。必要に応じて川で鮭を釣って食いつなぐ。この考えを支える報告を示しそう。系統的レビューの寿命がどのくらいであるかという「エビデンスの生存期間分析」をした報告がある(Shojania KG, et al. How Quickly Do Systematic Reviews Go Out of Date? A Survival Analysis. Annals of Intern Med 2007 ;147(4):224-33)。100の量的系統的レビューを分析した。効果/治療副作用に関する結論は,系統的レビューが発表後すぐ変更となることがよくあるようだ。結論が変更なしに生き延びる生存期間の中央値は5.5年であった(循環器領域はさらに短いようだ)。新たな有意のエビデンスが2年以内に発表されたものは23%に及んだ。推奨される医療エビデンスは変わりやすいのである。

このような医療界で2年の初期研修後、専門研修に励んだ医師は自分の専門領域以外を診たがらないが、それでいいのだろうか。そう、診ないことが正解である。彼の専門領域以外の知識は50%が古くなって役に立たないからである。50%でも活かせばよいと思うだろうが、彼らにはどれが有効なのか見分けがつかない、丁半博打の世界なのである。ましてや臓器専門医10年目の医師の知識は25%とさらに半減する。そう考えると臓器専門医は、専門領域以外を診なくていいのである。ではどうしたらよいか。総合診療医が診ることになるが、わが国には若い卒業医師の2%しか希望者がいない。98%の臓器専門医が自分の専門しか診ない。複数の疾患を抱える老人は複数の臓器専門医で対応するのが日本の医療である。専門領域以外を他の専門医に押し付けることでお互いが多忙となり、非効率で非経済的になっている。(つづく)