Lecture 2-3 科学性と人間性

事例を紹介しよう。60歳の女性が配偶者同伴で受診した。失神発作が起こり、検査の結果、不整脈が原因と判明した。ペースメーカー挿入直後は順調であったが、失神が再発しペースメーカーに不具合があることが判明する。その後、さまざまな理由でペースメーカーが作動せず4度入れ替えをしている。現在、失神は起こっていないが耳鳴りがあらたに起こり、様々な病院を受診しているが、原因となる異常は指摘されていない。耳鼻科医は耳に「異常はありません」としか言わないし、循環器医は「ペースメーカーは順調です」としか言わないそうだ。

このような事例に、どのように対応したらよいのだろうか。患者さんは、自分なりに、出来事に意味付けをしている。物事を関係づける。これを知るには、医師は、「聴いて、考えて、感じる」しかないのだ。身体所見や検査に科学的根拠を求めても解決しないことが多々ある。癒しは、「孤立し苦悩している患者を継続的に見ることで信頼を得て共感し、患者の意味付けしたナラティブを共有し、徐々に患者さんの意味づけをポジチィブに変容させ、症状を受容していくプロセスである」と言われている(Egnew TR. Ann Fam Med 2005;3:255-62)。患者さんの意味付けを聴き取らなければ、このような患者さんでは解決の糸口が見つからない。外来患者さんを渋々とルーチンでこなしている医師にこの言葉を投げかけたい、「患者と出会ったその医師の生きる姿勢が問われている!」と。ここでいう意味付けとはナラティブである。ナラティブは他者へ向けられた言語行為であり、現場で医師と患者さんとで書き換えられ、「視点」と「文脈」とが要求されるものである。「なぜ」に答えることが求められる。

ペースメーカーを4度入れ替えた女性のナラティブをみてみよう。「もっと専門性の高い病院で挿入してもらえばよかった」、「ペースメーカーはうまくいっているとしか今の主治医は言わない」、「耳鳴りを治すためにペースメーカーを入れ替えたい」というものである。私はこのナラティブを主治医の循環器科医に伝え、現実的な対応してもらうようお願いした。

もう一例紹介しよう。全身の不調、口腔内の痛みを訴える50歳の女性が紹介状を持参し受診した。「全身の不調、口腔内の痛みを訴える。精査をしたが、抗核抗体陽性以外は問題なし。様々な治療をしても改善しない。義歯による『金属アレルギー』ではないかと本人は思い込んでいる。検査をしてもらったが、義歯に用いた金属に対するアレルギー反応はない」とのことである。私は「burning mouth」と診断し、抗うつ薬を処方して、次回の予約をして帰宅させた。1か月後、患者さんは明るい顔をして「先生、痛みがなくなりました」と言って診察室に入ってきた。私は誇らし気に「ね、私の薬は効いたでしょう」といったところ、「先生の薬は1錠も飲みませんでした。実はいい歯医者さんに出会ったのです。歯を全部抜いてくれたのです」と患者さんは嬉しそうに話された。人間の体が不思議であることを再認識した。

ここで、ナラティブの引き出し方をお伝えする(Narrative-Based Primary Care : A Practical Guide, John launer著) 。6つのナラティブ要素がある。Conversations、Curiosity、Circularity、Contexts、Co-creation、Caution(Six “C”)である。

1)  Conversations。会話のプロセスそのものを治療とみなす。「問題の解決」から「問題の解消」へ向かう。名前付けをし、質問者となり、新たな物語の提案者となる。物語は終わることなく発展してゆくのである。

2)  Curiosity。患者に焦点を合わせ、興味深く踏み込む。話が次々に先へ先へと移ってゆくような会話をする。知的よりもむしろ情緒的に、患者の感情を理解し、中立であること、聴く者の意志を入れないこと、『無知の姿勢』が重要である。これは偏見や思い込みを排除して、相手のこと、相手の話を知らないという姿勢・立場でいることをいう。

3)  Circularity。終わりのない、複雑な循環で、線形でない:原因と結果が1対1対応しないことが多々ある。医師は原因を一つに絞ろうとしがちであるが、意外にうまくゆかない。高血圧を例に挙げると、60歳台のストレスのない男性の場合は、塩分やレニン・アンジオテンシン系の障害と考えて対応できるかもしれないが、5歳女児を連れて顔面に痣のある30歳台の女性の場合、家庭内暴力や経済的困難、娘の就学問題、貧弱な食事等、様々な問題を解決しないと血圧は下がらないかもしれない。会話しながらフィードバックを続けることが大切である。ここで循環する質問をしてみよう。家族はどう感じているか、他の家族への影響はどうか、等を訊き出す。多声的で繊細、複雑、興味深いナラティブを創生し、それはひょっとすると新たなナラティブに変わりうるものである。

4)  Contexts。患者さんは多彩な背景を持っている。これまでの受診機関、家族、仕事、等。同様に医療従事者も多彩な背景を持っている。研修内容、医局の慣習、専門性、等。お互いがその背景の中で影響を及ぼし合うので診察室に上手くゆかないcontextsを持ち込んでいないかを一度振り返る必要がある。私は患者さんから冷たい視線を感じた時、私自身が冷たい光を発してそれが鏡の反射のようになっていないかと気を付けている。

5)  Co-creation。新たなナラティブを患者と医療従事者で協力して作り出す必要がある。その際、医療従事者は2つの役割を果たす。参加者(関わる)。新たなナラティブの進行の観察者(とらわれない)。よいナラティブをつくるためにはこの2つの役割のバランスが重要である。

6)  Caution。医療従事者がおかれた環境の限界を知る必要がある。限られた時間、限られた資源、患者さんの寄せる期待感(特殊なことを望んでいない、患者背景を話したくない、等)を配慮する。ステレオタイプにならないこと、すなわち、自分なりの方法を模索することである。

生物・医学・心理モデルを提唱した George Engelの話を取り上げてみよう。「私は昨晩嫌な体験をした。未明の5時に目が覚めたのだが、何となく調子が悪かった。そして喉がずっとイガイガする感じが段々出てきた。目が覚めるときによくこういう症状が出る。この感じは言葉に表わし難い。頸切痕の高さで、場所は指で示せるくらい、何かでむりやり広げられたような、詰まった感じがした。少し痛むようで、喉が少し腫れ、ひりひりした。もっと眠りたかったので、痛みを忘れるように努めたが無理だった。ベッドの頭部を起こしていたはずだったのだが、ずり落ちて体が水平になっているのに気がついた。頭は垂れてはいなかったが、枕からずれていた。今までの経験から、寝るときはベッドの頭部を起こしている方が楽なのだった。私は起き上がり、体をひねって、前かがみになって足をベッドの外に垂らした。1、2分でリラックスするとゲップが出た。もう一度ベッドに入って、枕の高さを70度にし、また眠りにつこうとした。しかし不快な感覚がすぐに甦ってきた。それでいつも出る3回のゲップのうちの1回目が出て、また体がリラックスした。もう1~2時間ほどの睡眠をむさぼれると確信して、ベッドに戻り、ベッドの背を起こした。目が覚めたときには症状は消えていたが、かすかな悲しみが湧きおこった。以前なら、私の体がずれているのに妻が気づいて、喉の症状が出る前に妻が私の体を戻してくれていたのだ。その妻は、1年以上も前からナーシングホームに入っている」と。

 これは典型的な逆流性食道炎の症状であろう。ここで疑問が浮かぶ。特効薬のプロトンポンプ阻害薬を処方すればよいのであろうか?この症状は妻を思い出すナラティブの一部を形作っているのである。簡単に治してよいものであろうか?

ここで韓国映画ペパーミント・キャンディー」(Movie Review1で詳細に考察)を紹介しよう。初恋の女性の見舞いに持って行ったペパーミント・キャンディーがタイトルに使われている。監督のイ・チャンドン氏は韓国文化観光部長を務めた世界的に有名な人物である。作品タイトルはすべて英語になっている。「グリーンフィッシュ」、「オアシス」、「シークレット・サンシャイン」、「ポエトリー アグネスの詩」、等。最近では村上春樹氏の短編を映画化した「バーニング」がある。どれも秀作である。物語は主人公が自殺をしようとするところから始まり、話は、3日前、5年前、10年前・・・とこの男の過去に遡ってゆく。人生を線路に置き換え、それを逆走するようにある男の人生を振り返る構成である。仕事上重要な場面に直面すると主人公を右膝の痛みが何度も襲う。現在の日本の整形外科にかかるとCTやMRIで診断しようとするかもしれないが多分診断はつかないであろう。映画を見終わるころ患者のナラティブが浮かび上がる構成になっている。この映画を観ると心臓病とガンという二つの病気を患い、医療社会学のあり方を見直し、ナラティヴに基づく医療社会学を牽引して来たArthur W. Frankの言葉を思い出す。「病んだ身体は沈黙しているのではない。痛みや症状となって雄弁に語っているのだ。ただそれが言葉にならないだけなのである。」(The Wounded Storyteller(1995)、翻訳は「傷ついた物語の語り手─身体・病い・倫理」ゆみる出版) 

これからの医療については、次の三本柱が重要と考えている。

1)エビデンス・ベイスト・メディスン:臨床経験・専門性、統計学、臨床疫学。

2)ナラティブ・ベイスト・メディスン:倫理、行動科学 ( 解決志向)、人類学, 社会学, 神話学、文学 (映画), ユーモア。

3)暗黙に知ること 

私の講義を聴いたある医学生の感想の一部を紹介する。「この世で最も治さなければならないのは病ではなく、貧困と無知であると思います。」「短期間でよいから地域医療をやってみたい。」