Book Review 33-1台湾を扱った小説 #亡霊の地

著者は1976年台湾生まれの陳思宏。ベルリンに在住。ゲイであることを公にしており、セクシュアル・マイノリティを表象した「同志文学」の書き手としても認識されている。2020年、台湾文学賞金典年度大賞と金鼎賞文学図書賞をダブル受賞。またニューヨーク・タイムズから「最も読みたい本」に選出された。

 

ベルリンで同性の恋人を殺した主人公Cは、刑期を終えて中元節(旧暦7月15日)に台湾の永靖に戻って来る。この折に故郷では、死者の霊も舞い戻る。Cの姉たちと兄、両親や近隣の住民。生者と死者が台湾現代史と共に生の苦悩を語る。タイトルは『亡霊の地』とは「クソったれの地」「どうしようもない場所」といった意味だという。

 

台湾では伝統的な祭事は今でも旧暦が使われている。中でも台湾の人々に大切にされている祭日が、「春節」「端午節」「中元節」「中秋節」などで、これらの祭日は家族で祝うものとされている。中元節は、霊界の門が開き霊魂が下界をさまようとされるのが旧暦の7月の1カ月。その1カ月のちょうど中間の「中元節」には、霊魂が最も多く彷徨うとされ、一般家庭や店などの軒先に様々なお供えを沢山並べ、線香を焚いて霊魂を慰める仕来りがある。本書では死者が帰ってくるだけでなく、生者も帰郷する。しかも、各自がその身に傷を負ってまるで亡魂のようになった人間として。

 

本書は、様々な匂い(臭い)が印象的である。水路に生えた苔、キノコ、道端の祝儀袋、捨てられた老犬の死骸、腐ったスイカ、古いバイク、飛び去る蠅、腐肉、新鮮な犬肉、蓮の花、柳、ススキ、プール、果樹園、熱帯雨林、ヘビスープ、豚足素麺、カバ、ハクチョウ、コウモリ、シロアリ、ヤモリ。

 

におい(嗅覚の感じるもの)を和英辞典で引くと、smell、odor、scent、aroma、stench、stink等が出て来る。

scentと言えば、アル・パチーノが盲目の元軍人を演じた米国映画『#セント・オブ・ウーマン/夢の香り(1992年)』(Scent of a Woman)が思い浮かぶ。人生に悲観し、ふて腐れた孤独な盲目の退役軍人 が、人生の選択(友人を裏切る:ハーバード大学への推薦か、黙秘を貫く:退学か)を迫られる青年との数日間の交流を通じて、自分の人生を見つめ直し、新たな希望を見出すまでを描いた心に残るドラマで、若者の生き方に示唆を与える作品であった。

におい(匂い、臭い)は昔の記憶と繋がる。特定のにおいが、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象は、「#プルースト効果」というそうだ。『#失われた時を求めて』という小説の中で、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した際、その香りで幼少時代を思い出す場面があり、その描写が元になっているということである(この小説については、この場面と途轍もなく長いということしか知らない)。私の場合、クレゾールの臭いが、子どものころお世話になった診療所を思い出させる。嗅覚は五感の中で唯一、嗅細胞、嗅球を介して、本能的な行動や喜怒哀楽などの感情を司る大脳辺縁系に直接つながっているので、より情動と関連づけしやすいためと言われている。


 台湾の雑多なにおいと風景が、異国情緒を持つ昭和の日本の田舎を想起させる小説であった。