Book Review 9-4

『グレート・インフルエンザ』(ジョン・バリー著)を読んでみた。

 

第一次大戦時にスペイン風邪が人類を襲った。スペイン風邪と一般的に言うが、本書はグレート・インフルエンザとしている。

 

 そのころ日本ではどうだったのかは、『感染症の日本史』(磯田道史著)にまとめられている。磯田道史NHKの番組「英雄たちの選択」司会者で有名。

インフルエンザの流行は第1次世界大戦の後半と重なっている。この大戦では戦死者が1000万人だったが、実にその5~10倍の5000万~1億人がインフルエンザで亡くなっている。この凄まじさは今回の新型コロナウイルス感染症とよく似ている。感染終息までにはおよそ2年かかり、3つの流行の波があった。1つの波の期間は長くても6か月で猛烈な感染のピークは2~4か月であった。第2波では、ウイルスが変異したことで致死率が高まり26万6千人もの死者がでた。特に11月からは猛威を振るい翌年の1月には死者が集中している。第3波は、第2波より致死率はさらに高まり、多くの死者がでた。第3波の流行に至るまで、政府はイベントや営業の自粛、行動制限などの流行拡大予防対策はとられなかった。最終的なインフルエンザによる日本での死者数は、日本本土で45万人(人口の0.8%)、外地(朝鮮、台湾)を含めると74万人の死者がでた。総理大臣原敬、山形有朋、大正天皇、皇太子(昭和天皇)もインフルエンザにかかった。政府の要人の感染は連日のイベントでの多くの人との接触がその原因と推測されている。文学者の島村抱月がインフルエンザで死亡し、その愛人である松井須磨子後追い自殺したことは広く知られている。このようなインフルエンザの流行からの教訓の第1、人の移動や密集が流行を拡大させる。第2、流行は一波では終わらない。そして感染を繰り返すことにより、ウイルスが変異して致死率が高まる可能性がある、ということだ。

本書に戻ろう。1918年のインフルエンザは、2年足らずの流行期間中に全世界で1億人の生命を奪ったとされる(エイズは発生から24年間で2,480万人の生命を奪った)。米国のカンザスハスケル郡が、インフルエンザの発祥地であったことを立証し、そのウイルスが不気味に広がっていった様子を生々しく記述する。フィラデルフィアでもニューヨークでも死体が積み重なり、街の人通りが絶えた。当時、英仏側に立って第一次世界大戦に参戦した米国はヨーロッパに400万人の兵士を送り込んだが、兵士の輸送とともにインフルエンザも輸送され、列車と輸送船は死者の運搬車・船と化した。若い兵士が詰め込まれた兵営はインフルエンザの温床となっていた。ヨーロッパに渡ったウイルスは、前線をインフルエンザで満たした。

この当時の治療法はどうであったのか。実践医学の教科書の最新版にウイリアム・オスラーは「肺炎患者には瀉血療法が必要」と書いていたそうだ。医師は診断しても助言しかできなかった。それ故、医師より看護婦のほうが役に立った。しかし、看護婦を見つけることは医師をみつけるよりも困難だった。(松前病院も同じである)。フェイクニュースもあった。ある医師が「潜水艦に乗ったドイツのスパイがインフルエンザを米国に持ち込んだ」と陰謀説を唱えている。実際に用いられた治療法として、チフスのワクチンを注射した、マラリアの薬キニーネを用いた、全身をアルカリ性に変えようとした、静脈に過酸化水素水を注入した、ゲルセミウムという薬草でホメオパシー治療を行った(死亡率が優位に低下した(28.2%対11.05%)と報告、皮膚に水泡を作り、そこに液体のモルヒネ、ストリキニーネ、カフェインを混ぜて注射した、腋下に消毒液のクレオソートを刷り込む、肺炎の予防にクレヲソートを浣腸する、染料で毒とわかっているメチレンブルーを筋肉または静脈注射した、瀉血療法を指示した、等々、現代では信じられない治療法であるが、「ランセット」などの有名雑誌に堂々と掲載されていた。新型コロナ感染の今日でも、トランプ大統領が予防法として根拠のない似たような発言をして嘲笑を浴びた。もちろん、当時ワクチンはインフルエンザを予防することができなかった。

パリ講和会議に出席した米国大統領ウィルソンは集中力がなく、ドイツの経済的窮乏、国家主義的反動、政治的混迷を招き、アドルフ・ヒットラーの出現を促したと言われている。一部ではインフルエンザに罹患したためではないかと疑う者もいる。1919年12月9日、オスラーはインフルエンザに罹患し、6㎏以上の膿胸水を排液されたが、甲斐なく死亡した。

インフルエンザの原因は何か。当初、インフルエンザ桿菌と思われていた。Darwyn Jonesらは、1918年のインフルエンザウイルスの遺伝子を、公表された遺伝子配列から再構築し、リバースジェネティクス法により1918年のウイルスを人工合成した。このインフルエンザウイルスはマカカ属のサルに強い致死性の肺炎を引き起こした。また、感染したサルは、ウイルスに対する自然免疫反応の調節に異常を起こしていることがわかった。インフルエンザウイルスが、感染した人や動物の免疫反応の調節に異常を起こす現象は、H5N1鳥インフルエンザウイルスの感染でも確認されている。Nature 445, 319-323, 2007.

コロナウイルス感染症の蔓延する現代から100年遡って振り返ると様々な教訓が見えてくる。