Book Review 26-4ディストピア小説 # 四書

 

『# 四書』(閻連科著)を読んでみた。

著者は1958年中国河南省の出身。高校を中退後、出稼ぎ労働に従事。一時人民解放軍に入隊。80年代から小説を発表、中国以外では高い評価を受けるが、国内では発禁処分。本書は中国国内で出版できず台湾で刊行。2014年にはフランツ・カフカ賞を受賞。次のアジア出身のノーベル文学賞受賞者は、村上春樹か閻連科かと言われている。

黄河のほとりの第九十九更生区。知識人たちはここで「こども」に監督され再教育を受ける。解放を夢みて狂騒的な鉄鋼農業生産に突き進む。しかし、無謀な目標生産に到達できない。そこへ大飢饉が襲い大勢が死んでゆく。不条理な「皇帝」の命令で幼い「こども」に翻弄させられる知識人たちの苦闘を「四つの書」の形式で語る。

 

本書は「毛沢東が指導した下放運動の告発の書である」というのが一般的見解である。中国国内での発禁は当然な帰結。下放運動は1958年以降に行った知識人を地方に送り失脚させた反右派闘争である。1966-1976年に文化大革命が施行され、大部分の知識人は都会に戻れなかった。もちろん大学は空洞化した。紅衛兵は、文化大革命期間に実権派打倒に猛威を振るい、数千万人ともいわれる死亡者・行方不明者の虐殺に加担した。紅衛兵は、毛沢東の著作から抜粋して編集した「毛沢東語録」を持ち歩き、これは個人崇拝の象徴となった。その後、毛沢東すら紅衛兵をコントロールできなくなり、毛沢東にとって権力闘争に利用する価値を失った紅衛兵下放人民解放軍の弾圧によって最終的に消滅した

 

解説を読むと、『#蠅の王』(ウイリアムゴールディング著、1954年)を思い起こさせるようだ。飛行機事故で少年たちだけが助かり、無人島に置き去りにされる。最初こそ協力し合っていた少年たちが二派に分かれて競い合い、対立してゆく。ついには仲間の一人を集団で手にかける。一派のリーダーであった少年は孤立して火を放たれ、島中を逃げ回る・・・。本書の「こども」による知識人支配とはやや異なる。

毛沢東時代を批判した書といえば、『ワイルド・スワン』(ユン・チアン著、1991年)が有名である。(恥ずかしながら未読)。清朝末期の錦州で祖母の誕生からユン・チアンの1978年のイギリス留学までの一族の苦難の歴史を記したドキュメンタリだそうだ。文化大革命の混乱と狂気を描いている。

1989年6月4日に天安門広場民主化を求めて集結していた約10万人のデモ隊に軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した「天安門事件」は、毛沢東時代の独裁体質を引きずったと言えなくもない。衝突のあと、中国共産党当局は広範囲に亘って抗議者とその支持者の逮捕を実行し、外国の報道機関を国から締め出し、自国の報道機関に対しては事件の報道を厳格に統制させた。(ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』によると、この災厄を契機にシカゴ学派ミルトン・フリードマンの惨事便乗型資本主義が導入され、国家資本主義に突き進んでいった)。

 

最終章に、「新シューシュポスの神話」が出て来る。シーシュポスに課せられた罰は、大岩を山頂まで運び続けること。けれど山頂に着くや否や岩は斜面を転がり、麓まであっという間に落ちてしまう。そしてシーシュポスは再び岩を運ぶために、山を下りていく…。無益で目的も目標もない労働に従事することこそ最大の罰であると言わんばかりの気の遠くなるような行為を、シーシュポスは課される。カミュは、不条理に見えるこの物語へ疑問を投げかけ、新しい知見を提示した。ここまではカミュが書いている。著者はその後を追加している。

 神はシーシュポスが罰に適応し、意義を見出したことに我慢ならなかった。……山の向こう側では逆だ。岩を山頂から下ろすときには莫大な力で押してゆく必要があるが、谷底に到達すると、今度は岩がひとりでに一定の速さで山頂に上がってゆくのだ(大きな違いはないように思えるが)。……山の向こう側では、シーシュポスは東洋のシーシュポスである。

 

 過酷な状況でも個々人で小さな幸福を探せ、と言っているように捉えられかねないが。無益で目的も目標もない労働から、制度を変えて人間を解放することが人間の英知であるように思うのだが・・・。Chat GPTも「関連条項なし」で答えてくれなかった。