Book Review 32-1心理 #悪意の科学

 

『#悪意の科学(SPITE and the Upside of Your Dark Side)』(サイモン・マッカーシー⁼ジョーンズ著)を読んでみた。著者はダブリン大学トリニティ・カレッジの臨床心理学と神経心理学の准教授。幻覚症状研究の世界的権威。本書は「悪意」について考察した本である。

 

結論を先に言うと、悪意とは人類が発展させてきた「諸刃の剣」である。たとえば、悪意的行為が予防的に行われることで、実は集団全体の公平性が高まり、それぞれの個体の優位が保たれる場合があるという。

 

本書は、「最後通牒ゲーム」と「独裁者ゲーム」という心理実験の結果に大きく紙面を割いて、それを元に論理を組み立てている。そして様々な悪意的行為について考察し、そのメカニズムの合理的な説明を試みている。

 

最後通牒ゲーム」とは、2人で例えば20ドルを分ける時、分け方の提案者がそれぞれの取り分を提案して、相手の了承を得られればその提案通りに配分されるが、拒否されればお互いに何も得られないというものである。

「独裁者ゲーム」はお金(1ドル札20枚)をどう配分するか、という課題が出される。お金の配分権は片方のプレーヤーだけが持っている。多くの場合は2~3割程度を相手に与えることがわかっている。ちなみに、この割合がその人の社会的地位によって少し違うということも知られていて、学歴が高い人ほど自分の取り分を多くするという傾向がある。凡そ半々で分ける人が多い。相手への配分の大きさが利他性の表れだと考えることもできる。

さて、本書が扱う「悪意(意地悪)」の定義はいくつかあるが、狭義には「自身の利益に結びつかないのに、わざわざリスクや手間をとって他者に損害を与えること」となっている。

他者との交流には1)協力行動、2)利己的行動、3)利他的行動、4)悪意のある行動の4種類がある(自己と他者、利益と損失を縦軸・横軸にした4分割)。

その悪意は進化で失われることなく、今でも社会にはびこっているらしい。

悪意には2つのタイプがある。1)反支配的悪意。ホモ・レシプロカンス(互恵人)。2)支配的悪意。ホモ・ヴァリタス(競争人)。他者に害を与えることで喜びを増やそうとする。悪意は競争で他者より秀でるのに役立つ。悪意に役立つ遺伝子が受け継がれてきた。

 

悪意は協力の対極に位置するが、悪意は逆説的に協力を促すこともある。他方、同じ悪意的行動が様々な災禍をもたらすことがある。ドイツ赤軍事件における集団自殺イスラム戦士のジハーディズムなど、ホモ・エコノミクス的なモデルでは説明できないことも、「悪意の科学」の観点からは説得力のある分析が可能だ。前回取り上げた大塩平八郎の乱は、反支配的悪意と言えようが、搾取する武士階級を許すことができず、社会改善のために反旗を翻したが、結局自己の消滅と大坂を灰燼に帰した行動になってしまった。そうした事象の多くは、人類が適応の過程でそれぞれに育んできた合理的な悪意が、想定外に複雑化した文脈に置かれることで一種の誤動作を起こしてしまったものである。そしてその深部には、広がる格差や不正への防衛反応、誰しもが陥る脳内快楽物質の罠など、納得できずとも理解せざるをえない合理性がある。

本書には多くの事例が列挙されているが紙面の関係で、「悪意の雑学的な豆知識」として以下にまとめて記載した。

・配偶者への悪意から子供を殺す事例がある。悪意により自殺する例がある。

・女性よりも男性、高齢者よりも若者のほうが悪意は強い。

・悪意の3つのネガティヴ特性は、1)精神病質、2)ナルシシズム、3)権謀術数主義。

・人類は平等主義(反支配的悪意)と権威主義(支配的悪意)の両方の傾向を進化させた。

・人間は不公平を嫌う。

・怒りや嫌悪感を減らすと悪意も減る(セロトニンが高まると悪意が減る)

・安上がりな罰としてゴシップ、嘲笑、村八分等がある。

・善人ぶる者への蔑視(一定数の人間は、自集団の利益に多く奉仕している他者に対して、恩知らずにも懲罰的行動をとってしまう心理がある)がある。

・不公平が存在する限り、人間には悪意が必要であり、悪意がある限り、不公平はなくならない。

・悪意が存在する理由は、悪意のある行動をとると得するからである。

・悪意のある人は気難しいタイプであることが多い。

・人間は経済的損失を被ることを厭わない(損得だけでは説明できない)。

・悪意を減らす方法は、理性的に考えることである。瞑想も怒りを抑えて悪意を制限する。

・現代ではこの悪意がもたらす負の帰結(ネットの炎上)が深刻化した。

 

本書には即効的な悪意への対処法は書かれていない。 朝起きてこんな考えが浮かぶ。「明日からあの嫌なヤツにどう対応したらいいのだ」と。瞑想でもしてセロトニンを高めて、理性的に対応しなければ・・・(それができないから問題なのだが)。