Book Review 36-1 スパイ小説 #楽園の犬

『#楽園の犬』(岩井圭也著)を読んでみた。


著者は大阪府出身。北海道大学大学院修了。「永遠についての証明」で野性時代フロンティア文学賞を受賞し作家デビュー。ほかの著書に「文身」「水よ踊れ」など。

 

戦時中の自らの意思をどこまで通すことができるのか、ということが主題のようだ。

1940年、舞台は太平洋戦争勃発直前の南洋サイパン。横浜で英語教師をしていた主人公が喘息を持病に持つために日本国内では就職できず、妻と息子を残して日本海軍のスパイという密命を帯びて赴任する。海軍は南進論を唱えるが、陸軍や米国には別の思惑がある。そこでは、米国や日本海軍等のスパイが跋扈している。現地では、沖縄から移住してきた漁師が自殺するなど、様々な問題が勃発し、その真相を解明してゆく。・・・最後、戦火を生き延びて、妻や息子に会うという主人公の思いは叶えられるのか。引き込まれる物語である。

 

巻き込まれ型スパイ小説の嚆矢と言われる『三十九階段』(ジョン・バカン著)を読んでみた。発刊年が古いため、図書館の本は傷んでおり、字が小さいため、電子図書で読んだ。読み上げ機能も付いていたが、AIの声は抑揚がなくついていけなかった。著者は、第一次世界大戦時には、タイムズの特派員として活躍。1927年には議員となり、政治家としてのキャリアも積む。1935年にはカナダ総督となり、在任中の1940年に落馬事故が元で死去。

粗筋は、第一次世界大戦前夜の英国。南アフリカから帰国し、退屈しきっていたスコットランド出身の青年主人公のもとに謎の米国人が来訪する。数日後、彼は死体となって発見された。その殺人の容疑をかけられ、追われる身となったが、欧州を世界大戦に巻き込む大いなる陰謀を知り、これを阻止すべく立ち上がる。

アルフレッド・ヒッチコックが1935年に『三十九夜』という邦画タイトルで映画化している。39 stepsの階段がなぜ夜と翻訳されるのか意味不明。話の内容からいっても階段でないと意味をなさないからだ。

 

購入したまま視聴していなかった市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』シリーズ第一作(1966年、増村保造監督)を、これを機会に鑑賞した。市川雷蔵が時代劇以外のジャンルに主演として出演した異色作である。市川雷蔵扮する主人公の陸軍少尉が、1938年10月にスパイ養成学校にリクルートされる。そこには18人の若い陸軍少尉が集められていた。18人は「中野学校」で1年間にわたり、軍人でないあらゆる分野の教官から、柔道、外国語、政治学、航空機の操縦をはじめ、諜報において必要な技術(変装、窃盗術、ダンス、料理等)を教授される。過酷な訓練は、自殺者や粛清者を出す。一方、音信不通となった主人公を探す婚約者は、彼を探す手がかりを求めて、外資系の貿易会社をやめ、参謀本部の暗号班にタイピストとして勤め始める。ある日、英国人社長(スパイ)に呼び出される。「主人公は軍法会議にかけられ、銃殺刑となった」と嘘を告げ、「日本陸軍の暴走を止めるために力を貸してくれ」と、婚約者に参謀本部内の機密情報の持ち出しを依頼する。その死を信じ込んだ婚約者はそれに応じる。一方主人公らは中野学校の存在意義をアピールするため、外交電信暗号のコードブックを盗み出す。入手に成功するが、婚約者が参謀本部将校との会話の中で、コードブックを盗み出したことが漏れてしまう。その後始末をつけるために、主人公は非情な決断をする・・・。

 国を救うためにスパイになるように簡単に説得される経緯が気になる。中野学校に入ると、これまでの人生を抹消して、別人にならなければならないという点も納得行かない。とは言え、楽しめる一作であった。残り4作品も視聴予定。

Book Review 15-10 時代小説 # チンギス紀

 

『# チンギス紀』(北方謙三著)を読んでみた。

著者は、日本を舞台にした推理小説歴史小説を書いた後、中国を舞台にした『楊家将』、『水滸伝』(全19巻)、『楊令伝』(全15巻)、『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)などの著書を多数執筆。多くの文学賞を受賞している。

12世紀に活躍したテムジン(のちのチンギス・カン)の活躍を描いている。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、広大な地域におよぶ国々を次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模のモンゴル帝国の基盤を築き上げた。本書は、テムジン10歳のときから晩年に至るまでの戦いの記録である。発音することも覚えることも困難な膨大な人物名が登場する。それを、巻頭の姓名表を参照しながら読むことになる。チンギス・カンが1218年にナイマンを滅ぼし、ホラズム・シャー朝に遠征を行い滅ぼした。それを17冊、半年ごとに読んだのでなかなか物語の流れが掴めにくかった。話は時系列でハラハラドキドキすることは少なく淡々と進んでゆく。今は全巻発刊されたので、続けて読むとわかりやすいかもしれない。

 著者の歴史作品は十数巻に及ぶものが多い。なぜ著者が晩年にチンギス・カンの生涯を描いたのか、私には今ひとつわからなかった。『水滸伝』は、著者独自の視点で、既存の作品と一線を画しているようであったが・・・。

 

それに関連して2024年2月にNHK BSで放送された『敦煌』(佐藤純彌監督、1988年)を観た。敦煌は、西域への出入口で仏教が早くから伝来し、多数の石窟寺院が現存しており、その石室の一つから、唐時代の古文書(敦煌文書)や西夏文字で書かれた仏典が20世紀に多数発見された。それをもとに井上靖氏(沼津中学在籍、京都大学卒業後、毎日新聞社に入社。芥川賞を受賞。文化勲章を受章。)が執筆した作品を映画化したものである。これだけの情報から、敦煌について調べ上げて作品にした努力と才能には驚嘆する。さすがノーベル文学賞候補となっただけのことはある。

映画では砂漠の中での戦闘シーンが多いが、北方氏のチンギス紀で描写される戦闘シーンはこれを観るとイメージされるかもしれない。小説「敦煌」に出て来る趙・朱・尉遅の三人は架空の人物のようだ。

物語は、官吏任用試験に失敗した漢人が町で、西夏の女が売りに出されているのを救う。その時彼女はお礼に一枚の小さな布切れを与えたのだが、そこに記された異様な形の文字(西夏文字)は主人公の運命を変えることになる・・・。映画ではシルクロード周辺の各部族の争いが活写される。・・・西夏との戦いによって敦煌が滅びる時に洞窟に隠された万巻の経典が、二十世紀になってはじめて陽の目を見たという史実をもとに描く壮大な歴史ロマンとなっている。人物よりも「敦煌」という町自体を主人公とした物語である。

Book Review 30-7 マンガ #プリニウス

『#プリニウス』(ヤマザキマリ×とり・みき著)を読んでみた。

ヤマザキ マリ氏は漫画家、随筆家、画家。東京造形大学客員教授。イタリア在住。とり・みき氏は漫画家。

プリニウスについては ローマ帝国初期に活躍した博物学者であることしか知らなかった。奇想天外な『博物誌』102巻を完成させたが、現存するのは37巻のみである。日本人の澁澤龍彦氏(人間精神や文明の暗黒面に光をあてる多彩なエッセイを数多く発表)が関心を示し、紹介する文章を書いているが、私が読んでもピンとこなかった。そんなとき、『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリ氏ととり・みき氏で、プリニウスのマンガを10年にわたって連載したことを知った。マンガであり、全12巻あるので札幌市立図書館では所蔵していなかったが、なんと厚岸町の情報館から借りることができた。構想と作画をヤマザキマリ氏が、とり・みき氏が背景や妖怪を担当したようだ。
 物語の主役は、プリニウス(ガイウス・プリニウス・セクンドゥス[A.D.23~79年])ということになっているが、途中からローマ皇帝ネロが主役の地位を奪っている。
 話は火山の噴火や雷といった自然現象へのプリニウス一行の遭遇から始まる。長い旅の後、ローマでは皇帝ネロとの緊張関係が待ち構えている。ローマは美しいというより魔窟のような場所。人心は荒廃し、新興宗教キリスト教の影も忍び寄る。一方、プリニウスの書記官エウクレスの想いを寄せた美少女娼婦への行動が物語に彩を添える。(プリニウス自身に関する歴史的な記録は少なく、そのためマンガの筋はヤマザキマリ氏が創作しているようだ。偶に妖怪なども出て来るが、読者の博物学的知識が増える可能性は少ない)。ローマを離れてから再度大地震に遭遇する。この辺は2011年の東日本大震災の惨状を意識しているのかもしれない。建物の崩壊や水道などのインフラの壊滅状態、ポンペイの街は大混乱の描写はマンガだからこそより伝わる。その後、未開の大地・アフリカへの旅を決意し、船旅に出る。しかし、嵐に遭遇。何とかアフリカに上陸した。

その後、皇帝ネロの荒んだ生活が中心に描かれる。哲人セネカも登場。ローマの大火災。ネロ暗殺計画も勃発する。ギリシアの地で妄想に取り憑かれる皇帝ネロ。・・・元老院から「公共の敵」として認定されたネロはついに終幕を迎える。

最後の2章は若き日のプリニウスを描く(動物や昆虫、植物と触れ合い、世界を観察する悦びに目覚める)。 

各巻末の著者たちの対談で制作の意図や苦労話が掲載されており、大変参考になる。この機会にヤマザキマリ氏の著作『貧乏ピッザ』、『扉の向こう側』を読んだが、若くしてイアリアに飛び出していった行動力や彼女の才能、母親の教育法に感銘を受けた。鉄は熱いうちに打て(Strike while the iron is hot)。

Book Review 12-5 スポーツ サッカー

『#This is The Day』(津村記久子著)を読んでみた。著者は 『#ポトスライムの舟』で芥川龍之介賞(2009年)、最近では『#水車小屋のネネ』が話題になっている。本書は第6回サッカー本大賞を受賞した。(著者はうどんが好きらしく、作品に度々登場する)。

2024年初頭はアジアカップでの日本代表の活躍で盛り上がっていた。ベスト8で負けてややトーンダウンしたが・・・。本書で扱うのは日本代表選手でもなく、J1チームでもない。何とJ2である。そして対象は選手ではなく、サポーターである。最近、NHK町田ゼルビアのJ2初優勝と J1昇格 、黒田剛監督のチーム改革について報道していた。観客数を増やすため、地域密着型の様々な取り組みもなされていた。

ネット検索すると、サッカーを扱った小説は意外に少なく、コミック本が多い。本書は架空の22のチームを応援する人たちの試合への関わりを描いている。時期は今季最終試合(This is The Day)である。J2は昇格も降格もあるので、サポーターの一喜一憂する場面が多くなるのでより盛り上がる。

22チームが対戦する際に、それぞれが別々のチーム応援する2人のことが描かれる一話完結の連作小説集。職場の人間関係に悩む会社員であったり、別々のチームを応援することになった兄弟であったり、両親の離婚で十数年ぶりに再会した孫と祖母であったりと、2人の人間関係は様々である。
 22チームが対戦するため、11話となっており、最終章に昇格プレーオフの様子が書かれ、日程終了後の順位(昇格、降格も)が最終ページに載っている。

登場する架空の22チームの名前とロゴが表紙の裏にカラーで掲載されている。地域の名所や名物、祭りなどが盛り込まれていて興味深い。奈良の鹿や青森のねぶた等。著者が考えたのだろうか。ロゴを見ているだけでも楽しくなる。その名前は以下の通り。オスプレイ嵐山、CA富士山、泉大津ディアブロ、琵琶湖トルメンタス、三鷹ロスゲレロス、ネプタドーレ弘前鯖江アザレアSC、倉敷FC、奈良FC、伊勢志摩ユナイテッド、熱海龍宮クラブ、白馬FC、遠野FC、ヴェーレ浜松、姫路FC、モルゲン土佐、松江04、松戸アデランテロ、川越シティ、桜島ヴァルカン、アドミラル呉、カングレーホ大林。

ジュビロ磐田のサポーターが、本書の内容と2023年のJ2の状況が偶々同じなので驚いていた(作中のヴェーレ浜松が、なんとジュビロと同じ二位で昇格)。

サッカー選手やその技能についてはあまり触れられていないが、サッカーサポーターの心情や行動が手に取るようにわかって、どの章もリアルで面白い。選手ではなく、サポーターを描いたことに先見の明がある。

Book Review 9-24 医療 #ルポ 医療犯罪

 

『#ルポ 医療犯罪』(出河雅彦著)を読んでみた。新刊『おろそかにされた死因究明 検証:特養ホーム「あずみの里」業務上過失致死事件』が手に入らないため先に本書を読むことにした。

 

著者は元朝日新聞青森総局長。著書に『ルポ 医療事故』(朝日新書科学ジャーナリスト賞2009受賞)。

 

身近にあるずさんな医療の実態を検証している。

はじめに、生活保護患者を食い物にした奈良県のY病院事件に100ページ近く割いている。心臓外科医なのに、直前に近県でレーザーを用いた近視矯正手術を行う眼科を開業していた。医師会は新たな開業に難色を示していたが、結局承認された。開業後は奈良県外から生活保護の患者を多く受け入れ、半数以上に心臓カテーテル検査をしている。また、経験がないのに肝がん(後に肝血管腫と判明)の切除術を生活保護患者に施行し死亡させている。匿名の告発が多数医師会や警察に寄せられたのに、起訴されたのは11年後である(告発が匿名であること、県外患者のレセプトにアクセスできないことがネック)。医療に関わる犯罪を検察や司法が罪に問うのは大変な困難を伴うようだ。

次は、3年間に4件の重大事故を起こしたリピーター医師が軽微な罰金で野放しにされている例。産婦人科の麻酔薬にからむ事例。

3例目は銀座で開業する眼科医がレーシック手術で70名に及ぶ集団感染事件を起こした例。利益を優先し、滅菌処置をなおざりにしていた。手洗いをせず、素手で手術をしていたという。結局実刑判決を受けている。

4例目は歯科インプラント手術後に止血ができず死亡事故を起こした例。「科学的根拠」のない独自の治療法であった。インプラント手術にはエビデンスがないようだ。

5例目はガスボンベの識別色が曖昧で、咄嗟の判断が求められたときにミスを招きやすく、救急処置や手術室で酸素と間違えて高濃度の二酸化酸素を患者に吸わせて死亡させた例。

6例目は研修医が5倍量の抗がん剤を処方した処、薬剤師や指導医の目をすり抜けて患者を死亡させたT病院薬剤過量投与事故。患者の体重を確認するために席を離れ、再度席に戻って確認したときに反対ページの薬剤の体重当たりの使用量で計算して処方をしまった。その後病院側が研修医に遺族との接触(謝罪)を妨げ、遺族の不信を買った。

 

『医療エラーはなぜ起きるのか(When We Do Harm)』(Danielle Ofri著)を以前にレビューした(Book Review 9-12 医療)。2例の誤診例(急性骨髄性白血病カテーテル汚染による敗血症、熱傷患者の治療)を時系列に提示している。どちらにも医療者も患者に対する傲慢さと謙虚さのなさ、コミュニケーションのなさが潜在している。

前報の繰り返しになるが、医療エラーは米国で死因の第三位。死者は年間25万人を上回る。「ハーバード・メディカル・プラクティス・スタディ」によると、1984年の1年間、ニューヨーク州の51大学の入院患者で調査したところ、3.7%に傷害、そのうち14%が死亡していた。年間で約10万例に傷害(毎日ジャンボジェット機が1.5機墜落と同じ)。入院患者に限定しているので、外来患者には当てはまらないかもしれない。結論は、医療システムの欠陥が主な原因(ナースの受け持ち数が多い、頻繁のアラーム音で思考停止、類似名の薬剤、病棟により薬剤の置き場の違い、環境が悪く薬剤名が読めない)と結論付けられた。

過労の問題も大きい(当院で地域研修をした研修医が基幹病院に戻ってから、過労が原因で自死し、現在裁判となっている)。研修医の過労から、特に薬剤量の指示間違えが多発している。週末や祝祭日に入院した患者の死亡率は高い。

 

乱脈診療を行っても、放置され、行政機関が追求しようとしても、立場の弱い患者の声は届けにくいのが現状のようだ。本書の例は一般医には問題外であるほど悪意が潜んでいたが、私たちは初心に帰って、日々真摯に診療に当たらなければならない。

Book Review 29-2 短歌・俳句・川柳 #アボカドの種

句集『#アボカドの種』を読んでみた。

『#サラダ記念日』で与謝野晶子以来の大型新人類歌人誕生!と称賛された著者も還暦を迎えている。そんな近況をNHKで特集していた。

内容も恋の歌から息子との関わりや病気、老年の生き方に変わってきている。(歌の内容から推察するに胃のリンパ腫に罹患したようだ)。

その中からから数句 

「息子十九「プロフェッショナル」出演の 打診をすれば秒で断る」

「アボカドのサラダ作ってあげること もうないだろうレシピ聞かれる」

放射線からだに降らすこの春の 白湯と桜の日々をいつくしむ」

「息子から連絡はなく母の日は 私が母を思う日とする」

「日が昇るラッキーセブンの幸せの 東病棟748号」 

「遺伝子がコピーミスしてDANCERが CANCERになる如月の夜」

妻は、毎日新聞の川柳欄(万柳)に投稿を続けている。5か月間掲載がなかったが、最近秀逸で載った。その句が「さきに見て 載ってないねと 言わないで」。丁度誕生日頃だったので、バラを抱えた夫婦写真と句の掲載をLINEで知らせたら、写真家である長女から「関係性と状況と心情」が出ていると評価された。写真もそんなことを考えて撮っているのか。

Book Review 30-6 マンガ #PLUTO

『#「PLUTO」を漫画で読む』(浦沢直樹×手塚修著)を、有名漫画家が勧める漫画ということで読んでみた。

PLUTO』(プルートゥ)は、手塚治虫の『鉄腕アトム』(地上最大のロボットの巻)を原作としてリメイクした作品。ビッグコミックに、2003年から2009年まで連載された(題字のUは二本角を模している)。

原作を読んでいないので、ネット検索してみた。原作は1951年から雑誌「少年」に連載された「アトム大使」を前身とし、翌1952年に「鉄腕アトム」と改題して連載を開始した。すると人気を博し、1968年3月に「少年」が休刊するまで連載が続けられた。まず、アトムの誕生日は2003年4月7日である。身長135cm、体重30kg。製作者は天馬博士。交通事故死した博士の息子の「天馬飛雄」に似せて作られ、当初は「トビオ」と呼ばれていた。トビオは、人間とほぼ同等の感情と様々な能力を持つ優秀なロボットであったが、人間のように成長しないことに気づいた天馬博士はトビオをサーカスに売ってしまう。その後、幾つかのシリーズを経て『PLUTO』(プルートゥ)へと続いてゆく。アトム、ウラン、お茶の水博士しか知らなかった私には、『PLUTO』は驚きの展開であった。

アラブの王がアブーラ博士に命じ、二本角を持つ百万馬力の巨大ロボットプルートウを完成させる。そして、プルートウに世界各地にいる最高のロボット7人(日本のアトム、スイスのモンブランスコットランドのノース2号、トルコのブランド、ドイツのゲジヒト、ギリシャヘラクレス、オーストラリアのエプシロン)を倒し、地上最強のロボットであることを証明するよう命じる。プルートウは、命令を守り、同族のロボットたちを無慈悲に破壊していく。アトムもやむなく天馬博士に頼んで、百万馬力にパワーアップしてもらう。やがて、プルートウの中にも良心が芽生え、アトムとの対決中に起きた阿蘇山の噴火を協力して食い止める。しかし、ゴジ博士が造った二百万馬力のロボットボラーが2人の前に立ちふさがり、傷ついたプルートウはボラーを巻き込んで自爆する。じつはプルートウを造ったアブーラ博士と、ボラーを造ったゴジ博士は同一人物であった。サルタンの召使ロボットだった彼は「世界一のロボット」を欲しがる主人のためにプルートウを造ったが、その使われ方を憂い、プルートウを倒すためにボラーを造ったのだった(八巻分を数行で要約するのは難しいので、貸本屋で借りて読んで欲しい。私は札幌図書館で借りた)。

さて、リメイクを了承した息子手塚眞は浦沢作品として本作を描くことを要望した。人間と高性能ロボットが完全に共生する近未来で起こるSFサスペンスとして描いた。誰もが指摘している点であるが、アトム(一巻)やウラン(二巻)の登場が各巻の最終頁というのが意表を突いている。

アトムをはじめとするキャラクターデザインやストーリー設定の一部には浦沢流のアレンジが加えられている。手塚治虫氏の原作では「アトム」が主人公ではあるが、浦沢直樹版では原作で脇役として登場したドイツの刑事ロボット「ゲジヒト」の視点から物語が描かれている。ロボットのキャラクターデザインは独自のデザインになっている(人間に近い、人間と見分けがつかない)。殺され方や殺される順番が異なっているそうだ。「憎しみからは何も生まれない」という言葉でマンガは終わっている。現在、展開されているガザ・イスラエル戦争にしてもウクライナ・ロシア戦争にしても、戦う者同士の歴史的解釈の違いが大きいのであろうあろうが、憎しみを前面に出して戦われている。

2024年現在、生成AIがあらゆる分野を席巻している。74年前に手塚治虫氏が憂えた「憎しみを前面に出して戦う」状況は益々悪化の一途を辿っている。生成AIを用いても復讐するという人間行動は忘れ去られることはなく、私たち人間は何も進歩していない。