Book Review 9-23 医療 #ふつうの相談

 

『#ふつうの相談』(東畑開人著)を読んでみた。

著者は臨床心理学者、臨床心理士公認心理師。専攻は精神分析と医療人類学。2022年開業。白金高輪カウンセリングルーム主宰。

 

本書を読んだ読者の声を聴くと、「これは学術書であり、一般人には適さない」という声が多い。一方しばしば患者さんから相談を受ける医療者である私には大変興味深い内容であった。他者と話をするという行為を詳細に分析していることに感嘆した。著者は精神科医中井久夫氏の『治療文化論』に影響を受けているようだ。(時間が許せば読んでみたい)。

 

はじめに、まとめを提示しておく。

著者は「ふつうの相談の地球儀」という考えを提唱している。私たちの臨床は世間知と学派知と現場知の三次元によって営まれる(3軸で考える)。

世間知とは、「心とは何か」、「社会とは何か」、「いかに生きるか」についての素人の理解である。

世間知を精錬し、純化することで取り出されたのが学派知である。

臨床現場というミクロな社会に特化した世間知が現場知である。

学派知と現場知の二つを合わせたものを専門知と呼んでいる。

 

具体的に内容を見てゆこう。

様々な現場で交わされている日常的な相談の風景がはじめに3場面提示される。これは通奏低音のようなもので、この響きを「ふつうの相談」と呼ぶ。

学派的心理療法論と現場的心理療法論がある。この二つがせめぎ合う。言い換えると専門性と素人性。純金と合金(フロイトの言葉)。中心と周縁。

体系的な心理理論は、同一化を要求する。逸脱は激しく取り締まられる。

一方、現場に適した心理療法は折衷的であり、「ありふれた心理療法」で現実的な妥協を肯定する。

いかに学派的な作法を現場で応用するかが要となる。

多元的臨床心理学には大宇宙の中に、小宇宙があると言える。精神分析ユング心理学認知行動療法人間性心理学、家族療法等。

広大さがふつうの相談の肝である。日常の中で自然に交わされている援助のことだと言えよう。

新たな俯瞰的まなざしを獲得することが課題となる。

相談を受ける側は二つのカードを手元に置く必要がある。誰にも同じアプローチではいけない。「一病気一治療」の罠。カードが一枚しかないなら、使うか使わないかで二択となる(誰にでも一律に用いることは狂信に通ずる)。

同定すべきは

  • 問題の性質の特定。緊急か不急か。外在性か内在性か。

生活が破綻するリスクが高い。

  • モチベーション。
  • お金と時間の問題。

 

技法は以下の7つ

  • 聞く

応答の比重が高い。

  • 質問する

穏健、マイルドになる。

安全性、「常識」や「世間知」を重視する。

  • 評価する

価値の社会的側面を重視する。価値の共有。

  • 説明する

心の状態やメカニズムを説明する。知的な説明でなければならない。

大きなアドバイス:課題や変化の方向性を示す。

小さなアドバイス;現実的な助言をする。

経験談という話法が有効である。

説明とアドバイスがセットになっていること。

  • 環境調整

環境に直接働きかけ、変化を促す。

  • 雑談・世間話

表面的な会話を維持する。

機能

  1. 外的ケアの整備

ケア資源の拡大、ソーシャルワーク的な想像力

  1. 問題の知的整理

正しい情報や知識

  1. 情緒的サポートの獲得
  2. 時間の処方と物語の作成

様子を見ること(自然治癒力、時熟)

 

構造

  • ふつうの相談0

素人どうし:多様である

アーサー・クラインマンの台湾での仕事:説明モデル理論を紹介している。(かれの著作『病の語り』は名著である)。

心理療法家は「心理学すること」、精神科医は「生物学すること」ソーシャルワーカーは「社会学すること」に基づいてそれぞれの立場で治療を行う。

中井久夫氏の個人症候群と熟知性(よく知っている)

・普通症候群

・文化依存症候群

・個人症候群(不調を個人の人生の物語ろうとする)

世間知(常識)←→学校知

・人間とはいかなる存在か(folk psychology):物語化する

・社会とはどのような場所か(folk sociology):先輩の知

限界がある

・世間知の複数性

・世間知の規範性

・熟知性の限界

  • ふつうの相談B(Aとは学派的心理療法論である)

背水の陣をひく

Aの行き過ぎを補正する

マイルドである

悩ましく、バランスをとる

  • ふつうの相談C(Clinical)

同じ現場で仕事をしている人たちが共有している相談作法

「現場知」と呼ぶ:断片的で、ローカルな知の集積

自然で葛藤がない

・ハードな面:法律や制度、経営

・ソフトな面:心理的、経験的、人間的

社会的ニーズ

制度的役割と社会的ニーズのせめぎ合い。

現場知とは専門家としての世間知である。

注意:臨床現場の常識が一般社会では非常識となることがある。

以上、要点を抜き出してみた。

 

私が外来で患者さんと話していることは上記のどれにあたるのだろうか。

たまたま独逸の作家・弁護士であるフェルディナント・フォン・シーラッハ氏の『珈琲と煙草』を読んでいたら、聞くという英語listenの順番を入れ替えると、沈黙を意味するsilentになると書かれていた。興味深い。医療者にとって「聴くこと」は最も難しいと言われているが・・・。

Book Review 4-2 日本企業 #トヨトミの世襲

著者は梶山三郎氏。経済記者で、トヨトミシリーズを書くために覆面作家となっている。シリーズ前作に『#トヨトミの野望』、『#トヨトミの逆襲』がある。本作はその「完結作」と謳っている。

昨今、トヨタグループで認証不正問題がマスコミを賑わしている。トヨタ自動車の会長が2024年1月30日の記者会見でグループの現状に危機感を示し、自ら改革の先頭に立つ考えを示した。不正の背景には、各社がトヨタの世界戦略についていこうと無理を重ね、現場の負担が見過ごされたことがある。トヨタグループは現場を第一とする原点に立ち戻り、立ち直ることができるのか。(毎日新聞から抜粋)。

前作、前々作である『トヨトミの野望』と『トヨトミの逆襲』は、小説という形で、創業家が語る「神話」の裏側を描いた。巨大企業の運営が想像を絶するほど大変であることがわかる。それが世襲で凡人に回ってきて、巨大企業のかじ取りができず右往左往している様子が描かれる。政治工作や女性関係など次々登場する。『トヨトミの逆襲』では、主人公が創業家の御曹司であり、話は2016年からはじまる。IT企業トップも登場し、車製造とIT会社の未来社会に対する展望の違いが浮き彫りになる。一流企業であっても、ドロドロの権力闘争が繰り広げられていることなど珍しくもないだろう。この小説は組織が機能不全に陥るのを食い止めている企業のぎりぎりの経営努力の現場が描かれている。

本書は、世界中を襲った未曾有のパンデミックのなか、巨大自動車会社トヨトミ(トヨタ自動車のこと)も待ったなしのEV(電気自動車)シフト転換を迫られていた。しかし、販売ディーラーの相次ぐ「不正事件」や持ち株比率たった2%の創業家の「世襲問題」など暗雲が垂れ込める。

本書の肝は、企業を存続させるには、世襲がよいのか、優秀な人材のヘッドハンテングがよいのかを考えることであろう。気になるのは、世襲する若者が一律に未熟で傲慢な人物として描かれており、優秀な人材を狙う経営者は己の実力を過信し、後継者に指名した人物に指揮権を移譲できない精神構造をもつ者としていることである。余りにもステレオタイプ化している。

 前作に登場したIT企業トップも海外投資に失敗して巨大な赤字を計上したことをマスコミが報道している。巨大な組織を維持することは想像を絶するほど大変なことなのであろう。小さな組織のトップしか経験したことがない(潰さない・潰されないことが目標)私は、その点幸せだったのかもしれない。

 

Book Review 27-8ノンフィクション #農協のフィクサー

 

『農協のフィクサー』(千本木啓文著)を読んでみた。著者はJA グループの機関紙「日本農業新聞」の記者を経て、現在は「週刊ダイヤモンド」記者。農業特集「儲かる農業」シリーズを刊行。

 

参考までに、農協とは農業協同組合に略称で、農業者によって組織された共同組合である。農業組合法に基づく法人であり、事業内容などがこの法律によって制限・規定されている。なお、愛称としてJA(Japan Agricultural Cooperatives)と呼ぶ。(1992年4月から)

 

京都の農協を支配し、「京都のドン」と呼ばれる政治家野中広務とバトルを繰り広げる。本書は中川泰宏の悪事を執拗に暴くノンフィクションである。どこにでもいそうな子悪党(はじめは大悪党と呼んでいたが)を執拗に追い回す著者の執念はどこから来るのだろうか。

 

前半は農協を舞台にした悪事の数々の暴露が中心で、後半は中川泰宏野中広務との政争の成り行きが語られている。両者とも差別された怨念で生きていると言われる存在である。野中広務被差別部落出身者であり、中川泰宏は小児麻痺による身体障碍者である。私の小中高時代には学年に一人くらい小児麻痺の生徒がいた。

 中川泰宏の悪事は、まず「コメ産地偽装疑惑」。汚染米をブランド米に混ぜて売った。京都農協のトップに昇りつめると恐怖支配を敷いて「農協労組潰し」を行った。ファミリー企業による悪質な不動産取引で大儲け。強引な京都の「農家数水増し」による統計のごまかし。同和問題を改革する(補助の見直し)と唱えながら、逆に同和事業補助金を不正に取得した等。

その他、北朝鮮支援を頼まれたとき、勝手に拉致被害者返還交渉を行い一躍中央政界に名をとどろかせる。それで小泉純一郎に認められて国政に参加する。これが野中広務の怒りを買うことになった。

後半で、国政選挙で敗北してからは政治家から「黒幕」に転身し、中川と野中の泥沼化した政争を活写する。選挙の結果がどうなったかは、他人事ながら興味深い。農業版「桜を見る会」とも著者が称する海外宮殿での晩餐会についても問題であると捉えて言及している。

政治の世界での醜い生存競争といい、農協に君臨しての悪事の数々といい、差別された男の怨念で生きている生き様を、著者が怨念を持って書いたと感じさせるノンフィクションである。中川泰宏が書いた本も読まなければ公平ではないかもしれないが・・・。どうもそんな気にならない。(今回はあえて敬称を略した)。

Book Review 16-9 人物 #梅屋庄吉

 

『#見果てぬ王道』(川越宗一著)を読んでみた。著者の川越宗一氏は「熱源」で直木賞を受賞。著者の作品は、スケールが大きく、朝鮮半島琉球樺太アイヌ、台湾等の多民族が共存する、境界の曖昧な地域や海洋の世界を描いてきた。

 

 今回は、実業家・梅屋庄吉の生涯を描いた。まじめな商人が孫文を支援し続けたという認識しかなかったが、本作を読んで破天荒な人物であることがわかった。幕末に、長崎の貿易商・梅屋商店の跡継ぎとして育ったが、大博打で破産し、香港へ逃げてしまう。その船の中で知己となった清人コレラにかかり、麻袋に入れられて生きたまま海に放り出される。それを見て、庄吉は、東洋人の無力さを知る。そしてその後、アジアの状況をつぶさに観察することで、庄吉は、「東洋に王道を布く」ことを志す。香港で写真館を経営する女性と知り合い自立してゆく。その間に西洋の武力支配からの自立を目指す若き孫文に出会い、清朝打倒のために財政支援をし続ける。人に魅せられるとはこんなに簡単に起こり、死ぬまで続くものなのだろうか。庄吉はやがて、日活の前身となるMパテー商会を創立。黎明期の映画事業は大成功を収め、その資金で革命を支援し続ける。

 

ここでネット検索。革命とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革、あるいは技術革新などが比較的に短期間で行われることである。対義語は守旧、反動、反革命等。「レボリューション」の語源は「回転する」の意味を持つラテン語の「revolutio」である。

 

辛亥革命とは,1911年に中国で起こった,清を倒して近代的な国家をつくろうとした革命のこと。 日清戦争以後,清は列強諸国に侵略されてゆく。この中で,清を倒して民族の独立を守ることのできる近代国家をつくろうとする運動が起きた。孫文は、辛亥革命を起こして清を倒し、中華民国を建国した人物とされる。 革命のスローガンとしての三民主義とは「民族主義」「民権主義」「民生主義」の三原則のこと。1894年にハワイで「興中会」を結成して、58歳まで活動をつつけた。1896年にロンドンで清国公使館に捕まり監禁されたが、無事に釈放され、その後、日本で革命の準備を再スタートさせた。

1905年に東京で「中国同盟会」を結成した孫文は、1911年に武昌で武装蜂起した。これを「辛亥革命」と呼ぶ。翌12年には南京に臨時政府「中華民国」が建国し、孫文中華民国の臨時大統領に就任したが、十分な軍事力はなく、大統領の地位を軍属袁世凱に譲った。しかし袁世凱は革命勢力を弾圧して専制政治を始めた。失望した孫文は再び革命を起こすも、袁世凱の軍事力の前に敗れて日本に再亡命した。1914年、孫文は東京で「中国国民党」の前身、「中華革命党」を結成し、その後は中国に戻り、北京政府を倒す準備を進めるが、1924年に北京に到着後、翌年には末期がんで死亡。

本書でも「#宗家の三姉妹」が出て来る。同名で映画化(1997年)もされている。孫文の奥さんは宋慶齢蒋介石の奥さんは宋慶齢の妹の宋美齢蒋介石は離婚して宋美齢と結婚した。 孫文蒋介石は義兄弟である。しかし、内戦では共産党と国民党として敵同志となる。だが孫文の後を継ぎ、中華民国をもっと発展させようと活動した。ちなみに、蒋介石が台湾に移動した後、かなり酷いことが行われた(Book Review 30-1マンガ #台湾の少年を参照)。

庄吉は、もちろんだが、彼を支える明治の女性トクの生き方がすごい。庄吉や孫文を英雄視せず、女性に対するだらしなさが随所に描かれている。革命の理念と矛盾する、男の女性に対する不誠実さを、妻となったトクの目から批判している。しかし、そうした孫文の人格の欠陥、革命の理想が後退することを懸念しながら、庄吉は、「東洋に王道を布く」ために、孫文の革命を支援し続けた。明治時代の男と女の生き方を垣間見ることができる。稼いだお金を革命家と称する男に単に貢いだ庄吉よりも、男たちの粗を繕い続けたトクの方がずーとすごいと私は思うのだが・・・。

Book Review 20-4ミステリー #ゴーン・ガール

 

ゴーン・ガール』(ギリアン・フリン著)を読んでみた。著者は、米国の小説家、脚本家。

 

夫Nと妻Eの結婚5周年の朝。「記念日には宝探し(5か所に隠されている封筒を記憶と頼りに探す)をする」とNが双子の妹の働くバーで話している。帰宅するとEが失踪していて、かすかに荒らされた跡があったので警察に通報。その結果、Nは警察署で事情聴取され、妻Eのことをあまり知らなかったことを思い知る。この状況からして、NはEを殺したのか?

Nの行動とEの日記が交互に章を挟んで提示される。Eは殺されていないのだが、夫Nを殺人者にしたいようだ。数年かけて準備がされており、偽装失踪した後、夫Nが殺人者となるように仕組んでいることがわかる。

前半の日記を読むと、純情な妻の心情と無理解な夫の行動が浮かび上がる。

しかしながら、後半になると、話が一変する。Eは生きており、夫への復讐の話に変わってゆく。

こういうのをイヤミス(嫌なミステリー)というらしい。「イヤミス」とは「読後、イヤな気持ちになるミステリー」のこと。 後味が悪く、裏切られた気持ちになるのに読者を惹きつける魅力があるという。わが国では湊かなえ真梨幸子沼田まほかる、の3人が「イヤミスの三大女王」と呼ばれているそうだ。映画化されている作品も多い。

 

ゴーン・ガール』は、米国のバークレーで発生した「スコット・ピーターソン事件」がモデルである。2002年12月24日、S・Pという男性から、「妻が失踪した」という連絡が警察に入る。当時妻は身ごもっており、妊娠8ヶ月だった。身重の妻がクリスマス・イヴに忽然と姿を消したというニュースは、瞬く間に全米注目の的となり、Sは一躍「時の人」に。Sは捜査に協力的だったが、言動に不審な点があることから、警察は次第に容疑者として目を向けるようになっていく。最初はSを擁護していた妻の家族だったが、彼がA・Fという女性と浮気をしていたことが発覚すると、記者会見を開いてSの支持を撤回すると発表。彼のイメージはガタ落ちし、世間は完全に「Sが真犯人」と認識するようになる。そして捜査からおよそ4ヶ月後の2003年4月13日、妻とその胎児がサンフランシスコ湾で発見され、4月18日にSは逮捕。全米の注目を浴びた裁判で、死刑判決が下されたのである(2019年5月現在、控訴中)

ゴーン・ガール』とは「失踪した妻」という意味ではなく、「男にとって理想の“女性像”が雲消雨散してしまったこと」を表しているのではないかとある評論家は語っている。この作品は、男性の“女性に対する理想主義”を粉々にぶち壊す。『ゴーン・ガール』の本当の怖さとは、極めてシニカルで極めてドライな現実そのものなのだ。本作は、男女の結婚観の違いをシニカルに描いたブラック・コメディーだそうだ。私としては読後感がすがすがしいものを読みたいのだが・・・。

Book Review 35-1 仕事 #この世にたやすい仕事はない

 

『#この世にたやすい仕事はない』(津村記久子著)を読んでみた。

 

著者は、デビュー作で太宰治賞。 2009年、工場で働く若者を描いた「ポトスライムの舟」で芥川賞。短編集「浮遊霊ブラジル」で紫式部文学賞。最近では『水車小屋のネネ』が話題になっている。

 

自分の仕事の日常を他人に面白おかしく伝えることができるだろうか。著者の単純で退屈そうな仕事をこんなに面白く書けるところに感服してしまう。本書は36歳の女性主人公が、異なる5つの仕事を経験する連作短篇である。

 

主人公は落ち込んでMSWをやめてしまう。就職斡旋所で最初に紹介されたのが見張りの仕事。モニターテレビに映る、在宅で仕事をしている小説家Yを見張るというもの。このYが密輸品の何かをそれとは知らずに預かっている疑惑がかかっており、その証拠を押さえるのが目的だった。録画を早送りで観てはいけない決まりがある。(踏み込んで捜査した方が早いだろうと突っ込みを入れたくなるが)。Yを監視しているうちにYが見るもの、聞くもの、食べるもの、好きな映画や音楽などのディテールを微に入り細に入り描写し、ついにYと同じ趣向にのめり込んでしまう。こんな仕事があったらおかしいが、主人公ののめり込み具合がただ事ではなく、笑いを誘ってしまう。

続いて斡旋されたのは循環バス「アホウドリ号」の広告アナウンス文の作成業務である。上司からは「Eという同僚の女性社員を見張ってくれ」という奇妙な注文をつけられる。かなり長めの文章に工夫をこらすが、アナウンスの終了前に次の停留所に着いてしまわないか心配になる。

次が創業40年の米菓の製造業者での業務。おかき(おふじさん)の小袋の裏に書かれている豆知識情報を作成してほしいというもの(「おーい、お茶」の投稿俳句掲載のようなものか)。「おだやかアドバイス」という相談コーナーを提案したところ、採用されて商品がヒット。しかし、社長が常連投稿者のフジコという年増の女性を連れてきたことで状況が一変する。

次に紹介されたのは官公庁から依頼されたポスターの張り替え作業。Mというデザイナーの下での仕事だったが、そのポスターを巡って「さびしくない」というポスターを使って住民を勧誘するオウム真理教もどきの存在を知る。相手のポスター剥がしの行動に駆り立てられてゆく。さあ、どうなる。

最後に紹介されたのは、大林大森林公園(オオバヤシ・ダイシンリン公園)の奥にある小屋での事務仕事。自然に恵まれた環境ではあったが、何もすることがない。公園内を何日も散策するうちに、正体不明の誰かがこの森に住んでいると確信する。誰がいるのか。

どれも変わった仕事である。2017年にNHKでテレビドラマ化されている。全8回で放送(2話から5話を前後編で)。NHKアーカイブで視聴できるようだが、「見張りの仕事」は映像化されていない。一番面白いのに・・・。

 著者の作品には夫婦でハマっている。

『つまらない住宅地のすべての家』(NHKでドラマ化した。小説よりわかりやすかった)、『現代生活独習ノート』もお勧め。

Book Review 27-7ノンフィクション #二〇世紀最大の謀略

 

『二〇世紀最大の謀略』(落合信彦著)を読んでみた。著者の実兄は空手家で、本人も米国で空手を教えていたようだ。息子はメディアアーティスト/研究者の落合陽一。著者が落合陽一の父親と知り、本書を読んでみることにした。

国際情勢や諜報関係の事情をレポートした作品やそれらを題材とした小説、翻訳を得意としている。フィクション、ノンフィクション問わず世界を舞台にしたスケールの大きい話が多いらしいが、発言には信憑性に欠ける面もあるようだ。

本書は1977年に出版した『2036年の真実』に、新たに入手した情報を書き加えて1993年に出版されている。さらに2013年に、米国大統領ジョン・F・ケネディの暗殺の真相を追った情報を増補して文庫化したものである。2036年とは、米国政府により封印されている暗殺に関する多くの証拠物件が解禁される年だそうだ。

「正式」発表では、オズワルド単独犯行説となっているが、米国人は現在、誰一人としてこの説を信じていない。その矛盾を延々と述べているが、まさに矛盾だらけだ。重要証人16名が相次いで変死している。ダラスでのパレード・ルートが突然変更された不可解さを探る。「大統領を撃ち抜いた弾丸」の軌道が物理現象で説明できない。CIA、FBIにケネディに恨みを持つマフィア・コネクションが絡む。結局、ケネディ兄弟が軍産複合体・マフィアの利益を排除しようとした試みが、彼らの怒りを買った結果であった、ということか。
 著者は、さらにリチャード・ニクソンが絡んでいることを強調している。本書を読むと、ケネディ暗殺の背景にある米国の巨大な闇が垣間見える。情報は100年間公開されないそうだが・・・。

ケネディ暗殺を参考に、伊坂幸太郎氏が『ゴールデンスランバー(黄金のうたた寝)』(ビートルズの曲You never give me your money.の一節からとっている。)を書いている。首相暗殺事件の濡れ衣を着せられた男の話。仙台で首相がラジコンからの爆薬投下で謀殺される。傷害事件を阻止して時のヒーローとなった宅配便の青年が、2年経過した時期に犯行直後に犯人としてテレビで大々的に取り上げられる。その逃走過程が語られる。体制に睨まれた男の最後はこんな結末が落としどころか、と意気消沈してしまう。

帝銀事件(1948年、帝国銀行支店で銀行員ら12人が毒物で殺害されたもので、画家の平沢氏が犯人として逮捕され、1955年死刑が確定した。 平沢氏は獄中から無罪を叫び続けたが認められなかった。元731部隊員が犯人として話題に挙がったが・・・)、下山事件(1949年、行方不明の国鉄総裁下山氏が轢死体となって発見された事件。国鉄職員の大量整理案を発表し、労働組合が反対闘争を盛り上げていた最中のため、労働運動に大きな打撃を与えた。陰で米国が絡んでいたのではないかと・・・)、袴田事件(一家4人の殺害、金品強奪、放火事件。従業員の袴田氏が犯人とされて死刑が確定したが、警察の証拠捏造の可能性が強い)にしてもそうだが、体制がシナリオを作った事件は、世間の誰一人として信用していなくても、結果は覆せないのだ。米国然り、日本然り。