Book Review 16-9 人物 #梅屋庄吉

 

『#見果てぬ王道』(川越宗一著)を読んでみた。著者の川越宗一氏は「熱源」で直木賞を受賞。著者の作品は、スケールが大きく、朝鮮半島琉球樺太アイヌ、台湾等の多民族が共存する、境界の曖昧な地域や海洋の世界を描いてきた。

 

 今回は、実業家・梅屋庄吉の生涯を描いた。まじめな商人が孫文を支援し続けたという認識しかなかったが、本作を読んで破天荒な人物であることがわかった。幕末に、長崎の貿易商・梅屋商店の跡継ぎとして育ったが、大博打で破産し、香港へ逃げてしまう。その船の中で知己となった清人コレラにかかり、麻袋に入れられて生きたまま海に放り出される。それを見て、庄吉は、東洋人の無力さを知る。そしてその後、アジアの状況をつぶさに観察することで、庄吉は、「東洋に王道を布く」ことを志す。香港で写真館を経営する女性と知り合い自立してゆく。その間に西洋の武力支配からの自立を目指す若き孫文に出会い、清朝打倒のために財政支援をし続ける。人に魅せられるとはこんなに簡単に起こり、死ぬまで続くものなのだろうか。庄吉はやがて、日活の前身となるMパテー商会を創立。黎明期の映画事業は大成功を収め、その資金で革命を支援し続ける。

 

ここでネット検索。革命とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革、あるいは技術革新などが比較的に短期間で行われることである。対義語は守旧、反動、反革命等。「レボリューション」の語源は「回転する」の意味を持つラテン語の「revolutio」である。

 

辛亥革命とは,1911年に中国で起こった,清を倒して近代的な国家をつくろうとした革命のこと。 日清戦争以後,清は列強諸国に侵略されてゆく。この中で,清を倒して民族の独立を守ることのできる近代国家をつくろうとする運動が起きた。孫文は、辛亥革命を起こして清を倒し、中華民国を建国した人物とされる。 革命のスローガンとしての三民主義とは「民族主義」「民権主義」「民生主義」の三原則のこと。1894年にハワイで「興中会」を結成して、58歳まで活動をつつけた。1896年にロンドンで清国公使館に捕まり監禁されたが、無事に釈放され、その後、日本で革命の準備を再スタートさせた。

1905年に東京で「中国同盟会」を結成した孫文は、1911年に武昌で武装蜂起した。これを「辛亥革命」と呼ぶ。翌12年には南京に臨時政府「中華民国」が建国し、孫文中華民国の臨時大統領に就任したが、十分な軍事力はなく、大統領の地位を軍属袁世凱に譲った。しかし袁世凱は革命勢力を弾圧して専制政治を始めた。失望した孫文は再び革命を起こすも、袁世凱の軍事力の前に敗れて日本に再亡命した。1914年、孫文は東京で「中国国民党」の前身、「中華革命党」を結成し、その後は中国に戻り、北京政府を倒す準備を進めるが、1924年に北京に到着後、翌年には末期がんで死亡。

本書でも「#宗家の三姉妹」が出て来る。同名で映画化(1997年)もされている。孫文の奥さんは宋慶齢蒋介石の奥さんは宋慶齢の妹の宋美齢蒋介石は離婚して宋美齢と結婚した。 孫文蒋介石は義兄弟である。しかし、内戦では共産党と国民党として敵同志となる。だが孫文の後を継ぎ、中華民国をもっと発展させようと活動した。ちなみに、蒋介石が台湾に移動した後、かなり酷いことが行われた(Book Review 30-1マンガ #台湾の少年を参照)。

庄吉は、もちろんだが、彼を支える明治の女性トクの生き方がすごい。庄吉や孫文を英雄視せず、女性に対するだらしなさが随所に描かれている。革命の理念と矛盾する、男の女性に対する不誠実さを、妻となったトクの目から批判している。しかし、そうした孫文の人格の欠陥、革命の理想が後退することを懸念しながら、庄吉は、「東洋に王道を布く」ために、孫文の革命を支援し続けた。明治時代の男と女の生き方を垣間見ることができる。稼いだお金を革命家と称する男に単に貢いだ庄吉よりも、男たちの粗を繕い続けたトクの方がずーとすごいと私は思うのだが・・・。