Book Review 16-4人物 # 西川一三
『天路の旅人』(沢木耕太郎著)を読んでみた。著者は有名なルポライター。『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。その後、『深夜特急』シリーズで紀行文を出版し、多大な読者を得る。
著者が、第二次大戦末期、敵国の中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した西川一三に興味をもつどころから話が始まる。変わった人物に惹かれるようだ。天皇にパチンコ玉を撃った奥崎健三にも触れている(私も若い頃興味をもち、著書『ヤマザキ、天皇を撃て!』を読み、原一男監督映画『ゆきゆきて、神軍』を鑑賞していた)。『深夜特急』シリーズで、自分の旅で訪れた場所と重なることが西川へ引き付けられたのかもしれない。本人と接触し、酒を飲みながらの面談を重ねる。死亡後、夫人にインタービュー。編集者が生原稿を残していた。出会いとその後の両者の行き来が記され、その後、西川一三の中国大陸での様子が語られ、帰国後から死後までのことが述べられる。インタービューを行い、書き終えるまでに25年の歳月を有している。
時代背景はどのようなものだったのか。1917年、ロシア革命。1937年、満州国の建国。満州は共産化を堰き止めるための防波堤。満鉄に就職した西川は日本人家族の生活物資の確保役であったが、1941年興亜義塾に入るため満鉄を退社。吉田松陰全集をもって入学したが、事件を起こして退学。巡礼者に扮して西北へ。1943年、駐蒙古大使館調査部情報部員となり「西北支那に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ」との特命を受ける。チベットに巡礼に行くモンゴル僧と身を偽って内蒙古を巡って、1945年にチベットの都ラサに到着。その後、日本の敗戦後も外務省からは送金も援助も無い孤立無援のまま続行。1年間にわたって本格的な仏教修行と、猛烈な語学の学習を行う。先輩情報部員木村(後に語学の才能を生かし、JHQに協力し、亜細亜大学モンゴル語教授となる)との行動も記されている。チベット仏教シーチェバ派の師に付き修行後、免許皆伝。修行僧となり托鉢をしながら各地を潜行する。1949年インドの鉄道建設隊で苦力頭として働いていたところ、木村の供述により逮捕収監され、翌年帰国。帰国後JHQから不意の出頭命令を受ける。しかし、外務省は情報の宝庫のような西川に無関心で相手にしなかった。それに対し、JHQは1年間にわたって、西川から西域の情報を詳細に聴取している。その後は、盛岡市で開業し、亡くなるまで元旦以外は休まず働き続けた。2008年2月7日、肺炎のため盛岡市内の病院において死去。享年89。
本書を読むまで、私は西川一三については全く知らなかった。一時期、著書『秘境西域八年の潜行』が出版された頃はマスコミも注目したようだが、全く生活を変えることなく、1年のうち364日働き続けたようだ。
『秘境西域八年の潜行』は原稿用紙3,200枚ということで、『秘境西域八年の潜行抄』で読んでみた。『天路の旅人』にほとんど書かれていて目新しい情報はなかった。