Book Review 9-30 医療 #奔流
『#奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(広野真嗣著)を読んでみた。著者は1975年、東京都生まれ。慶応義塾大法学部卒。神戸新聞記者を経て、猪瀬直樹事務所のスタッフとなり、2015年10月よりフリーに。17年に『消された信仰』で第24回小学館ノンフィクション大賞受賞。
本書は、感染抑制か、経済優先かについての専門家(感染疫学者)と政治家の戦いを描いている。著者が懇意にしている尾身茂氏(私と同じ自治医大一期生)、押谷仁氏、西浦博氏の3名の感染症専門家に焦点を当てている。そのため感染症専門家寄りのバイアスがかかっていると指摘する識者もいる。尾身氏については14回もインタービュを行っており、彼の生い立ちから信条まで事細かに触れられている。
世界が百年に一度と言われるパンデミックに襲われた。日本には、それに加えて東京オリンピック開催の是非が問われた。
「命と経済のトレードオフ」(こちらを立てればあちらが立たず)の選択である。感染疫学者たちが時短営業、外出自粛、テレワークの推進、イベントの人数制限、三蜜回避を主張する一方で、政治家はGO TO トラベル、イートプレニアム等の経済の回復を図るキャンペーンを張る。
コロナ渦の3年間、感染疫学者と政治家に国家の命運が託された。尾身氏のスタンスは「判断・発信するのは政治家で、専門家は助言に徹する」であったが、感染疫学者が政治家(安倍晋三、菅義偉、岸田文雄首相)に都合よく使われて、世論に翻弄されながら、最終的に放逐された(コロナが一段落したら、学者を用済みにして、政治家が仕切る)というのが著者の訴えである。
コロナ禍での対応には日本人個々において様々な評価があろうが、喫緊に襲ってくるであろうと言われている新興感染症に対してのノウハウはしっかりと備蓄されたのであろうか。日本の政治は「命と経済のトレードオフ」において、経済に重きを置いている(目先の評価、選挙対策、基礎研究費の削減、等)と感じるのは私だけであろうか。