Episode 3 研修医時代 患者の命をつなぐ往診

2年前から寝たきりとなり定期往診されていた83歳女性を前任者から引継ぎ、段々畑の間の坂道を往診鞄を下げて通った。寝たままの患者を運び出すには多大な労力が必要であったため、少々の病状変化では在宅でするしかなかった。しかし1年ほど通ったころ,発熱,全身衰弱が強くなり,独身で面倒をみている息子を説得して,町の消防団員を頼んでタンカで下ろし入院させた.胸部X線写真で肺に異常影があることがわかり,肺結核と判明して療養所へ転院となった.その後,しばらくして死亡したという連絡が届いた.町では搬送の方法が問題になるなど考えられないことであろう。できることなら便利なところへ移りたいと思っていたのか、たとえここで朽ち果てようともここに居たいと思っていたのか、この患者さん本人の本当の気持ちは知る由もないが、このようにして過疎地に生きる人々は、現実にたくさんいる。

 心不全で往診対応した85歳男性.夫人も息子夫婦とも一家4人が私の患者だった.入院するのをいやがるため往診に山頂の家まで通った.車で20分山道を登って,道が途切れたところで車を降りた.荷物運搬用のレールは引かれていたが,人間は乗せてもらえなかった.そこで,毎回だらだらと20分歩いて登った.10kg近くある往診鞄を持つのは看護師の役目であるが,それを持ってあげると看護師に喜ばれた.陰嚢水腫があることがわかり,毎回陰嚢穿刺をして排液した.ときには家族の薬を届ける役目も果たした.このような往診が任期中続いた.私が任地を離れても、そのような往診は今も続けられている。過疎地では往診が患者の命をつないでいる。

 脳梗塞後遺症の65歳男性.記銘力の低下が著しく,糖尿病のインスリン加療を含め,24時間夫人が世話をしていた.きれいに掃除された日本建築の御宅を尋ねると,必ずお茶とお菓子や季節の果物が出た.本人は,いつも朗らかに笑って,軍隊の話をした.いつも同じ話であったが夫人と看護師,私は落語のように聴いていた.3人ともわかっているのに毎回同じところで笑ってしまった.大変な病気を抱えているのに幸せな夫婦に思えた.この患者に会うと自分まで楽しくなるので,往診に行くのが楽しみだった.

 脳梗塞で半身不全麻痺の60歳の女性が退院する日に,私は保健婦と一緒に自宅を訪れた.杖を使って,車を降りて家まで歩く距離がかなりあった.玄関の敷居が麻痺の足には高過ぎた.ベッドを入れるには部屋が狭かった.料理をするときには薪を使っていた.風呂の浴槽が高かった.息子二人は料理をしたことがなかった.病院では問題にならないことが,自宅では解決しなければならない問題として山積みしていた.

 この町で,教科書に書かれていないことをたくさん患者さんから教わった.