Book Review 30-9 マンガ #バガボンド

『#バガボンド』(井上雄彦著)を読んでみた。

著者はバスケットボールを描いた漫画『SLAM DUNK』(1990年から)で一躍有名になる。累計1億部を超える大ヒット。その後、車椅子バスケを描いた『リアル』がある。

 

本書は吉川英治の『宮本武蔵』を原作に、1998年より「モーニング」に連載された。題名の「バガボンド(vagabond)」とは、英語とフランス語で“放浪者”、“漂泊者”という意味である。本書は、講談社漫画賞、手塚修漫画賞を受賞している。

 

吉川英治の『宮本武蔵』は、太平洋戦争前に書かれ人気を博した。剣豪宮本武蔵の成長を描き、剣禅一如を目指す求道者・宮本武蔵を描いたが、創作の部分がかなりあるという。武蔵の決闘で特に有名なのは、京都四条道場の吉岡一門との果し合いと佐々木小次郎と戦った「巌流島の決闘」(史実と異なる部分が多い)である。

 

本書は吉川英治の『宮本武蔵』と二つの点で大きく異なる。一つは佐々木小次郎を聾啞者としているところである。吉川作品も創作部分や間違えが多いようだが、なぜ佐々木小次郎を聾啞者としたのだろうか。ある読者は、「自分の肉体と対話する精神性」を付与したわけだけど、ある意味ではそれが健常者の勝手なイメージ投影であると言っている。小説の中で盲目の剣士は幾つか例がある(中里介山の『大菩薩峠』の主人公机龍之介藤沢周平の隠し剣シリーズ『盲目剣谺返し』の三村新之丞)が、聾唖の剣士は聞いたことがない。視力を失くした者は聴力や嗅覚が発達するようであるが、聴覚を失くした者は何で補うのだろうか。私も耳が遠くなってきたが、何も補うものがない。

 

もう一つは武蔵がある飢饉に喘ぐ村に居ついて稲づくりに心血を注ぐことである(何と3巻も武蔵の稲づくりにページを割いている、刀を鍬に換えて)。実は、本書はこの農業編の後に休刊となり、1998年から始まった連載は、2015年2月の掲載を最後に休載が続いている。その直前まで、如何に人を殺すかを極めるために人生を打ち込んでいた剣士が、突然人を飢えから救うために農作業に心血を注ぐ姿が描かれている。このギャップがあまりにも大きくて、著者は神経を病んで筆が進まなくなったのであろうか。もう再開はあり得ないような気がする。

 

作者は、耳の聞こえない佐々木小次郎と農業に勤しんだ宮本武蔵がどのように闘い、どのような結末を描こうとしていたのだろうか。