Book Review 27-2ノンフィクション #虚ろな革命家たち

 

『虚ろな革命家たち』(佐賀旭著)を読んでみた。第20回開高健ノンフィクショイン賞受賞。

 

高校3年生の冬(1972年2月28日)、大学受験を終えて下宿に戻るとおばさんが一日中テレビに噛り付いていた。世にいう「あさま山荘赤軍事件」であった。これ以後、何か問題を起こすと「総括」という言葉か返ってきたものだ。

 

 インタービュを通じて森恒夫についてわかったことは、高校時代は実力がないのに剣道部主将を引き受けさせられる。何に対しても確固たる強い意志がなかったようだ。赤軍のリーダーになったのも、指導的メンバーの逮捕や北朝鮮へ渡ったこと(よど号ハイジャック)でやむなく祭り上げられたということが真相のようだ。

この頃は、フランスの「五月革命」、文化大革命の「造反有理」、成田闘争スターリンの大厳粛等があり、トロツキーによる世界革命が叫ばれ、赤軍よど号ハイジャック事件(田宮高麿が関与し、日野原重明先生が同乗していた)を起こし、コロンビア大学での「いちご白書」、ポル・ポトクメール・ルージュのキリング・フィールドの時代であった。

 その後、ロシアのウクライナ侵攻に非を唱えている米国が、選挙による社会主義国誕生(アジェンデ)を米国主導で独裁政権を敷き、経済学シカゴ学派の実験場としたチリ・クーデターに加担している。

日本では、中核派革マル派内ゲバで殺し合いを繰り返している。

 

著者は、旧統一教会が反共を掲げて自民党と手を組んでいると結論した山上哲也が安倍晋三氏を射殺したのに対して、森恒夫は刃を同志と自分自身に向けたと結論している。

 

本書の現在における意義は何か。読む者に答えを示したことではなく、さらなる問いを投げかけたことだろう(田中優子)。ノンフィクションによる「経験の伝承」という視点からも素晴らしい作品と言えよう(茂木健一郎)。

 本書を読んでも、森恒夫はなぜ日本に革命を起こそうとしたのか、なぜ同志を殺害したのか、が見えてこない。

 NHKの「100分DE名著」で取り上げられていたアメリカの政治学ジーン・シャープが、腐敗した独裁政権を暴力で倒しても、新たに暴力を用いて生まれた政権も、暴力を内在させて強権政権になる可能性が高いと主張しているのを視聴した。歴史上暴政をふるった数々の独裁体制を綿密に分析し、それに対し非暴力による反体制運動がどこまで効果を上げることができるかを『独裁体制から民主主義へ』の中で徹底的に究明した。そして、「アラブの春」、「オキュパイ・ウォールストリート」、セルビア民主化運動等、数々の市民運動で教科書のように読まれた。独裁体制を覆すことを可能にするのは、綿密にたてられた全体計画、弱点に集中すべく慎重に選ばれた戦略、徹底して貫かれる非暴力(市民の運動)によってであると。

この本を知るまでは、暴力に対してこちらも暴力で対抗することはやむを得ないのではないかと思っていたが、その有効性は低く、たとえ独裁を倒したとしても、新たな暴力政権を作り出すだけだとしたら、非暴力戦略を見直す価値があると再認識した。

暴力は内か外かへの新たな暴力を生み出すという一つの例かもしれない。