Book Review 16-15 人物 #南方熊楠

 

『#われは熊楠』(岩井圭也著)と、『#熊楠さん、世界を歩く。』(松井竜吾著)の2冊を読んでみた。岩井圭也氏は、『永遠についての証明』で野性時代フロンティア文学賞を受賞。本書は直木賞候補となった。松井竜吾氏は現在、南方熊楠顕彰館館長。

『#熊楠さん、世界を歩く。』は熊楠の生涯を淡々と記述しているが、無難にまとめて面白みに欠ける。一方、『#われは熊楠』は冒頭から、熊楠が幻聴持ち(鬨の声)でてんかん発作や癇癪を引き起こして他者と軋轢を起こすことを描き、その事実がその後の文章に緊張を貰たしている。『#熊楠さん、世界を歩く。』にはこのことは殆ど触れられていない。

 

『#われは熊楠』を読むと、南方熊楠は脳内の声と対話し、また怖れて、それから逃れるために学問に没頭し、またある時は他者と諍いをする人生であった、と語られている。

 

さて南方熊楠であるが、1867年(慶應3年)和歌山生まれ。熊楠は子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だった。また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという卓抜した能力をもっていた。岩井氏は脳内の声から逃れるために知識の吸収に励んだと推測している。奇行が多く、度を越えた癇癪持ちであり、一度怒り出すと手がつけられないほど凶暴になると、両親など周囲の人々は熊楠の子供時代から頭を抱えていた。
 著名な博物学者であり、粘菌の研究者として知られている。1929年には昭和天皇に講義をしている。漢文はもちろん、英語をはじめとして、多数の言語に長けていた(読解ができた)。生涯在野で過ごしたが、古今東西の文献を渉猟し、『ネイチャー』誌をはじめ、多数の論文(「東洋の星座」等)が掲載されている。生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されている。これは現在に至るまで単著での掲載本数の歴代最高記録だそうだ。菌類の研究では新しい種70種を発見している。

 熊楠の論文の傾向を、宗教史学者で文化人類学者である中沢新一氏は「研究と同じく文章を書くことも熊楠自身の気性を落ち着かせるために重要だったため」と分析している。「熊楠の文章は、異質なレベルの間を、自在にジャンプしていくのだ。・・・話題と話題がなめらかに接続されていくことよりも、熊楠はそれらが、カタストロフィックにジャンプしていくことの方を好むのだ。」「文章に猥談を突入させることによって、彼の文章はつねに、生々しい生命が侵入しているような印象が与えられる・・・言葉の秩序の中に、いきなり生命のマテリアルな基底が突入してくるのだ。このおかげで熊楠の文章は、ヘテロジニアスな構造をもつことになる。」と分析。熊楠は自然保護運動(鎮守の森や神島の保護)における先達としても評価されている。

 

『#われは熊楠』では、東京、米国、ロンドン、熊野と居を移しての生活が語られるが、その大元を辿ると「鬨の声」が源にある。若くして亡くなった友人たちも脳内の声としてしばしば登場する。幼少時『和漢三才図会』を写すことに没頭するのも声から逃れるためであった。大学予備門時代には夏目漱石正岡子規等が同窓生であった。

 

お金の苦労(貧困)と息子の病気(統合失調症)で、壮絶な人生を過ごしている。はじめ金銭的に支えてくれた弟とも、最後は決別絶縁している。

 

熊楠の人生は、てんかん持ちでギャンブル依存症であったロシアの文豪ドストエフスキーを彷彿される。南方熊楠は今で言うところの「サヴァン症候群」(知的障害や精神障害を持ちながら、ある分野の能力だけが飛び抜けて高い状態)であったかもしれない。

ともあれ『#われは熊楠』を読むと、私たち凡人と異なる天才の壮絶な人生を垣間見ることができる。