Book Review 9-11 医療 The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action.1983年に出版。

 

『専門家の知恵』(ドナルド・ショーン著)を再読してみた。教育学者(東京大学教授)である佐藤学氏の翻訳であるが、全訳ではなく、理論の中核が提示された章と結論部分だけを訳し、様々な専門分野の事例研究については訳されていない。医師が読むにはこれで十分であろう。佐藤氏は医学学会で招聘講演を行っており、私はそれを聴講して大変感銘を受けた。Reflective Practitionerとはショーンの造語だそうだ。ショーンは学生時代から、「知識は実践から生まれる」とするジョン・デューイプラグマティズムに関心を寄せ続けた。

さて、本書で対比しているものは、「技術熟達者」対「反省的実践家」である。

「技術熟達者」は問題を解決するモデルは提示できても、問題を認識する(問題を設定する)ことができないのだそうだ。

「反省的実践家」は思考と活動、理論と実践という二項対立を克服した専門家モデルである。(三つの概念:knowing in action, reflection in action, conversation with situation)

「反省的実践家」の技法は、「なすことによって学ぶ」こと、「コーチする」こと、問題を設定することや即興的に対応する技能、そして状況と対話し、探求し、省察する技法を含むものであり、道具や対象の操作のみに限定されたものではない。

はじめから見ていこう。

最初にprofessional(神の神託を受けたもの)と呼ばれたのは、牧師、大学教授、医師、弁護士である。いずれも公共的使命と社会的責任において定義される職業である。そして、「技術的合理性(technical rationality)」は根本原理として成立している。これには知の階層構造があり、医学の場合、基礎医学の下に応用医学が従属し、その下に従属して各領域の臨床医学が位置づけられる。それゆえ医学教育はこの順に学生に教え、臨床医学に辿り着く前に時間切れをなっていた(私見)。そのように医学教育は、理論と実践が分離している。では、専門職の知識ベースはどのように構成されているのか。それは以下の4つである。

  • 専門分化していること
  • 境界が固定していること
  • 科学的であること
  • 標準化されていること

近年、これまでの専門家が実践してきた上述の「技術的合理性」のモデルに適合しないものとして、複雑性、不確実性、不安定さ、独自性、価値葛藤という現象を抱える現実の実践の重要性に気づいてきた。このとき、技術の利用にとってはっきりと確定した文脈はなく、その設定はひどく厄介である。設定することが大事で、解決策を持っていても設定ができないと解決に結びつかないという。「技術合理性」よって専門家は問題の解決(solving)をしようとするが、問題の設定(setting)が無視される。問題は、注意を向ける事柄を名づけ(naming)、その事柄に注意を向ける文脈に枠組みを与える(framing)ことを相互に行う一つの過程である。一般に多くの専門家は狭い技術的実践へと自分を閉じ込めることを選んでいる。

ここでショーンは指摘する。現代の真の専門家は、「技術的合理性」の原理を超えたところで専門家としての実践をしている。患者の抱える複雑で複合的な問題に「状況との対話(conversation with situation)」に基づく「行為の中の省察(reflection in action)」として特徴づけられる実践的認識論(practical epistemology)によって対処し、患者とともに本質的でより複合的な問題に立ち向かう実践を遂行している、と。

ここで研修医教育について考えてみよう。大学病院でも最近は多科ローテンションである。循環器科で研修しているときに、胸痛を主訴に入院した患者さんが腹痛を起こせば、消化器内科へ紹介することになる。自分たち(指導医+研修医)より優れた専門医が近くに居れば当然そうなろう。消化器内科入院患者が胸痛を起こせば、同じような過程を辿るだろう。これは狭い技術的実践へと研修医を閉じ込めることになる。今の専門医の充実した研修病院においては、研修医は指導医と共に「技術合理性」をもって解決にあたり、それを超えた領域の研修をすることは難しいのである。そこで、それを補うために専門医が十分ではない地域病院で「技術合理性」を超えた複雑性、不確実性、不安定さ、独自性、価値葛藤を抱える患者を「行為の中の省察」を繰り返しながら学ぶ意義が出てくるのである。

真の専門家はどのようにして育つのか。真の専門家の職業生活は暗黙の「行為の中の知(knowing-in action)に依存している。熟練した行為は「私たちが言葉で言える以上のことを知っている(暗黙知)」ことを明らかにすることが多い。直観的な行為が驚きや喜び、希望や思いもかけないことへと導くとき、私たちは行為の中で省察することによってそれに応じる。実践が安定すると暗黙知になり、無意識・自動化する。一方、高度に特殊化することが視野の偏狭をもたらす可能性がある。

 

本書は、医師が真の専門家になるためには、研修医が高度医療機関だけでなく、地域病院で働くことを支援する理論を提供してくれるだろう。